連載:滴水洞 002

李振盛の総括と「やられる前にやれ」



2006年08月01日00:58

前 田 年 昭

編集者

7月22日22:10-23:00,NHK衛星第1でBSドキュメント「文化大革命 40年目の証言」
http://www.nhk.or.jp/omoban/k
/0722_13.html が放映された。文化大革命のもようを10万枚の写真に記録した中国人写真家・李振盛と40年目の今をたどる番組である。

そのなかに,1966年9月,ハルビンで行われた黒龍江省の省長・李範五とその妻への批判大会で,紅衛兵たちがバリカンで強制的に髪を刈る写真がある。李振盛は,40年後に現地を訪れ,省長と共に批判された部下や省長の娘に会う。さらに写真の紅衛兵たちがハルビン軍事工程学院(現ハルビン工程大学)の六五兵団の者だと突き止める。卒業生の証言によると「彼らは高級幹部の子弟たちで,その後ろ盾があった。そうでなければ庶民では省長には歯向かえない。複雑な事情があり,親が打倒されそうになっており,いかに自分自身が革命的かをアピールしようとした」のだという。

いかに自分自身が革命的かをアピールするために,徹底的に批判する。エスカレートして,血が滲むほどバリカンで髪を引きちぎる。残虐である。「政治は人びとを崇高にもするが醜悪にもする」とは,沖縄で焼身自決した船本洲治烈士のことばであるが,まことに醜悪である。40年間ずっと日本文化大革命の息子を自認してきている私としては,できれば見たくない写真である。

やらなければやられる――どういう心理なのだろうか。思い当たったことがある。70年代,山谷・釜ヶ崎の流動的下層労働者(労務者)の運動のなかで,「やられる前にやれ!」というスローガンが提唱されたことがあった。その前の「やられたらやりかえせ!」というスローガンには消極的に賛成した私だったが,「やられる前にやれ!」には当時も賛成できず,当時私は文書を出して反対の意思表示をした。

いま考え直しても,「やられる前にやれ!」には中間階級のあせりが反映している,のではないか。いま/現在は,やられて(差別され,抑圧されて)いないのだろうか。いまはやられていないけれど,じっとしていたらすぐにでもやられてしまう,というのは,どこのどういう人びとの傾向なのだろうか。

かてて加えて,自分自身はいかに革命的かをアピールする,という心理。これの日本版としては,差別の被害の量が大きいことを自慢する,差別の被害の量の大きいことをもって,イコール,自身が革命的であるとして,相手の言動を「抑圧」しようという傾向。「差別されてないお前にはわからない」という恫喝の前に,たいていの者は沈黙させられてしまう。

これについては,当時私は,「ひどいわ,ひどいわ主義」批判として,数年にわたって,闘争-批判をやろうとした。
●「団結の哲学をうちたてよう 「ひどいわ,ひどいわ」主義に反対する」
 http://www.linelabo.com/hidoiwa.htm

●「団結の哲学をうちたてよう 続・「ひどいわ,ひどいわ」主義に反対する」
 http://www.linelabo.com/hidoiwa2.htm

40年をへた現在も,中国における「出身階級決定論」と通じるものとして日本の「ひどいわ,ひどいわ主義」は,依然として,闘争-批判-改革の対象である。

(おわり)


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