連載:滴水洞 021

墨家と毛沢東思想



2006年12月18日15:21

前 田 年 昭

編集者

映画『墨攻』が来年2月公開という。
http://www.bokkou.jp/リンク切れのため→墨攻(MovieWalker)
(監督・脚本:ジェイコブ・チャン,出演:アンディ・ラウ,アン・ソンギ,ワン・チーウェン,ファン・ビンビン,チェ・シウォン,2006中国日本香港韓国合作,配給:キュービカル・エンタテインメント,松竹)

戦国時代に孔子の弟子たち(儒家)と対峙,天下の思想界を二分したのが墨家である。墨子は孔子の「仁」から出発したが,工商業者の思想,市民社会の思想として発展させられ,「天下の賤人」たる工人を教育,組織した。これは,毛沢東が,近代西欧の個人主義やアナキズム,マルクス主義から出発して「大同」を主張し,社会の最下層の遊民,外村人,工人階級を教育,組織し,強力な解放軍をつくりあげたのと酷似している。ともに「防禦」から出発する弱者のための軍事論であったことも共通である。

新島淳良氏は「イデオロギーとしての毛沢東は,前5~3世紀の墨家思想の蘇りである」と指摘したが,事実,毛沢東こそが,国内「難民」としてもっとも卑しまれ蔑まれた遊民を「兵」として訓練し,社会でもっとも尊敬される人間類型として組織し,また人民公社をつくって食えるようにしたのである(新島淳良『歴史のなかの毛沢東』)。

墨家は滅んでのち,その思想は「墨侠」と呼ばれる遊侠集団にうけつがれた(増渕龍夫『中国古代の社会と国家』)。その社会的基盤は最下層の遊民である。現代の中国遊民無産階級の心に,墨家の思想が生きつづけていたからこそ,かれらは毛沢東に共鳴し,宗教的にまで帰依したのである。毛沢東の死後,中国の党は変色し,社会は変質してしまった(東嶽廟では官職を得たいという神さまに人気が集中し,北京では地下道でも法源寺の門前でも乞食が物乞いをしている)。

「打不平」=天に代わりて不義を討つことは,墨家から毛沢東へ,さらに第二,第三の中国革命-文化大革命へと受け継がれていくことはまちがいない。

(おわり)


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