生きたコトバをすくい採る


中国「低層」民衆の第一級の“魂の叫び”

書評:廖亦武『中国低層訪談録 インタビューどん底の世界』




2008年6月
前 田 年 昭
編集・校正者、アジア主義研究

『週刊読書人』第2744号 2008年6月27日付掲載

 著者・廖亦武は,八九年六月の天安門事件の犠牲者を鎮魂する詩作により反革命煽動罪で四年間投獄された経歴をもつ。出獄後,定職に就けず,簫を奏で自作詩を詠ずる大道芸を生活の糧としながら,中国の最底辺の人びとを訪ね歩き,まとめた聞き書き――それが本書である。
 どういう人たちから聞き書きしたのか,抜粋して紹介すると――浮浪児,出稼ぎ労働者,乞食,麻薬中毒者,不法越境者,同性愛者,人買い,トイレ番,死化粧師,老地主,老右派,老紅衛兵,スパイ,法輪功修行者,地下カトリック教徒,チベット巡礼者,破産した企業家,冤罪の農民,反戦の反革命分子,「六・四天安門事件」反革命分子……。  文字とコトバを独占して書き散らし喋り散らしている「知識層」からみればおよそ“了解不能な”“狂気の”コトバが歴史の証言として記されていること自体がおぞましいかもしれない。しかし,ここに記された証言は,めざましい経済発展や華やかなオリンピックと無縁な,文字とコトバを奪われ“存在しない者”とされつづけてきた,十四億人のうち十億人を超える中国の“低層”の人びとの記録である。
 文革期に世界革命を夢見てミャンマーに越境した老知識青年は,すでに異国に骨をうずめた戦友を語り,「死化粧師」は大躍進期の“食人”から文革の武闘の犠牲者までを見送ったと話す。“国境”や“道徳”から「はみ出し」た立場から視える世界が聞き書きを文句なく豊かで面白いものにしている。
 女遊び・唐東昇は文革で「民衆は,みんな自分の性本能を偶像崇拝に転移していた。……文化を消滅し,同時に,性病も根絶した。空前絶後の奇跡だった」と語り,乞食の大将・劉大東は「今じゃ,労働人民は主人公なんかじゃねえ。風水が逆さまに流れているんだ。どうせ苦力は卑しいんだから,徹底的に卑しくなればいい。改革開放ってのは,俺の考えでは,男は乞食になって,女は娼婦になるってことだ。それで貧しさから抜けだせれば,金持ちになる」と喝破する。
 正史,教科書に書かれた歴史は,「強い者が勝つ,勝ったものが正しい」といいくるめる歴史にすぎない。隋の初代皇帝・文帝は歴史を書くことを禁じ,後漢の班固は『漢書』執筆が本格化する前に投獄されたという。正史に対して叛史があるなら,負け続けながらも抵抗精神を失わず生きる人びとの喜怒哀楽も含めた言葉の蓄積がそれにあたるであろう。
 老紅衛兵・劉衛東は,いまや全否定され語ることすらタブーになった文化大革命を賛美してこう言う。
「わしの青春,夢,熱狂とロマンは,みな文革にかかわっている。おまえがどう思おうとも,少なくとも文革初期の一,二年間,人民は十分な自由を,ひいては絶対的な自由を享受したんだ。不自由なのは,走資派で,高級幹部の子弟で,特権階層だった。やつらはふだんは高いところにいて,民間の苦しみなんか知らんぷりをしていた。しかし,今やいかなる政治運動とも異なり,世界が逆転し,やつらにもプロレタリアの鉄拳の味を教えたのだ」
 非情な格差社会を逞しく生き抜く中国の「低層」の人びとの証言は,同じように,個としてバラバラに格差社会に投げ出された日本の私たちの心にひびく。いやそれ以上だ。この狂気こそ正気,叛史こそ正史なのだ。“無告”の民の生きたコトバをすくい採り得たのは,著者が信念をもって闘いつづけている詩人であり,すぐれた“道化”だからであろう。
 明治維新に際して,吉田松陰は狂夫,高杉晋作は狂生を名のり,激動と混乱の政治の季節には正面切って“狂”を肯定した。旧価値観の衰えに焦る旧体制側は抵抗者に“狂”のレッテルを貼って切り返した。格差社会・中国は現在の日本と同様,価値観が混迷し,激動と混乱,変革の前夜にある。
 一読をすすめたい。

廖亦武 著、竹内実 日本語版監修、劉燕子 訳
『中国低層訪談録 インタビューどん底の世界』
A5判・424頁・4830円
集広舎 発行(中国書店 発売)
978-4-904213-00-1
(おわり)


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前田年昭 MAEDA Toshiaki
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