『悍』第2号 pp.23-28(抜粋)

「リブの生き残り」を自称し続ける

深見史

 略

 リブは,全共闘運動の中で女たちが「女」を期待されてきたことをその出発点にしながらも,それを批判できる感性を日本独特の思想的風土によって培ってきた,と私は思う。この日本独特の思想的風土とは,青鞜社運動や高群逸枝,近くは森崎和江など,「性」と「母性」に徹底してこだわりそれを解明しようとしてきた先輩たちの思想の積み重ねによるものだ。リブが最初から「男女同権」「男女平等」といった男並み路線を見向きもしなかったのは,この風土のためだと思う。リブは,革命を非日常的なものとして,母たち・女たちとの具体的な関係と断絶させ,日常におけるエロスの欠如を全く理解できなかった男たちの闘いの中から,自らの女とエロスの蘇りを課題に押し上げた。運動の中で,革命の名の下で,おにぎり作り,投石用の煉瓦割り,レポ,書記,医療班……という裏方=女役割を強いられた女たちが,勇ましく革命を語りながらも男に期待される女を装う中で女を目覚めさせた,と言ってもいいだろう。

 女たちに多大な影響を与え,その後のそれぞれの人生を変えていったリブの言葉とは,例えばこのようなものだった。「やさしさとやさしさの表現としてのセックスを併せ持つ女」「生と性を総体として丸ごと変えていく」「便所からの解放」「「わかってもらおう」は乞食の心」「全共闘は男たちの祭」「類の女」「一瞬一瞬に生まれる権力の芽をその都度つぶしていく」……。

 これらは,当初中心的役割を果たした「ぐるーぷ・闘うおんな」や様々な個人が発した言葉として私に残されている記憶の中から拾い出したものだから,本当は少しずつ違っているのかもしれない。私はこれらのひとつひとつの言葉を得るごとに,身震いするような感動を覚えたものだ。とりわけ「類の女」「類的」という表現は,自分の中にあった芯のような部分にぴったりと呼応し,喜びをもって何度も使うようになった。屹立した個と個ではなく,群れあう集団でもなく,しかしどこかでそれぞれが温かく.がっている関係,共同性,人を含む自然と睦みあうような感覚とでも言おうか,そうしたそこここにあるエロスを表す言葉として,「類的」という表現ほどぴったりするものはなかった。部分的な性的結合だけに縮められてしまった性をひろびろとしたエロスとして蘇らせる言葉を初めて得たと思った。

 対の男やその他の人間関係を突き詰め,自分の矛盾に満ちた感情を見つめること,そうして行きつ戻りつしながらも,原初の女,「母」やその他の名をあらかじめ付けられたものではない無名の女,闘いと性が共に抱えられた総体としての女に向かう,というのが私の理解するリブであり,そうありたいと願う姿だ。

 略

 最近,久しぶりに会った娘が珍しく本を読んでいるのでのぞいたら,女の老後について有名な学者が書いた話題の本だった。「おもしろい?」と尋ねたら,娘は「面白いよ。全然役には立たんけど」と答えた。「独身女には金と特技があるはず」みたいなことを書いているのだから,ボーナスなんか一度ももらったことのない非正規労働者歴一〇年の娘には役に立つはずもない。

 それにしてもフェミニズムはとうとうハウツーものにまで落ちてしまったのか,やっぱりね,と同じく役に立たないくせに私は何となく納得する。与えられた仕組みの中でうまく生きていく方法を描いてみせることなど女解放に何の関係があるだろう。自分が決めたものでもない規則や秩序や風習や習慣ではなく,自分自身の欲望に依拠し,それを組織し,何もないところに自分の生を描き出すことこそ自分自身の闘いとしたいと思う。

 誰が書いたのかもう思い出せないが,こういう意味の詩が私の底に貼り付いている。

 ……ある恋の日に,若者は川で米を洗い,娘は草笛を吹いていた……

 恋が,それが本来持つ自然性のもとで育つ時,「性別役割分業」など問題にもならない。恋の自然性とは,共に生きていく類としての懐かしさを抱き合うことだ。愛を枯らすものだけを恐れ,愛を食い物と交換することを軽蔑することだ。だから恋は,法律の保護の保障や税の控除や年金の権利などの一切の利害関係と無縁な,いわゆる「荒野での出会い」の中でしか生きられない。エロスの滅びを問題としない中での「家事育児の分担」なんぞに何の意味があるだろう。

 普通の,善良な,という名を冠せられた者,家族なしには人生を考えられない者がその日常を怪しまないとき,エロスはその瞬間瞬間に滅んでいく。男女が「おとうさん」「おかあさん」と互いに呼び合い,「空気のような関係」という文字通りの空疎な利用関係に安住することは,愛を笑いものにし,愛を枯らし,国家の望むとおりの家族を忠実に形成する。家族はすなわち国家だ,とは決して象徴的な言い回しではない。こうした愛の怠け者,諦めに居直った者たちが,かつては艶やかな意味合いと胸弾む響きをもっていた「革命」という言葉を戯れ言にしてしまったのだ。

 決して結論ではないにしても,例えば一歩を踏み出して離婚した女たちの日常はすっきりと風の通りがいい。愛を食い物と交換しないことで,確かに食い物は減る。けれども,愛を食い物と交換しないという生の根幹は,それを一度手にすれば二度と手放したくないほど価値があるのだ。女のひとりは言ったものだ。「人生の中で有意義だったことは二つだけ。運転免許を取ったことと離婚したこと。どちらも私を自由にしてくれた」。

 国家と家族なしには一日も暮らせない者たちの卑怯な逃げを見切ってしまうだけのことで,澱んだ空気は流れ始める。


 私はリブの生き残り,「結局なにがしたいのかわからない」と始終言われてきたリブの末裔であり続けたい。

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