『悍』第4号 pp.138-143(抜粋)

金持ちサロンと自分探しカフェ
左翼とサヨクのあいだ

玉川晴野

 左翼のダメなところ,いろいろあるだろうが最も象徴的なのは「下の世代に引き継げなかったこと」ではないだろうか。

〔中略〕

異議申し立て精神はどこに

 正直言って,日本のいまどきのサブカル的サヨクのあり方には,少々ヤバさを感じる。彼らの運動の動機は,自身の生きづらさであったり,経済的不安定さであったりすることが多いのだろう。そんな彼らが,弱者のために一肌脱ぐとか,正義感から人のために動くといった動機をこの先どこから見出していくのかやや疑問なのである。もしこの先,日本の景気が上向いて,生活が楽になったとしたら,彼らは運動を続けるのだろうか? 同じような思想を持ち続けられるのだろうか? そもそも思想があるのだろうか? いまどきサヨクのあり方の基本は「ユルさ」だと聞く。あまり何も決めず,来たければ来て,去りたければ去る,流れるようなあり方がよしとされるのだと。それってとってもいい面もあるし,希望もあるし,今の時点で最善ではあるのだと思う。しかし,同じことを四十年前に全共闘の人たちも言っていたわけで,彼らがどうなったかというと,運動が下火になったとたん,皆さんあっという間にいなくなって要領よく大企業に就職したりして,おおいに下の世代のひんしゅくを買ったわけでしょう。それは決して受け継いでいいサヨクの魂だとは思えない。というよりまず,全共闘のサヨク魂が受け継がれているのかというと,それは絶対にノーだ。受け継がれるべきだったのは「ユルさ」ではなく,「異議申し立てをする精神」だったはずなのに,そんなもの今やどこを探してもなさそうだ。サヨクの中だけでなく,日本のどこにもない。賢明な人はますます冷笑的になり,見て見ぬふりをする。いまどきのサヨクがサブカルなのも,彼らに残されていたのが八〇年代発祥のサブカルしかなかった,ということなのかもしれない。

 現在の日本人が「異議申し立てをする精神」を徹底的に失ってしまい,これほど好きなことが言えない社会になってしまったのは,はっきり言って,かつての左翼,というか全共闘世代の責任がかなり大きい。多くの全共闘世代の人は当時を「とても楽しかった」「人生で一番楽しかった」などと振り返るが,ええっ?と思ってしまう。楽しかったではマズいんじゃないの。失敗した運動なのに。自分たちの理想を建て直そうともせず,ちゃんと向き合ってこなかったツケが,いまどきのサヨクにかつてのサヨク魂が受け継がれていない,残酷な断絶にあらわれているというのに。なぜ断絶したかといえば,彼らの運動を見ていた一般の人たちや下の世代の人たちに嫌われちゃったからだろう。現在もっとも誠実(?)なサヨクに思える文芸評論家の斎藤美奈子は〈全共闘運動の失敗のひとつは下の世代に何か引き継ぐどころか,逆にそっぽを向かせてしまったことである〉と言っている。最近では,もっともっと若いモンが「全共闘の時代が羨ましいですぅ。当時のお話,聞かせてくださ.い」などと言っておじさんたちに近寄ってくるという話も聞くが,そんなことで鼻の下のばしてる場合じゃないと思うのですが。

 問題のひとつは,左翼勝ち組であるところのインテリや大手メディアが特権階級高給取りサラリーマン化してることにあるのではないだろうか。運動には敗れても,戦後民主主義の中で正義は自分の側,知識人とは自分たちのこと,しかも社会的地位は極めて高い,というぬるま湯的状況の中でロマンだけは持ち続け,すっかり「上流階級のサロン」と化している。彼らはあまりにも良い立場にいるため,金持ちケンカせずで現状維持的,保身的になってしまうのも仕方がないのかもしれない。いや,金持ちのサロンでもいいのだ,そこで刺激的な知の交流が行われているというのなら……。どうなんですかね?

 サロンの人たちはいちおう「少数者の味方」なので,たまに選ばれた少数の「少数者」はサロンに入れてもらえることがあるようだ。例えば在日韓国・朝鮮人はなかなか気に入られやすい記号だったりするみたいです。アンニュイな感じの在日の美人が,決して悲愴にではなく,さりげなくぽつぽつ語るようなのに,サヨクのおじさんはめっぽう弱かったりする(と思う)。あるいは,自分探しを続けて生きにくさを訴える,若くて賢く魅力的な女性が「貧困」などというキーワードを使ったりすると,もうクラッとくる(と思う)。結果できあがった図はなぜかとても「紅一点」的なのだが自覚はない。

 しかし,悪いのは左翼のおじさんたちだけではないのかもしれない。よくよく見れば,戦後,大衆による運動は,もしかして一度も実を結ばずに来てしまったのではないだろうか。そのことが,左翼のみならず日本人全体にとってつくづく不幸だという気がしてならない。かつての活動家の頑張りが足りなかったのだろうか? でも安保闘争は一般大衆を巻き込む大きな運動だったはずだし,全共闘運動も(いろいろダメなところはあったかもしれないが)社会的影響の極めて大きな運動だったはずだ。あれだけ大きな運動だったにもかかわらず,その要求はほとんど通ってないし,結果的には何も変わってないでしょ。日米安保はそのまま通ったし,大学も解体しなかったし,学費も値上げされたし,成田には飛行機飛んでるし(何もかも一緒にするなと言われそうだが,私ら後世の人間,それもしもじもの者にとっては同じように見えるもんなのです),首相は退陣したかもしれないが,その後,弟や孫がまた首相になってるんだから何のこっちゃわからない。その上,運動にヘビーに参加した者はタイホされて,のちのちまで「全共闘くずれ」の汚名を着せられる。いいことなんて何もない。そういったことの積み重ねで,大衆運動はすべて敗北にしか終わらないという諦観と軽蔑が,日本人の心に深く深く刷り込まれてしまった。これはなにも運動してた人たちだけの責任でなく,この国にはそもそも民主主義がなかったのだということがこの退廃の根本原因なのかもしれない。

 もし何かひとつでも,今の日本がこうあるのはかつての運動のおかげだ,大衆運動が日本を変えたのだ,というはっきりした成果があれば,もうちょっと今の私たちの「左翼」を見る目も変わっていたし,新しい運動の動機づけにもなっていただろう。ベトナム反戦運動が世界中に広がってそれなりに意味を持った欧米とはそこが違うし,もしかしたら,それが欧米ではヒッピー・カルチャーが今の活動家と連続性を保っているゆえんなのかもしれない。

 ところで,最近インターネット上でもすこしは「サヨ」的言説を見かけるようになった。これはどうも「在特会」の好戦的な動きに刺激された部分があるようだ。私はどのような運動であっても,陰に隠れて顔が見えず陰湿にやっているより,表に出て突出したほうがいいと思っているので,「在特会」には頑張ってほしいものだ,とひそかに思っているのです。

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