中島らもインタヴュー(前半)からのつづき

トランキライザーのカクテルで失明寸前に ―― お酒とのかかわりに続いて,こんどはうつ病と薬とのなれそめをおきかせください。

中島 いちばん最初の時は,これはうつ病だという知識はあって,うつ病は三環系の抗うつ剤を飲めば十日から二週間ぐらいで治るいう知識はあったから,薬だけもらいにいこうと思って,高校時代の同級生の目医者へ行ったんですよ。目医者で,抗うつ剤を処方してくれと。彼は門外漢ですからぶ厚い本出してきて,ウーンて調べて,これがいいと思うな,これを処方しようと,出してくれて。
 その抗うつ剤を飲んでたら,確かに元気は出てきた。どういう元気かというと,“自殺する元気”やったんですね。それまでは,自殺もできないぐらいくたばってたわけで。やっぱり専門医にかからないとあかんですね。身の回りの若いもんで,ちょっとおかしいのがいて,これ絶対うつ病だと思って,医者に行けって紹介したら,うつ病じゃなくて統合失調症,分裂やということが分かって,やっぱり素人判断いうのはダメだなと思いましたね。

―― 今飲んでらっしゃる薬は,お医者さんでもらっているんですか。

中島 はい。トランキライザーですね。いわばハルシオン系のものです。

―― 診察もしてもらってるんですか。

中島 診察は月一回。薬も微妙に調整していかないとえらいことになるんですよ。その証拠に,おれが最初かかった医者というのは,おれがひどいうつ病なんで,強烈なカルテ処方を出していたんですね。ところがそのうちに医者がおかしくなっちゃった。「しーっ黙れ」とか言って。どうしたんですかと聞くと,盗聴されてるとか言い出すわけ。これおかしいな,この医者にかかってたらダメだなと思って,診療を受けずに,その先生に処方された薬だけずっと飲み続けたんですね。
 ずっと飲んでいたら,道で昏倒するようになって,何度も昏倒して,頭を切って救急車で運ばれたり,家の階段から転げ落ちるようになって,ベッドは二階にあったのを一階に移して。駅の階段もやばいんですよね。いまだに下り階段恐怖症。上りはまあ平気なんだけど,下りはすごい怖いんですよ。
 失禁するようになりましたね。大小ともに。いちばん困ったのは,目が見えなくなったことで,辞書なんてのはとんでもない。全然見えない。新聞の字も見えない,本の字も見えない。それで,最後は自分の書いた字が見えなくなって,原稿用紙に書き出しても字が次の行へだらだらと流れていくわけですよ。これではダメだと。ただし,商売は作家なんだから,書かないと食えない。大道芸人になろうかと本気で考えたんですよね。トルコの面白い楽器があったから,あれ持ってスナック回ろうかとかね,思ったんですけど。とにかく口述筆記でということで,四年間妻に書いてもらって,三冊ぐらい小説を書いてもらって。
 兄が口腔外科医なんですけど,ある日,親父が死んだんで遺産相続の打ち合わせとかをしていたんですね。じゃあって帰ろうとして,「ちょっと待て」と。おまえどうも目つきもおかしいし,歩き方もおかしい。どういう薬飲んでるんだ,出してみろと言うから,渡したら分析してくれて,三日後にファックス送ってくれた。見たら六種類ぐらいのトランキライザーのカクテルで,なぜか抗アルツハイマー錠剤みたいの入ってて,便秘薬と下剤が同時に入っているような,おかしなカクテルなんですよ。副作用に,かすみ目,ふらつき,運動障害……,ずらっと並んでいるんです。ああこれかーと思って,その日から薬飲むのを勝手にやめたんですよね。そしたら四日後ぐらいから,目がすうーっと晴れ上がったみたいになって,自分で書けるようになって,それがつい二,三年前のことですね。十年近くその強烈な薬のカクテルを飲みつづけていたわけで。

―― その時の先生,『心が雨漏りする日には』に出てくる「Y先生」はいま,どうしたはるんでしょうね。

中島 なんか保健所に行って,所長になったらしいですけれどもね。あんな人,保健所の所長にしていいのかなと思うんだけど(笑)。

―― らもさんも「専門医にかからんとあかん」とおっしゃいましたけど,新聞とかでも「うつかな,と思ったら病院へ行きなさい」ってしきりに書いてありますよね。でも,一方でお医者さんてうつ病の人がすごい多いんですってね。ひとりの人間である精神科医が患者さんを投薬やカウンセリングで操れるという,その怖さというのはないですか。

中島 ありますね。先生にもよるんですけどね。人の話をうまく引き出して引き出して聞いてくれる先生,聞いて聞いて聞いた上で判断をくだす先生というのはいい先生ですね。診たなり,あんたはこうこうこうだよとか言うような,自分の経験から類推してこの患者はこうだと断定してかかるような先生はよくないですね。

―― うつ病がメディアで社会問題化して,自分は“うつ”やいうことを心のいちばんの拠りどころにする「うつ依存症」が増えてるそうですが,それってどうなんですかね。

中島 人間誰でも,非常に悲しいとか辛いとかいう感情になることは多々ありますよね。特に今の社会では,いろんなストレスこうむるから。それによって憂鬱になっていくというのは,多いと思うんですよ。鬱になりやすい人というのは,誠実,勤勉,正直,正義感が強い,義務感が強い。こういうタイプの人ですね。これは日本人の特性そのものなんですよ。だから日本人ほどうつ病にかかりやすい民族はいないそうですね。
 ただ鬱症状というのと,うつ病というのは,歴然と違うもんですから。軽い鬱症状でお医者さんを訪れる人も多いみたいですね。失恋して「うつ病になった」って来る……,誰でも萎えるじゃないですか,失恋したら。そういう場合は軽い精神安定剤を与えて帰すんだって医者が言ってましたけれど。
 本来うつ病というのは,脳内ドーパミンという快楽物質がレセプター細胞というのに,うまく着床しない,そのために憂鬱になる。それがうつ病なんですが,なぜそうなるのか分かってないそうです。ただ,経験的に治し方は分かってる,たくさん薬はある,という状況なんで。うつ病というのは本来はモチベーションはないもんなんですよ。何々したから鬱症状になったというのは,よくあることだけども,うつ病というのは,なぜかわからないけれども,朝起きれない,身体がだるい,会社に行きたくない,憂鬱で仕方ない。「なぜかわからないけど……」というのが,うつ病の初期症状ですね。まぁ失恋してショックでも構わないからお医者さんへ行きゃあいいんですよ。本物のうつ病でなくても,軽い精神安定剤,デパスとか,くれますから。それで,かなり楽になりますからね。
 人間の精神なんてのは,古典ギリシャ時代からずっと,いろんなこと言われてますけれども,たったこれだけの薬で治っちゃうのか,いう悔しさみたいなものがありますね。

ものを書くことと鬱との関係は ―― これだけストレスの多いひどい時代で,鬱にならないほうがおかしいんやないでしょうか,心ある人は鬱になって当たり前やないかとも思うんです。
 世の中の鬱が全部,薬で治ってしもたら……文学っていらなくなるんやないかとも思うんです。ボードレールだって萩原朔太郎だって,メランコリックであることが芸術家の資格で,“憂鬱”自体が文学とか芸術のいちばんの源泉だったわけでしょう。文学の芽を精神医学が薬で摘んでいく。
 らもさんは鬱のときでもずっと仕事をしてきた,小説を書いてきた。らもさんにとって,ものを書くことと鬱っていうのがどういう関係にあるのかなというのを,ちょっと聞きたいんですけど。

中島 おれは自分の書いているものを文学だと思ったことは一度もないんですよ。娯楽品と思ってます。娯楽品をつくる職人であって,プラモデルを作る人となんら変わりないと思ってます。ところが,おれには自分を客観的にみてあざ笑う第二の自我みたいなものがいるんですよね。酔っ払って町で血まみれになっていても,「また血まみれになっている,バカなやつだ」と思っているもう一人の自分がいるわけですよ。鬱に襲われているときに,なんか作品を書かないといけないという状況も,その第二の自我みたいなやつが見ててなんか笑ってるわけですよ。「苦労してる苦労してる」というてね。するとね,一種なんかマゾヒスティックな快感がわいてくる。そのマゾヒスティックな快感のおかげで書き続けることができるんですよね。
 常に自分をみているもう一人のやつがいて,ピンチになればなるほどそいつが喜ぶわけで,大麻でつかまってもそいつはニタニタ笑ってるんですね。拘置所は寒くってガタガタ震えてても,「ほら見ろ,違法物に手を出すからだ」と笑っているわけ。そいつがいるおかげで,くそっと思って持ちなおせるわけで。
 作品に関しては,アイディア,モチーフ,テーマと,あとストーリーテリングの技術があれば,書くことっていうのはできます。おれの場合は,いつも書き出すときにはすでに頭の中で,もうオチまで出来てるんですよ。その頭の中のやつを,昔の手動写植じゃないけれど,一字ずつマス目にうめていくだけの作業で,非常に単純で孤独な作業で……,だから酒飲むんですよね。飲むと,その田植えみたいな作業を持続することがそう苦痛でなくなってくるものですから。いちばんひどいときはベロベロに酔っ払っちゃってて何を書いたか覚えていない。朝おきたら,机の上に原稿用紙が三十枚おいてあって,あれって思って,読んだらけっこう面白くて。そんなん二,三回ありました。あとは,テニヲハとか誤字とか直すぐらいで。

―― 薬の量は難しくて,バランスを崩したら具合悪いというお話がありましたけれども,アルコールは別に主治医がいるわけではないですよね。そしたら飲みすぎたりとかして,書く時にガソリンじゃない役割をしてしまうことはないんですか。

中島 昔は酒は本当にガソリンで,そのガソリンで筆を動かしていたんですけれども,最近はずっとしらふで書いています。で,仕事終わったら飲むいう感じで,飲んでいるときになんか面白いセリフがぽっと浮かんだりとか,そういう感じですね。
 また医者にも通うようになって。さっきの芝先生に,医者には行っといたほうがいいですよと言われたので。で,行って,かなり軽めのトランキライザーを処方してもらっているので,もう今はこけたりすることはないですね。階段もまあまあです。階段て危ないでしょう。芝居を一六年やってたけれど,階段落ち,あれだけはやらんかったですね。ケガするからね。

―― らもさんの活動の中で,小説を書かれたり,エッセイを書いたり,ロックのライブをやったり,劇団の公演をやったりとか,いろんな活動あると思うんですけれども,それは躁状態,鬱状態と関係ないですか。

中島 ないですね。たとえば小説ばっかり,あんまりたくさん書くと疲れますよね。小説書く疲れというのは,いやーな疲れなんですよ,神経がギザギザするようなね。その嫌な疲れを,たとえばロックやったりしたときの本当の,土方やった後の疲れみたいなね,そういう疲れにスリップさせて転換するわけですね。で,そのロックでの疲れを,今はやめましたけども,前は,芝居で癒したあと芝居でまた疲れて,今度は小説書いて,とかね。そういうふうに疲れをうまくリンクさせていくと,“回り”ますね。小説ばっかり書いていると,精神的にちょっと参ってしまうんじゃないですかね。

―― 『心が雨漏りする日には』の巻末の対談で芝さんが「精神科の治療には症状を消すというだけでなくて,ズラすという発想も必要です」とおっしゃってましたけど,まさにそんな感じですね。どんどんずれていく。
 クスリでもお酒でも,いやーな時と気持ちいい時があって,飲んで気持ちがいい時と二日酔いのように悪い時と両方セットでありますよね。小説書くというのは,さっきおっしゃった「神経ギザギザするような嫌な」気持ちだけやのうて,書いてて気持ちいい時いうのんもあるんやないですか。

中島 書いてて気持ちいいってことは一度もないですね。書き終わった時も,感動というのはないですね。『ガダラの豚』(一九九三)というのは千四百枚ぐらいあるんですけれど,あれ書き終わった時も万歳という感じとか,やったーっという感じとかは何にもなかったですね。「ああ終わったな」というだけで,後は校正見るのもすごい嫌だったし,ましてや本ができ上がってから読むなんてことはないんですが,三年程前,たまたまなんかでちょっと開いてしもたんですね。読みましたら面白いから止められなくなっちゃって,最後まで読んでしまったのが一回だけあります。

闇のない社会の明るさとは何か ―― らもさんは昔コピーライターしてはったけど,ご自分の本の帯文なんかは書かはらへんのですか。

中島 えーと,あんまりひどい帯がきたときは自分で書くこともあります。

―― そうですか。「笑う門にもウツ来たる」いう『ロバに耳打ち』(二〇〇三)の帯は編集さんが書かはったんですか。

中島 おれじゃないです。

―― これ,いいですね。名コピーですね。
 なんかいまの時代,大笑い,爆笑するというのではなくて,ずっと薄ら笑いみたいな感じで,べたーっと無感情になってる気がしてしようないんですよ。本当は,鬱屈しているから笑えるんだし,笑うから鬱屈するんだし,それがなんかノッペリした感じになってて,気持ち悪いんですけれどもね。

中島 まあ,たとえばホラー映画でいえばね,A級のものは非常に面白いし楽しめるし,B級はB級で「安もん作りやがって」みたいな楽しみがあるでしょう。血ィぐらいもっと出せよみたいなね。それがね,コメディ映画の場合はね,おれは抱腹絶倒の何とかコメディとか書いてあっても,まず笑ったことないですね。それはもう職業病なのかもしれないけれども,ずっと笑いをつくって提供してる立場だったでしょう。テレビでバラエティショーなんかみても,腹立ってくるだけで,笑ったりしないし。喜劇観ても笑ったことないですね。ただ,身内のドジな話とかね,ガンジー石原はどうしたとか,そんな話やったらゲラゲラ笑ってますよね。

―― 漫画家の川崎ゆきおさんて鬱ですかね。

中島 いや,あの方は鬱ではないと思いますよ。一日二度喫茶店行くっておっしゃってたからね。それが私と社会との唯一の接点だと。ただそこで主人に「いい天気ですね」とか,話しかけられたりすると困るんだと。そこにおいて自分の人格を露呈しないといけない,それが嫌だと,ほっといて欲しいと。でも喫茶店行かないと社会と接触がない。

―― だとすると,今の若い人がみな“川崎ゆきお化”してる気がしてしょうがないんです。朝の満員電車に乗ると,周りはみな寝たふりしてるか,イヤフォンをしてシャカシャカと音楽聴きながら,携帯をいじっている。満員電車の中で皆ひきこもってるんですね。そうしないと生きていけない時代なのかもしれないですけれども。

中島 うん。しかしあれですね,農村部とかで躁鬱になった人というのはあまり聞いたことないですね。村落共同体で,互助的な社会の中では発生しにくいんじゃないですか。都会で,マンション帰ったら一人というほうが発生しやすいんじゃないですかね。

―― 夜中も明るいですもんね,町の中はね。若者が所在なさげに,その前でヤンキー座りしてるコンビニが象徴的ですね。都会で生きてると夜明けも夕焼けもめったにみることなくなってしもて……。

中島 うん。さっき言ってたおれの第二の自我みたいなのは,印刷屋の営業やった時代にできたんですよ。というのは,印刷屋というのは,誤植,色ずれ,ケントウの違い,製本ミス,あんなの必然的に絶対つきものですよね。

―― そうですそうです。おうてても誰もほめてくれへんけれど,ミスがあったら細かいちょっとのミスでも値引きせえ言われる。それで頭下げて歩くというのが仕事やから。

中島 それで,要するに毎日謝るのが仕事なわけですよ。頭丸めて取引先行ったことも,三べんぐらいあるしね。「中島さん,なにも頭まで丸めんでも」と言わせたら「やったぁ」と思てね。で,これはちょっとものの考え方変えないとあかん,仕事の中に自我とか誇りとか持ち込んだらあかんと。朝の九時から夕方の五時まで,会社に身体を売るんやと,そのペイで好きなことやったり,酒飲んだりするんやと。そういうふうに考えて,謝るのは仕事やというふうに考える。そのために第二の自我みたいなものつくって,「また怒られとる」というふうに見つめるやつを,なんとなく作り上げていったんですね。それはずっと今でもいるわけで。

―― 同僚兼人事部長みたいなもんやね。でも五時すぎても,その第二の自我はいてるわけですよね。

中島 はい。

―― 印刷って基本的にポジネガ反転の連続じゃないですか。さっき,活版で組んだのから一枚清刷りとったのを版下にしてオフセットで印刷されたというお話うかがいましたが。インターネットとかディジタルの通信技術は,これに対して二四時間明るいコンビニの世界なんですよ。コンバートとコピー・アンド・ペーストの繰り返しがベターッと単調に続いてく。昼と夜という反転がない。そのなかで,らもさん躁鬱で本をこれだけのペースで書き続けているというのは,なんかいいと思う。

中島 あの,太極のマークありますよね。陰陽のマーク。「陰中陽有リ,陽中陰有リ」という。要するに世界は光と蔭でできてるんだということで。ただおれは光寄りのほうでいようといつも思っています。だから作るものも,どうせ作り物なんだから,何も人を嫌な気分にさせるようなものは絶対作らない。読んで元気がでるようなもん作ろう,あるいは,「ようこんなバカなこと書くな」みたいなものにしようというのは,自分の鉄則ですね。
 文学でつらい苦しいものが多いですけれども,自分の苦しみとか,悩みとかを人になすりつける行為は,金をとる資格はないと思います。光をきわ立たせるためには,陰も必要ですから,それでメランコリーも必要ではあるんですけれども,そればっかりの作品というのは自分では読みたくないですね。太宰治なんか読みたくないですね。

―― らもさんが人を笑わせるお仕事されてきた,“お笑い”の職人だっていうことと,らもさんご自身が鬱を抱え込んでしまわはったいうのは,やっぱりワンセットなんとちがいますか。

中島 どうでしょうねぇ。さっき言ったように,鬱病にモチベーションというのはないんですけれども,ただ遺伝が三パーセントあるんですよ。親の遺伝は三パーセントだけなんですけども,おれはたぶんその三パーセントだと思っている。親父は完全な躁鬱病だったですから。それもおれといっしょ,ちょうど四〇歳ぐらいで発病してますから。怖いですよ,躁病の歯医者って。「これも抜きましょか!」みたいなね(笑)。

“癒し”という言葉は大嫌い ―― 神戸大震災のときにボランティアが行ったじゃないですか。子どもたちがトラウマになってしもたらあかんから,セラピーでいろいろ喋って心の傷を癒してあげようと。そのうちこんどは,心のケアをしているボランティアの人たちにケアが必要やいうことになって,世の中,“心のケア”というのがすごい盛んなんですけど,そんなことしていいんですかね。

中島 どうですかね。精神科医が精神に変調をきたすということは,非常によくあることで,カウンセラーしてる女性に聞いたんですけれども,やっぱり“もらっちゃう”んですって,気を。うつがうつるといったら変だけど,発病する人はけっこう多いということを聞きましたね。治す側が発病するというのは大いにあり得て,人の苦しみとか悩みを抱え込むわけですからね。ただ,今は“癒し癒し”っていうでしょう。おれはあの言葉は大嫌いでね。“癒される”必要なんか自分は感じないんですよ。

―― “癒す”って,ていのいい言い方で,ロボトミーみたいな気がするんですよ。トラウマ(心的外傷)とかオブセッション(強迫観念)とかみんな癒されちゃったら,創造的な仕事なんかできなくなっちゃうじゃないですか。うつ病と鬱症状は違うというお話もありましたけれども,いまの精神医学が薬を使う技術としてあるとしたら,もう一方には,薬を使わないで,その人の悩み,しんどさを受けとめるものとして文学とか音楽とか宗教があるわけですよね。そこに優劣はないと思うんですよね。一方が科学的で立派なもんで,他方が迷信で遅れたもんやという,そういう優劣はないですよね。

中島 ケニア行った時に,ケニアとウガンダの国境沿いに何百キロも上っていって,そこで呪術医さがしてたんです。でいろいろ話聞いていたら,「おかしな病気がある」と。よーく聞いたら躁うつ病なんですよね。ケニアのナイロビには大きな国立病院があるんですけど,行って,診てもらったら,医者がこの病気は病院では治らない,村で治してもらえ,と。呪術医のところに行って治してもらえというんですね。いろんな方法があるんですけれども,たいていはトランス状態になるように,ずっと火を焚いて踊りを踊ってというような,そういう治し方ですね。あるいは,あそこは皆すごく陽気でいい人たちなんですけれども,裏は呪術文化で,誰かが自分に呪いをかけるんじゃないかという恐怖でいつも怯えているわけですよ。それで呪いをかけられたという人がいたら,呪術医が,それをといてやるんですね。そしたら治るんですよ。土俗的な医療にもバカにはできないところありますね。

―― 『心が雨漏りする日には』でも芝さんが,宗教持っている人は躁鬱になりにくいとおっしゃってましたね。

中島 まあ宗教というのも諸刃の剣でね。不安定な心を支える部分もあれば,それに頼りきってしまって,自分がダメになってしまう部分もありますよね。というのは,宗教に入れば非常に楽チンですからね。すべて決められたとおりにやっていけば,山本リンダみたいにあんな偉くなっていくわけですから(笑)。

―― らもさんはオカルト的なものとか宗教的なものとか薬物であるとかを,それぞれの領域からひっぺがして,やっぱり言葉にして表現するほうに持ってきていると思うんですね。ふつう,らもさんほど波乱万丈の生き方すると,宗教入っちゃう人けっこう多いですよね。

中島 多いですね。

―― らもさんが宗教入らないのは,ぼくは嬉しい。そういう言葉にならんようなものを,言葉に置き換えるということをずっとやってきはったのがね,すごいいいなぁ。宗教に入ろうと思うことは今までぜんぜんなかったんですか。

中島 ないですね。おれのとこは,浄土真宗のはずなんですけどもね,親父が無教会派のキリスト教徒になってしまって。おれが一二の時に,何の気ィなしに誕生日に般若心経の本をあげたんですね。そしたら,それ読んでのめりこんでしもうたんですよ。それからはね,デラシネでずっといろんな宗教巡って,最後へんな新興宗教に入ろうとしたから,家族全員でとめてというね,そういう人だったですから。
 やっぱり,西洋のキリスト教徒みたいに土壌がないですからね。おれはなんかに“入る”ということないですね。LSDくれる宗教やったら入ってもいいけど。

―― 宗教始めるというのは,どないですか。

中島 いや,考えたんですよ。“らも教”というのを。ダライ・ラモ(笑)。ただ,教える教義がなんにも思いつかない。

(なかじま らも・小説家)
(まえだ としあき・編集者)
三月六日,新宿プリンスホテルにて
(おわり)


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前田年昭 MAEDA Toshiaki
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