亡霊となりつづける労務者




1974年8月

中 原 哲 也
日雇労務者

向井孝・渡辺一衛編『まず、ぼくたち自身を問題にしよう 根づきの思想』1974年8月 太平出版社 所収

 「一つの妖怪がヨーロッパにあらわれている。――共産主義の妖怪が」。今から百年前,カール・マルクスはフリードリヒ・エンゲルスと共に歴史的著作『共産党宣言』をこう書き出した。この冒頭の「妖怪」という言葉は,他に「亡霊」とか「幽霊」とか訳されているが,最近のある訳書では「実体がなく,死者の再現でもないという意味で」と訳注を加えた上で「幻影」と訳されている。
 しかし,やはりこれは「死者の再現」であり「幽霊」や「亡霊」であるはずだ,と私は思うのだ。原語がどういう意味か,いやそれ以前にドイツ語を,私は全く知らないが,ここではドイツ語の勉強が目的ではないから,なぜ,ドイツ語も知らない私がそう考えるに至ったのかをハッキリさせたいと思う。

 この書が出た当時,世の貧乏人たちは魂をゆり動かされ「これだ!!」と叫ばずにはおれなかったというが,それはその人たちやその人たちに連なる死者たちの哭き声の入ったものだったからではないだろうか,と思うことから考えたのだ。それは,殺られつづけ,しいたげられてきた者が,過去の苦しさ,うらみ,くやしさ,悲しみを託し,その「絶望とあきらめ」を「解放の希望」へと転ずることのできるものだったに違いない。
 それでは,わが国ではどうなのか?
 今の日本の政治家は,自民党も共産党も(?)みな「過去」を水に流し「バラ色の未来」を語るが,「解放」とか「革命」とかはそんなものではない,と私は思うのだ。「解放」とは,あたかもイチジク浣腸を使ってたまりたまった便秘から解放されるありさまと同じように,過去からの,殺られつづけおしつぶされつづけてきた者の,たまりたまったうらみ・恥かしさ,つもりつもった苦しみ・悲しみが,急激にドバーッと噴き出す,そんなものだと思う。つまり「過去からの解放」であり,決して「日本沈没亡国論」の類の「バラ色の未来」談義とその宣伝からは「解放」あるいはそれへの道はひらけない。
 確か二〜三年前の選挙の時だったと思うが,新聞に――よく覚えていないし,切り取ってもいないが――ある有権者の選挙不信の声として,おおよそこんなことが書いてあったのを私は思い出す。「どの政党も,生活が豊かになりまァーす,というてて区別つけへん。わしは,たとえ貧しうても正直もんがバカをみさされん世の中を作ろう,いうて立候補する人がおったら支持するけど,もう棄権しよか」。
 「物価高,PCB汚染,食品公害,自然破壊」が問題だとする主張は,「過去=現在」を語っているのではなく,あやしげな,ひょっとしたら敵の手先の主張かもしれない。今の社会は誰にとっても住みにくく生きにくい,という主張が隠されていることが考えられるからだ。言いたい放題言いやりたい放題やっている人間にとってこの世は天国であるが,言いたいことも言えず言いたい放題言われ,やりたい放題やられつづけている人間にとってはこの世は地獄なのだ。
 人民は,政治家どもの「未来」談義に背を向けて,艶歌(演歌・怨歌)に自分の口に出せない感情,一人一人の怨念悲傷を託す。泣くかわりに歌うことで人々は耐えて生きる。艶歌は,未組織プロレタリアートのインターなんだよ,と作家五木寛之はその作中人物に語らせたが,全くその通りだと思う。つまり,残念なことに日本中の貧乏人がうちふるえながら身を託すことができるものは「絶望とあきらめ」のものだけであり,それを「解放の希望」へと変えるもの,たとえて言えば,日本の共産党宣言は,まだ生まれていない。

 その一つのあらわれが,各地に散在する労働学校・労働者講座の類のもの,さらに広く現在の日本の世直し派の学習の内容にある。
 それはこうだ。つまり,多くはマルクスやレーニンの古典と「現場から」とでも名付けられる個々のたたかいの報告との二本立て,あるいはどちらか一本というふうになっている。そのため今の世の中を転覆できるという確信が腹の底から持てない。そしてたとえば,「えらい人になってからそういう運動をすればいい」というふつうの人の声を打ち破れず(これは「日本革命の当面する重要な問題」だ!),「狂信的(??)」な「共産主義の必然性への確信」の上に,事大主義的・教条主義的なつめ込みをやるばかりとなっている。他国の知識がいくらあっても日本を知らなければ何にもならない。一方,「現場から」の「なまの声」は,その中に普遍性を見出せないうちはいくら「交流」「統一戦線」をはかってもバラバラなままとなる。この本の企画・編集などもその一つの例ではないだろうか。
 日本の共産党宣言(日本共産党とは何の関係もないよ)を! 世の兄弟たちが,一人ぼっちの「絶望とあきらめ」を「解放の希望」へと変えるような,泣きながらふるいついて読むような,そんな解放の教科書を!

 一九六八〜六九年の全国学園闘争(全共闘運動)の一つとして,七〇年六月以降のN高闘争があった。六九年一月の東大「安田講堂攻防戦」を学校さぼって家のテレビで見てた私は,中学三年生だったが,体をはってたたかう全共闘に共感を感じ,よし俺もと思いつづけていたのが実際のこととなったのだ。最初「安保反対」をかかげた三日間の全校ストライキが成立したことからそれは始まり,やがて「試験制度全廃」決議,「期末テストボイコット」「ハンスト」へ,人をふり分ける教育解体へと進んでいった。しかし,くやしくもこれも他の高校・大学と同じように「敗退」させられていった。
 このまき返しは「安保」「沖縄」や「入管」――要するに街頭デモへという流れ――でははかれない,やはり自分の生き方をもって労働者との連帯を示さねば,たたかいが,また自殺してしまった仲間が生かせない,そう思い一九七一年六月,学校をやめ,親とケンカし家を出て働きはじめた。セクトに反発しつつ,労働者・農民の生活と労働の中へ入っていった青年学生の流れは,全共闘以降の一つの必然的な流れだった。
 荷運び,山仕事,畑仕事,そして釜ヶ崎へ。現場で感じたのは,その死が生かされずボロボロボロボロ死んでいく労務者の多さだった。足場から落ち,土砂くずれで埋まり……じつによく死ぬ。

 そんな時,偶然,一つのことを決意するに至るキッカケと出合った。一九七二年秋,彼岸の中日の九月二四日に,私は大阪・四天王寺境内で行なわれた「行方不明者相談所」で資料をのぞいたのだ。そこには昭和二六年以降,全国の警察で取り扱った身元不明の死者二万二千体の記録・顔写真などが備えられていた(主催=大阪府警本部鑑識課)。そこで見た「西成」署扱いの者の多さを。そしてそのほとんどが「労務者風」であることも。死んだ「仲間」の,目をむき半分つぶれ,あるいは腐乱した顔を見ていて,聞こえてきたのは,たとえ遺体の口の部分がなくとも,その無念さを伝えようとする声だった。死んでしまった彼らの死を生かすすべは,その実態調査とそれを社会に伝える作業だ,と思い,さっそく仲間に呼びかけた。
呼びかけ 年間三〇〇名の行路病者の死を生かすために! もっともっと具体的・徹底的・全面的な調査研究を!! 一九七二・九・二四(二五加筆)
 少数だったが調査グループを作り,それは始められた。そして一一月二三日(勤牢感謝の日)の朝,センターで「無名労働者追悼集会」を催し,殺られた仲間を弔った。
 一二月六日には,西成市民館に一五〇人が集まり,「釜ヶ崎労働者をくいものにする悪徳病院糾弾集会」がおこなわれた。そこで「仲間の『野たれ死に』を生かすために」という調査の報告をやった。
★一九七二年三月二八日午前一〇時三〇分,ドヤ「パレス」で,そうじ人が室をそうじにいった時に,宿泊していた千葉三郎さん(本籍・香川県)が死んでいるのを発見した。死因は窒息死。
★五月一二日午前一時五〇分には,阪和病院=住吉区南住吉町で,佐藤三之助さん(自称)が亡くなった。死因は頭蓋骨骨折。前日午後一〇時四〇分頃,ドヤ「キヨタキ」の管理人が,宿泊費をとりに行った時,倒れていたので救急車を呼んだものだった。
★七月七日午前一〇時四五分頃,西成区東田町二三番地ヒノデホテル六階六六五号室で,二月以来投宿していた通称山口または山内さんが死んでいるのを,同宿人が午前一〇時頃帰宅して発見,管理人に届け出た。彼はフトンの上に上向きになり死んでいた。三五,六歳,一m六〇,六五キロ位,色浅黒,前髪二cm位……。
★一一月一九日午後一時五分ごろ,西成区東萩町五二,南海電鉄天王寺線今池―天下茶屋間の踏切で,天下茶屋行き普通電車に,仲間の一人がしゃ断機をくぐり抜けて飛び込み即死した。身元不詳。五〇〜五五歳,うぐいす色スポーツシャツ,黒色ジャンパー,紺色ズボン姿で,サンダルばき。
★一一月二六日朝,西成区出城通の空地で一人の仲間の死体が発見された。寒空の下で行倒れたところをトラックにひかれ,そのまま放置された遺体は,野犬に襲われ,人相もわからぬほどに食い荒らされた。持っていた日雇失業保険手帳から山本さん(五三歳)=本籍・滋賀とわかった(「毎日新聞」に大きく報道された)。
 (以下略)
 翌一九七三年一月一六日,再び「仲間の死の調査を!」と呼びかけ,さらに多くの人数でもっと具体的に調査が行なわれた(報告書を読んで下さい)。
呼びかけ 一人さびしく殺されていった,そして「無縁仏」とされた人たちの調査をしよう! 一九七三・二・二七

 人民にとって,肉体的生命の死は,社会的生命の死の極限的な,しかし一つのあらわれである。行動を制限され,発言を封ぜられ,つまるところ生命の発動を封じられているという社会的生命の死の追認である。自然死という形をとって,多くの人が殺されていっている。肉体がボロボロになるまで収奪され,生涯にわたる奴隷として,あきらめと絶望とを強要される生活の行く末として,「野たれ死に」がある。
 「今の社会どこかまちがっている」「世直しが必要だ」と考えている人は,ほんのひとびぎりの者を除くほとんどだと思う。言いたい放題言い,やりたい放題やっている権力者・侵略者どもを除く多数の人々がそう思っている。しかし,奴らは少数だがバックをもっている。奴らに追随し,「弱者」をおさえつづけている「専門家」ども,教師・医者・ポリ公などがそれである。多数の「弱者」が奴らと奴らのバックをおさえこむためには,バラバラでなく心を一つに合わせて力を強くしなければならない。
 しかし,今,人民は,バラバラにさせられている。「弱者」の心の中に,ブタ共のきたない心が入り込み,心が一つにまとまっていない。「人の不幸をよろこぶ」「人の死を何とも思わない」そういう人間が多すぎる。「強者」にこびをうり「強がり」をやる人間が,こういう態度が,上下を作り,人を殺しつづけ,世に悪をはびこらせている。この態度を改め,世直しをするためには,他人の死を教訓にし,その死を生かさなければならない。
 身元不明の死者は,一九五一年から一九七二年七月までに二二,〇八三人,しかも,毎年ふえているという。供養する縁者のない,浮かばれない霊が,日本中,宙を舞い,殺人鬼たちへの「怨念」が渦巻いている。釜ヶ崎でも「野たれ死に」は年間二〇〇人とも三〇〇人ともいわれるが,正確にはわからない。凍死,病死,現場での労災事故死・自殺……。
 汗水流して働く者の方がバカにされ,一人で各地を放浪し,一人さびしく殺され,誰一人弔う者もない。社会の主人公なのに「縁の下の力持ち」といいくるめられた彼らは,「家」をバラバラにされている。彼らに養われている,白い手をした人間は,そうではない(もっとも奴らは地獄におちるのだろうが……)。このまちがいを正していくために,力のない(心を一つにすれば一番強い)者は,仲間同士手をつなぎ,一人一人弔っていくことが必要だ。そして,彼らの死は,何に対する抗議なのか,共に考えていこう。
 ★「強者」的な弱い結びつきをこわし,「弱者」的な力強い団結を作ろう!
 ★「強がり」をやめ「弱さ」を互いにさらけだしあい,腹の底から団結することによってのみ強くなれる!
 提起1 全国の「行旅死亡人公告」「死体火葬許可証」を調査しよう! 全国の市区町村の役所にある。閲覧自由。
 提起2 全国の神社仏閣・斎場を調査しよう! そして宗教のはたした役割・葬儀の習慣を調査しよう! 今の「坊主」共は,死者の死を生かす=人民の怒りの集約者では,断じてない。死者を足げにするのみ。
 提起3 12の調査をもとに,殺られた人民の「生きざま」を社会化するあらゆるやり方を考え,人民の葬式(追悼式)を行なう「風」を広めよう!
 提起4 以上をつなぐ「センター」をつくろう! これは我々がやろうと思います。情報を集中して下さい。
 「労務者,酔って凍死」――冬になると毎年,新聞の社会面の片すみにこんな新聞記事がのる。私は今まで,こんな記事に目もとめなかったし(あなたはどうですか?),目にとめるようになってもまず頭にうかんだのは「あァ労務者か」「あァ酔っぱらってたんやなァ」「へやにも帰らず路上で寝てたんか」ということでした(あなたはどうですか?)。
 これは帝国主義者の考え方だ。これはどういうことか。労務者は人ではないのか? 問題は労務者,しかも酔っぱらった労務者なんか人ではないということにとどまらない。あなたの本心はどうか,私と同じだとしたら,洗いざらいぶちまけて,なぜそうなったのかをはっきりさせて,自分の中から敵の心をたたき出そうではないか。
 あなたの住んでいる家は誰が作ったのか?
 あなたの食べている米は誰が作ったのか?
 あなたの歩いている道は誰が作ったのか?
 そこには,労務者の,農民の亡霊がついている。『小学三年生』付録には,強制労働でそれらを作らされた精神病者の霊が生きている。大阪駅のコインロッカーは,捨てられた赤ちゃんの霊がとりまいている。
 「人の不幸を何とも思わぬ」鬼の心をおいだし「人の不幸は我が不幸」という豊かな階級兄弟の感情をとりもどそう! そして鬼をして人間的亡霊革命の前にブルブルブルブル戦慄せしめよ! 万国の亡霊団結せよ!
 人民の葬儀屋「人民公益社」は一九七三年春彼岸,出発した。




[校訂規準] 2003.10.14/.19 転載にあたって読点「、」は「,」に、傍点は傍線に、それぞれ変更しました。




(おわり)


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前田年昭 MAEDA Toshiaki
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