煙草戦争路地裏見聞録
二〇〇三年夏




2003年10月

前 田 年 昭
日雇編集者

『ユリイカ』2003年10月号 所収

都市の上空には/無数の声が/電波となって/満ち満ちている。
[黒田硫黄『セクシーボイス アンド ロボ #1』二〇〇二、小学館]

社会運動としての嫌煙権運動がいま,日本社会を席巻している。いわゆる“路上禁煙条例”は東京・千代田区から全国に拡大し,街には「マナーからルールへ」というポスターが貼られ,商業新聞は『朝日』を先頭にして「健康」と「自己責任」をキーワードに禁煙キャンペーンを繰り広げている。以下は,嫌煙権運動を胡散臭いと感じ,だが禁煙ファシズムという決めつけも何だかな,という私(非喫煙者)による,今夏の煙草戦争見聞録の一部である。今どき強い煙草を吸っている人はだれか。アジア・中東からの出稼ぎ者ら,いつ死んでしまうか分からない人生を受け入れている人たちである。

「健康増進法」が一日から施行され、関東の大手私鉄八社は受動喫煙防止策として、同日朝から七三〇全駅で終日全面禁煙に踏み切った。JR東日本も一部で時間禁煙を実施し、禁煙の拡大に向けた検討を始めた。
『毎日新聞』二〇〇三・五・一

五月に施行される健康増進法では、学校、病院、事務所、百貨店など多くの人が集まる施設では、受動喫煙の防止が定められた。きちんと分煙できていない施設は、「法律違反」の烙印(らくいん)をおされることになる。
「禁煙特集・健康増進法施行」『アサヒ・コム』二〇〇三]

NO!
厳しいのは条例ではなく、モラルをなくした現実です。
マナーから、ルールへ。千代田区生活環境条例
安全で快適な生活環境を守るために。
やめましょう 路上喫煙・吸いガラのポイ捨て・路上障害物
※その他、看板や違法チラシ、落書き、違法駐車等を厳しく取締まっています。
※条例に違反した場合には罰則が適用されます。
千代田区 TEL.03-3264-2111 http://www.poisute.com
[ポスター「きれいな環境、住みたいまち/千代田区」のもの、二〇〇二―二〇〇三]

一昔前まで編集現場なんてのは煙草の煙がモウモウとたちこめてというイメージがあったが、そうはいかなくなっているのである。[…]一式数十万円にもなるシステムを導入するなど二〜三年前から禁煙・分煙に社を挙げて取り組んでいるのが小学館。総務局・新保ゼネラルマネージャーによると「[…]健康増進法施行に伴い、特定の場所以外、喫煙できないという決まりを徹底するよう努力しています」
[「出版界でにわかに進む禁煙・分煙」『創』二〇〇三・一〇]

たばこは銘柄一つにして、20本入り一箱50000円にすべし/闇たばこで捕まった奴は市中引き回しの上、ニコチン注射で死刑。
つか嫌煙者ウザイ。/どーせ嫌煙者って社会的不適合だろ?
あ〜〜〜〜カスどもめ!!/喫煙者ってマジウザイんだよ!!/学生のころ、ボランティア活動もしないで/遊んでばかりいたような奴/ばっかでアホなんだよな。/つーか喫煙者はくたばれや!!
歩きタバコしている奴は、/無条件に殴っても罪に問われない法案をきぼーん。/むかつく。
[ネット掲示板「タバコを吸う馬鹿どもへのレクイエム…」スレッドの三番、五番、四四番、一五〇番、2チャンネル、二〇〇〇]

第9条 何人も、公共の場所においてみだりに吸い殻、空き缶等その他の廃棄物を捨て、落書きをし、又は置き看板、のぼり旗、貼り札等若しくは商品その他の物品(以下「置き看板等」という。)を放置(設置する権限のない場所に設置する場合は放置とみなす。以下同じ。)してはならない。
2 区民等は、公共の場所において歩行中(自転車乗車中を含む。)に喫煙をしないように努めなければならない。
「安全で快適な千代田区の生活環境の整備に関する条例」千代田区条例第五三号、二〇〇二]

喫煙は、/学歴が低い
テメエのようなニコ中が死ねば済む問題なんだよ、ボケ
喫煙=キチガイ/疑うまでもなく事実である
[ネット掲示板「喫煙者は謝れ」スレッドの五六番、六六番、六九番、2チャンネル、二〇〇三]

マナーからルールへ
千代田区は、安全で快適なまちづくりを目指します。
この富士見・飯田橋地区内では
1.路上での喫煙の禁止
2.道路上への置き看板等の設置の禁止
3.吸いガラ、空き缶・ガム等のポイ捨ての禁止
1〜3に違反した場合は、平成14年11月から罰則が適用されます。
なお、過料は区職員が身分証明書提示の上、徴収します。
[立て看板「千代田区・麹町警察署・富士見地区生活環境改善推進連絡会」のもの、東京都千代田区富士見二丁目、二〇〇二―二〇〇三]

八月某日,快晴。禁煙啓蒙の立て看板は神田ではサラ金の看板に埋もれていた。飯田橋では写真を撮ろうとしたら近くの交番の警官が「キャンペーンの方ですね」と親切にも看板前の自転車をどけてくれた。妙な気持ち。非喫煙者の私ではあるが,煙草戦争のどちらかに与しようという気はないのに。

警視庁少年育成課などは七日夜から八日早朝にかけて、JR渋谷駅前の渋谷センター街など東京都内各所の繁華街で、少年、少女の一斉街頭補導を実施、深夜はいかいなどで九七七人を補導した。同課によると、警察官やボランティア計約三一〇〇人が一斉補導に当たった。内訳は、深夜はいかいが六〇三人、喫煙が二三二人など。[…]/七月に起きた四女児監禁事件を受け、警視庁は夏休み期間や週末などに繁華街に集まる少年、少女の補導を強化。渋谷では夏休み期間中、少年二八五人、少女三五〇人の計六三五人を補導した。内訳は喫煙三三九人、深夜はいかい二三九人、無断外泊四四人、家出八人など。
[共同通信・社会ニュース(gooニュース)、二〇〇三・九・八]

健康増進法の施行など禁煙の動きが広がる中で、宮内庁は天皇、皇后両陛下が感謝の品として配布している「恩賜のたばこ」を見直すことを決めた。
『毎日新聞』二〇〇三・七・三

免疫力を低下させるそれが た・ば・こ!/病気を治りにくくするそれが た・ば・こ!/体力を低下させるそれが た・ば・こ!/口臭を臭くするそれが た・ば・こ!/体臭を臭くするそれが た・ば・こ!/服を臭くするそれが た・ば・こ!/頭の働きを悪くするそれが た・ば・こ!/花粉症を悪化させるそれが た・ば・こ!/肩こりを悪化させるそれが た・ば・こ!/腰痛を悪化させるそれが た・ば・こ!/ハゲやすくするそれが た・ば・こ!/肌を汚くするそれが た・ば・こ!/吹出物をできやすくするそれが た・ば・こ!/採用試験で不利になるそれが た・ば・こ!/客から白い目で見られるそれが た・ば・こ!/ニコチン中毒になるそれが た・ば・こ!/奇形児を出産しやすくするそれが た・ば・こ!/流産、死産になりやすくするそれが た・ば・こ!
薬物汚染屑どもは隔離入院か牢屋にぶち込め♪
お前ら喫煙者はゴキブリ以下の生物だなw
[ネット掲示板「喫煙者は社会のゴミ!灰と一緒に消えてしまえ」スレッドの四〇番、七四番、一五四番、2チャンネル、二〇〇三]

分煙の徹底を推し進める健康増進法の施行が五月に迫り、七月にはたばこ税の増税が予定されるなど、たばこをめぐる環境が大きく変わろうとしています。たばこを吸う人には煙たいかも知れませんが、やめたい人にはいい機会です。
「禁煙特集・健康増進法施行」『アサヒ・コム』二〇〇三]

煙草吸いの分際で飯屋に入るな!車運転してえらそうにするな!/くさいんだよ!/てめーらが毒煙吐くだけで俺は肺がいてーんだ!1時間は気持ち悪いんだ!/心臓がドキドキすんだよ!/おめえら煙草吸いは殺人者なんだよ!わかってんの?/てめーらが吐く毒煙は子供や心臓、体の悪い人間を殺してるんだよ!/煙草吸いの分際で偉そうに人間と同じ事すんじゃねーよ。/てめーら煙草吸いは人間じゃねーんだよ。/人間が何の為に煙毒すうんだい?/サルだって肺にはいれないぜ!/てめーらは世の中の害悪!ゴミなんだよ![…]/PS/煙草吸いは救急車とか利用しないでください。/自分で自殺してるんだから!必要無いでしょう!/もちろん病院にも行く資格なし!自殺してんだから毒吸って。
喫煙者は人を見たら吸うな!殺人と同じだ!/自殺は1人でしろ!
喫煙族は、/ニコチン、タールなど/約400種類以上の/有毒物質を撒きちらす/害虫、ゴキブリ
年間12000人が受動喫煙による健康障害を患っている。/その中には肺癌などの深刻な病気も含まれており、本人に喫煙歴がないため/肺の汚れ具合から、受動喫煙が原因と判断せざるを得ない。/まさに、喫煙者=殺人者という呼び名が相応しい理由である。
[ネット掲示板「喫煙者は人を見たら吸うな!殺人と同じだ!」スレッドの一番、八番、一四二番、一五〇番、2チャンネル、二〇〇三]

喫煙者はホワイトカラーよりブルーカラーに多い。だが関係は単純ではなく入り組んでおり,男が女の煙草を拒むことが逆の関係に比べて少なくないことは,煙草の男性性を表している。マナーや道徳は歴史的相対的なものでしかないが,歩き煙草やポイ捨てを悪とするそれはいつごろから顕在化したのだろうか。喫煙という習慣の力が他方で今,強烈な法の力を背にした罵倒に曝されている。罵倒はされる側よりもする側をより非人間的にするが,そのことはほとんど自覚されない。本人に自覚がなくても罪,という副流煙被害への非難は煙草のみたちを黙らせるに十分で,この関係は差別を知らないが故に差別意識に浸かっていると糾されたりする関係と類似してはいないだろうか。嫌煙派対喫煙派の運動と言説における力関係は嫌煙派が絶対の正義を誇示している――ようにみえる。電子掲示板の匿名者たちは何に苛立っているのか。

嫌煙権という耳慣れない言葉が大きくマスコミに登場したのは一九七八年二月一八日のことである。この日、東京・四谷にある日本写真文化会館で、嫌煙権の確立をめざす市民運動の発足会が催された。[…]「嫌煙権」の市民運動の旗上げである。[…]次のようなアピールを採択した。/○病院、保健所など、住民の健康を守るべきすべての施設を禁煙にするか喫煙場所を限定する。/○国鉄および私鉄各駅の構内とすべての車両を禁煙にするか喫煙場所を限定する。/○すべての学校、教育施設を禁煙にするか喫煙場所を限定する。/○小学・中学・高校の教育課程に禁煙教育をもりこみ、週一回〜月二回程度の授業を行なう。/○その他、逃げ出すことのできない職場、住民の税金で運営される公共施設は禁煙にするか喫煙場所を限定する。/○専売公社はタバコのコマーシャルをすべて廃止し、その広告費を喫煙者にマナーを守らせるための宣伝に使う。
[伊佐山芳郎『嫌煙権を考える』岩波新書、一九八三]

米疾病対策センター(CDC)は四日、たばこの健康影響に関する米国初の調査報告を「疾病死亡週報」に掲載した。それによると、国民の約三%にあたる約八六〇万人が、喫煙に関係した慢性疾患に苦しんでいる。/最近の国民健康栄養調査と国勢調査、行動危険因子調査の三種類の統計をもとに、〇〇年の時点のデータを推計した。現喫煙者だけでなく、過去に一〇〇本以上の喫煙歴のある人も対象。非喫煙者への副流煙の影響は含んでいない。[…]/直接の医療費だけで年間七五〇億ドルがかかり、生産性の低下は八二〇億ドルに上る。
[『朝日新聞』二〇〇三・九・五]

身体に悪いなどと言い出せば、世の中のすべてのものは身体に悪い。冷め切って言えば生きていることが一番身体に悪い。この問題は市民生活のマナーの問題であり、差し止めとか慰謝料とか裁判に持ち込むことがおかしかったと思う。一斉禁煙などはファシズムにつながるのではないか。
[團伊玖磨(東京地裁嫌煙権訴訟判決へのコメント)『朝日新聞』一九八七・三・二七、伊佐山芳郎『現代たばこ戦争』岩波新書、一九九九、から孫引き]

そもそも嫌煙権運動というものは、間接喫煙によって健康を害ないたくないという、弱い立場の人間による切なる願いの運動なのである。そのような人権主義者がいくら多数集まってみても、異質の民族主義的・国家主義的ファシズムになどなりえようがないことは、論理的にも現実的にも明らかではあるまいか。
[佐竹寛『ジュリスト』一九八七・五・一五、伊佐山芳郎『現代たばこ戦争』岩波新書、一九九九、から孫引き]

副流煙被害の発見と被害者の告発がもたらした,分煙という人間の「分別」は差異のいっそうの意識化を加速した。新幹線では「喫煙車は煙過ぎるから,席は禁煙車にとって吸う時に喫煙車に行く」喫煙者,「禁煙車は子どもがうるさいから,席は喫煙車にする」非喫煙者…,苛立ちはそこここで増大する。差異の発見と棲み分けという「民主主義」は何かを解決したのか。「正義」を握った「弱者」が他者を罵倒する「強者」に転じる結果を生んだだけだったとしたら……。

[ロバート・N・プロクター、宮崎尊訳『健康帝国ナチス』草思社、二〇〇三、の書評のなかで]当時のドイツのガン研究は、健康立国を志した政権の全面的支援のもと世界の最先端を行くもので、タバコはもとよりアスベストや農薬、食品着色料までもが規制されている。集団検診が徹底され、労働安全が配慮され(つまり危険な職場にはユダヤ人や外国人が動員され)るようになり、予防医学の見地から、肉や糖分、脂肪の過剰摂取が戒められ、野菜や果物など自然食品への回帰が盛んに喧伝される。パン屋は全粒パンを焼くことを義務づけられる。ダッハウ強制収容所の囚人たちは有機栽培で育てた花から蜂蜜を作らされていた……。ゾーッとするほど今現在の健康志向と似ているではないか。
[米原万里「私の読書日記」『週刊文春』二〇〇三・九・一八]

「健康第一」の思想は、アメリカの支配的イデオロギーの一部となっているが、そこには単純にして邪悪な理由がある。それは今や経済において大きな位置を占めている健康産業に直接的な利益をもたらしていると同時に、容赦ない産業開発によるさまざまな荒廃の隠蔽に手を貸しているのだ。おかげでわれわれは、自身の生活史ならびに生と生存との関係に注ぐ目を、曇らされてしまっている。
[リチャード・クライン、太田晋・谷岡健彦訳『煙草は崇高である』太田出版、一九九七]

[…]奈良県大和高田市立病院内科医長、高橋裕子さんは一歩進んでインターネットを使った「禁煙マラソン」という療法で成果をあげている。パソコンで受診するのだから手軽だし匿名性も保証される。突然禁煙して家族や職場の喝采(かっさい)を浴びたい向きにはうってつけの方法かもしれない。/高橋さんは近著「タバコをやめられないあなたへ」(東京新聞出版局)で「ニコチン中毒は病気の一種」と断じながらも「『意思が弱いから禁煙できない』はウソ」と書いている。自分に合った方法を見つけて実行さえすればかなり容易に、高い確率で禁煙できると。
「余録」『毎日新聞』二〇〇〇・五・二九]

[…]嫌煙権訴訟の頃は、喫煙者は、まわりの者の迷惑を顧みず煙を吹きかける、非喫煙者と対立する存在であった。その喫煙者が被害者となって、非喫煙者とともにたばこ会社を告発していくためには、しかし、「いけないと知りつつ、ついたばこに手を出す」意志の弱い人間として自らを提示しなければならず、それは、自らを独立した人格と見なす自己意識を決定的に傷つけることになる。「禁煙しようと思えば自分は止められる」と思うことが喫煙者の人格を支えているとするならば、止められない中毒者として喫煙者を描くたばこ訴訟には、喫煙者の実感と離れた、むしろ「たばこなどに手を出さない」どこまでも非喫煙者の論理に立った訴訟という面があるであろう。
[棚瀬孝雄編『たばこ訴訟の法社会学』はしがき、世界思想社、二〇〇〇]

僕自身はたばこを吸いません。でも、たばこの香りも見た目の紫煙も、好きです。[…]「吸う人」と「吸わない人」とに分けて、「善い」「悪い」と言いたがる。対立の根拠や正当性がないまま、ただ二つに分けて、片方は善くて片方は悪い、と言うのはおかしい。[…]/そういう自由な考えがたばこの世界にも広まるように、まず、吸う人には、誰から見てもかっこいい粋な吸い方をしてほしい。たばこを吸わない人や禁煙運動をしてる人が、「でも、あの人の吸い方、いいね」と思うくらいの吸い方を心がけてほしいですね。その代表が、大人の品があって、ほれぼれと見とれるほどきれいな、淡路恵子さんの吸い方だと思っています。
[永六輔「「二元論からの自由」のススメ」、コネスール編『たばこの「謎」を解く』河出書房新社発売、二〇〇一、所収]

私はたばこを覚えた昔から、上司や目上の人の前では喫わない。婦人には許しを乞う。しかし不当な干渉者の顔には意地でも煙を吐きつける。おのれを矜り高き日本人と信ずるがゆえである。
[浅田次郎「たばこ飲みのひとりごと」『たばこの「謎」を解く』所収]

「文士」たちには,嫌煙権利主張に包囲されている嫌な感じも,止められない中毒者としての後ろめたさもないのだろうか。「不当な干渉…には意地でも煙を吐きつける」という言葉は2チャンネルの「喫煙族は害虫」という言葉と同じ土俵ではないか。報復の連鎖。良心の呵責や後ろめたさの感情という「加害の自覚」が文学の精神ならば,その精神を欠くばかりか対極ともいえる,正しい自分が「不当な害虫」を糾すという立場と観点は,文学自身の緩慢な自殺ではないのか。

木村 ただ、条例つくりました。みんなで守りましょう。
小山 まるで学校のようだ。だから規制しても誰も守らない。
[座談会「ニコ・ジャン戦略会議」での木村浩一郎と小山尭司の発言、プレスプラン編集部編『タバコを吸わせろ』サンクチュアリ出版発売、二〇〇二、所収]

マナーに期待できない、だからルール作った
[石川雅巳「ひと 路上禁煙条例を施行、東京都千代田区長」見出し、『毎日新聞』二〇〇二・一〇・二〇]

罰を科すのは、あくまでも反社会的な行為でなければならない。いま、特に都市部を汚している犯人は、ポイ捨て、落書き、カラスの三つがとりわけ凶悪で、腹立たしいことこのうえない。住みよい社会をかき乱す犯罪的な行為である。罰せられていい。[…]どうしてポイ捨て退治をするか、となって、千代田区は過剰反応をしてしまった。ポイ捨ての犯人は〈歩きたばこ〉だから、根を断て、ということで、〈歩きたばこ〉そのものを禁止し、処罰する挙にでたのである。車の排ガスが有害だから、車の運転を禁止する、という飛躍した理屈と変わりない。
[岩見隆夫「禁煙ファシズムではないか」『サンデー毎日』二〇〇二・七・一四]

私は、脚本の初稿を読んだ時の衝撃を良く覚えています。機知に飛んだ[ママ]突飛な内容の下に潜む彼の恥ずかしいまでに個人的かつ親密な告白の物語を見たからです。これは自慰行為の場面のことではありません。映画の中での自慰行為は、今やせいぜい煙草を吸う行為と同等の恥ずかしさでしかありません。ロスで恥をかきたいのであれば煙草をくわえれば良いと言われています。
[ロバート・マッキー「日本の観客の皆さんへ」『CINEMA RISE No.128 アダプテーション』アスミック・エースエンタテインメント、二〇〇三]

禁煙によってメシと空気が美味くなるという神話。まるで現世が嫌なのは社会が悪いからではなく個々人が悪いから――みたいではないか。これは,現実の社会戦争の隠蔽である。「地球や自然の保護」「人間の健康」という誰も反対しない口実は,メシと空気を不味くしているどころかメシと空気を奪っている真犯人を免罪している。エコも健康食品も無縁な貧者には狂牛病が危険と言われても牛丼をせいぜい一か月我慢するほどしか「選択」の権限など与えられていないのだ。

[…]一八四八年に、煙草の人気が沸騰したことは偶然ではない。社会動乱や戦争や経済危機の時期における煙草の有用性と価値が、どんな社会でも認められていることは、その消費量の急激な増大ならびに喫煙に対する公衆の態度の激変からも判断できる。
『煙草は崇高である』

当時米国内で、ベトナム反戦運動を行った学生層や青年層は、“Alcohol is their drug, murihuana is ours”“drop out, turn on, love in”と唱え、大麻と幻覚剤の使用と徴兵拒否はヒッピー、ビートと言われる若者たちの対抗文化の象徴になった。同時代の「東京戦争」で、新宿駅西口に集って機動隊と小ぜり合いを反復した「ベ平連」グループと、東口グリーンハウスに集ってシンナーを吸引していたフーテン族はわが国ではついに結びつかなかったけれど、米国では対抗文化として、これが結びついた。
[小田晋「世界麻薬戦争」『イマーゴ』一九九〇・七]

喫煙派と嫌煙派によるネット上の掲示板や新聞の投書欄での煙草論議は,言葉の激しさと裏腹に,日々の,ときに切実な喫煙,禁煙の実感から遊離した“出来レース”に見え,はたして当事者は存在するのか,疑問だ。私が注目するのはそのような煙草論議ではなく,社会運動としての嫌煙権運動である。全共闘運動(六八年革命)以降,様々な「弱者」「被害者」からの異議申し立て運動が起こり,声を上げ始めた「被害者」だけでなく,他のまわりの人びとにも「良心の呵責」「疚しさの自覚」を呼び起こした。嫌煙権運動もまた一面では公害反対や環境保護の運動の延長上にあるが,「被害者」が国家に法的保護を求め,活動家による代理,代弁による社会運動へと変わっていくに及んで,言説上では「被害者」は(奴隷阿Qのままで)即「強者」に反転し,反対者は沈黙させられてしまった。しかし「弱者」が弱者であることを根拠に「普遍的支配権を請求すること」はできないのである。

あのとき、/もう/選んでいたんだ。/地獄を。
[黒田硫黄『セクシーボイス アンド ロボ #2』小学館、二〇〇三]

この[喫煙を自由主義的なパラダイムに適合する自己決定として位置づけること――引用者]失敗の真の原因は、喫煙が「小児科の病気である」という対抗言説が正しいことではなく、純粋な自己決定なるものがそもそも存在しないことにある。我々は、なかなか変更しにくい雑多な習慣や嗜好をいつの間にか身に付け、銃を向けられていないにしても、様々な圧力を受けつつ日々の生活を営んでいる。無数の選択は半ば無自覚的に行っているものがほとんどであり、重要な選択も、極めて不完全な情報と勘や運だけを頼りに、最後はエイヤッと決断することが常である。我々の前にあるのは一面のグレーゾーンであり、自己決定か否かの明確な峻別が我々の道徳的世界を秩序づけているわけではないのである。
[佐藤憲一「嫌煙の論理と喫煙の文化 自由主義的パラダイムの陥穽」『たばこ訴訟の法社会学』所収]

千代田区は、日本の政治経済の中心地として四〇〇年の歴史と伝統と風格を備えたまちである。/そこには、そのなかで住み、働く人々によって形成され、護られてきた生活環境がある。これを、護り、向上させていくことは、先人からこのまちを受け継いだ千代田区に住み、働き、集うすべての人々の責務である。[…]しかし、公共の場所を利用する人々のモラルの低下やルール無視、マナーの欠如などから、生活環境改善の効果は不十分である。/生活環境の悪化は、そこに住み、働き、集う人々の日常生活を荒廃させ、ひいては犯罪の多発、地域社会の衰退といった深刻な事態にまでつながりかねない。
「安全で快適な千代田区の生活環境の整備に関する条例」

昨年一一月から今月六日まで区の監視員が過料の切符を切ったのは二九一二件。約二割の違反者は罰金未納だが、約四六〇万円が徴集されている。
「東京駅周辺もついに路上禁煙に、罰金二〇〇〇円」『サンケイスポーツ』二〇〇三・五・一一]

たまには戦争だってしたいんだ、ぼくたちは!
[矢作俊彦・大友克洋『気分はもう戦争』双葉社、一九八二]

「ガーディアン・エンジェルス」は、一九七九年に、当時危険であったニューヨークの地下鉄をパトロールし始めた一三人の若者で結成された犯罪防止ボランティアです。日本では、一九九五年その東京支部として発足、一九九九年には特定非営利活動法人に認証されて、「日本ガーディアン・エンジェルス」として犯罪防止活動をしています。[…]私達は「見て見ぬふりをしない」をモットーに、犯罪を犯さない人づくり、街づくりのため青少年の健全育成にも力を入れています。[…]「小さな犯罪でも見逃さないことが犯罪防止に役立つ」という犯罪予防理論(ブロークン・ウインドウズ・セオリー)を渋谷地域での落書き消しで実践しました。
[日本ガーディアン・エンジェルス理事長・小田啓二、「中見利男の未来予想図」のサイト、二〇〇一?]

[…]違反者に過料二〇〇〇円の「納入通知書」を渡す。しかし逃げたり、黙秘、署名拒否したりする違反者のほか、殴りかかる人もいるため、区職員に警備員も加えた数人規模の「パトロール隊」が巡回する。
「福岡市「歩きたばこ禁止」条例が成立、来夏にも施行」『読売新聞』九州版、二〇〇二・一二・一九]

[…]区の条例施行後の『現場での指導員マニュアル』を見ると、冒頭の「大切なこと」のところに、「相手に対して一声掛ける際、最も大切なことは、その相手の容姿(一見して○○風)を瞬時に見極める……」とある。これでは行政が市民の監視・取り締まりを行うようなものである。さらに、今年四月からはパトロール隊の民間警備員に替わって警察官OBを導入し、取り締まりの強化を図っている。出向警察官による条例制定の問題もそうであるが、これは「行政の警察化」とも言える現象である。
[清水雅彦「いわゆる“路上禁煙条例”の問題点」『TASC MONTHLY』二〇〇三・七]

[…]民主党が、全国の路上で喫煙した人を「一万円の罰金または一カ月の拘留にする」という軽犯罪法の改正案を提出。「この法案に反対する人はいないだろう」と強調した。[…]「公共の場所または公共の乗り物において他人の身体または物件に対して熱による危険をおよぼさせるような仕方で喫煙した者」というのを新たに盛り込んだ案らしい。「どんな喫煙の仕方だ?」と笑ってはいけない。公共の場所などでタバコに火をつければ、一網打尽にできるような拡大解釈のできる文面なのだ。
『タバコを吸わせろ』

良き市民とはストリートとは無縁で、高セキュリティの私的消費地域にたてこもって出てこない。悪い市民とは、ストリートに出没し(したがってまっとうな仕事にはついておらず)、天網恢恢疎にして漏らさずを地でいくロス市警の監視システムに捉えられるのだ。
[マイク・デイヴィス、村山敏勝・日比野啓訳『要塞都市LA』青土社、二〇〇一(原著、一九九〇)]

社会運動としての嫌煙権運動につきまとう胡散臭さとは結局,病気や死を不健康,悪と断じ,それらの社会からの排除を呼号したとき,何が残るのかということにつきる。問われるべきは,啓蒙と教育で差別や害悪はなくなり,人びとは健康になるという考え方そのものではないか。左翼運動は「国民の正しい認識を確立し,差別の発生を防止」することを求めたが,その左翼運動の要求がますます管理強化を生むという皮肉。左翼はいっそう警察化し,「市民運動」は「被害」の報復と補償を声高に国家に要求している。もっと「害虫」を取締まれ,と。横浜のある「市民運動」は,霊園建設反対の理由として「墓地なんか作ったら,ネコとカラスとホームレスが入り込む」と言う。公共圏などどこにも無く,あらゆる「不健康な者ども」は存在してはならないというのだ。

異様なものというのは一瞬のうちにその周辺のバランスを崩してしまうだろう/平和や安全というのはバランスがとれている状態のことさ/人はバランスがとれていると安心するしバランスが崩れると不安になる/美人が好かれるのもそのせいだよ/造形的にバランスがとれているからね
[いがらしみきお『Sink 1』竹書房、二〇〇二]

「もうかんなかったんですか」
「何が?」
「他人の戦争で/いつも/太ってたんでしょ」
「えっ」「太ったって/それ……/ボクのこと……」
[矢作俊彦・大友克洋『気分はもう戦争』双葉社、一九八二]

(おわり)


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