リベラル・デモクラシーの共犯――鶴見俊輔の場合


連載・時評「タイムスリップの断崖で」第2回



2004年6月

絓(すが)秀実

『en-taxi』第6号(2004.6.28,扶桑社)に掲載されたものを著者の許諾を得て転載,また転載時(04.08.13)に著者の校正に従って誤植等を改訂。

 高遠菜穂子さんら三人がイラクのパルチザンに拘禁され,日本国内で「自己責任論」が沸騰した時,パウエル国務長官が「日本人は彼(女)らのような善意のボランティアの存在を誇るべきだ」といった意味の発言をしたことは知られている。しかし,この発言に対する高遠さんらを支援する日本の左派からの批判は聞かれなかった。これは奇妙なことではないのか。パウエルが相対的にリベラルで,ブッシュ政権内で「疎外」されているとは言っても,彼はアメリカの対イラク戦争の責任ある当事者なのである。日本の政治家とちがって,アメリカはさすがに度量が広いなどと感心している場合ではない。イラク戦争が,アメリカによるリベラル・デモクラシーの輸出という「大義」を掲げざるをえないのであれば(それは事実だ),左派は当然にも,パウエル発言を批判しなければならないはずだ。ブッシュ政権にとって高遠さんのような存在(NGOもジャーナリストも含む)は,「帝国主義の娘」(レヴィ=ストロース)とも言えるわけで,イラク戦争を遂行する上で,必要不可欠な「駒」だと言える。

 イラクのパルチザンが,もし,高遠さんらを,ただちに殺害したとしたら,どうだっただろう。彼らにとって,それは,充分にありえたリーズナブルな選択だったはずだ。なぜなら,高遠さんらの主観的なモチベーションはどうであれ,彼(女)たちほどアメリカが掲げる「大義」を担保してくれる存在はいないわけだし,ブッシュ政権にとってひそかに,しかし,最も都合のいい存在のはずだからだ。その意味で,まっさきに「自己責任論」を口走ってしまった小泉以下日本政府・政治家は,きわめて反ブッシュ政権的である。小泉がアメリカに追随したい(そのことで,中東利権を確保したい)のなら,率先して高遠さんらを「日本国民の誇り」と言うべきだったのだ。同じことを日本の市民主義左派について言えば,高遠さんらの善意を賞揚する彼らの運動が,本質的に「反戦」たりえないことも明らかだろう。左派もまたフセイン政権の崩壊を歓迎せざるをえないわけだし,結局のところ,リベラル・デモクラシーの注入による民主的な政権の樹立を望んでいる。これでは「反戦」でなく,イラク戦争支持ということになりはしないか。ここに今日の市民主義的反戦運動のディレンマも存在している。

 今日の反戦運動と,六〇年代のヴェトナム反戦運動との大きな差異も,ここに存在する。周知のように,六〇年代から七〇年代初頭の日本においても,「ベ平連」(ベトナムに平和を!市民連合)の市民運動が隆盛をきわめた。しかし,ベ平連の「アメリカはベトナムから出て行け!」というスローガンが有効たりえたのは,アメリカが出ていったあとには,ソ連なりヴェトナム共産党が存在したからである(その意味で,ヴェトナム反戦運動は,ソ連邦の極東戦略に合致していた)。ところが,イラクからアメリカが出て行った場合,そこに現出するのは,今やアナーキーな内戦でしかないことを誰もが予感してしまうのだ。「自衛隊撤兵」は言えても,「米軍撤兵」を第一義的に言うのをためらっているかに見える市民主義左派が,結局はアメリカのリベラル・デモクラシーと密通してしまう理由である(もちろん,米軍が国連軍に代わっても問題は変わりない)。

 今日,日本の左派の間では,ヴェトナム反戦運動を回顧する六〇年代市民運動の再評価が盛んになっている。しかし,六〇年代市民運動が今日においては反復不可能であることを認識しない時,きわめて安易に歴史の捏造が行われ,あたかも,それが事実でああり今日的であるかのごとき言説が生産されてしまうのである。『〈民主〉と〈愛国〉』(新曜社)で鶴見俊輔や小田実のベ平連運動のアクチュアリティーを賞賛した小熊英二が,上野千鶴子とともに鶴見にインタヴューした『戦争が遺したもの』(新曜社)は,そうしたものの代表例と言えるだろう。鶴見の近年の回顧的言説のいかがわしさについては,すでに,やはりベ平連関係者であった栗原幸夫の「『自由主義』以後の思想的境界(続)」(一九九八年)での指摘があるが,問題は,そのような指摘にもかかわらず,小熊らの若い世代が鶴見の言説をカノン化しようとしている事態なのであり,栗原の文章もそうした動向に拮抗しうるものでないということなのである(栗原の文章はWebサイト「旧『ベ平連』運動の情報ページ」で読める。なお,吉川勇一が管理するそのWebでは,「資料」として拙著『革命的な,あまりに革命的な』からの恣意的な抜粋が否定的なコメントとともに著者に無断で掲載されているが,一言,掲載を求める断りがあってしかるべきだろう)。

 まず,『戦争が遺したもの』から,捏造と疑われる,いかがわしい発言を幾つか見ておこう。

 ベ平連のメンバーが中心となった米軍脱走兵をソ連経由で海外に脱出させたことについて,鶴見は,それは吉川勇一(ベ平連事務局長)がソ連大使館と「つながっていたとかじゃなくて,知合いがいたという程度」の関係からなされたのだと言う。しかし,ちょっと考えれば分かることだが,発覚すれば国際問題になりかねない脱走兵幇助を,単なる「知合い」に頼まれたという程度で,ソ連が引き受けるものだろうか。たとえば,塩見孝也『赤軍派始末記』(彩流社)によれば,「国際根拠地建設」のためキューバに渡りたいと希望してキューバ大使館に接触し,「知合い」以上の関係にあった様子の赤軍派に対しても,キューバは渡航の便宜を図ってはいないのである。吉川勇一とソ連大使館とは「知合い」以上の密接な関係にあったと考えるのが妥当だろう(そう考えうる傍証は幾らでもあげられる)。もちろん,脱走兵幇助がソ連邦の世界戦略に合致すると思ったから,援助したのだと思われる。

 ところで,鶴見がこのように言う背景は,言うまでもなく,今やソ連邦が崩壊し,コミュニズムに対する信用が失墜しているからにほかなるまい。輝かしいベ平連運動が悪名高い旧ソ連の極東戦略に加担するものであってはならないのだ。おそらく,その鶴見のモチベーションを察知してであろう。さすがに,当時の歴史的文脈をリアル・タイムで知る上野千鶴子は「ソ連にあまり頼るのもどうかという議論になりませんでしたか」と問うているが,鶴見に簡単にはぐらかされている。歴史家であるはずの小熊は,何も疑問を呈していない。これでは,歴史は都合のいいように記述され,さまざまな疑問点は隠蔽されるばかりではないか。

 他にも幾つもあるが,もう一例をあげよう。六〇年安保の六・四交通ゼネストの時,藤田省三(政治学者,故人)から鶴見に,「吉本隆明が全学連の学生たちを率いて,今日の急行を止めると言っている。これをやれば怪我人が出る。やめさせなければいけない。それで,吉本をつかまえて説得してくれ」という電話があり,説得に奔走し成功したという記述がある。しかし,これまた常識的に考えても奇怪な話だ。当時の全学連はブント(共産主義者同盟)の指導下にあったが,ブントは小なりといえども自称「前衛党」である。たかだかシンパサイザーに過ぎない吉本隆明が前衛党に方針を出すはずはないだろうし,また,出したとしても受け入れるはずがないではないか。まして,吉本は六〇年安保においては「一兵卒」としてブントのシンパサイザーを任じており,そのことによって学生から信頼を得ていた存在なのである。事実,当時ブント=全学連の中枢にあった何人かの「ネイティヴ・インフォーマント」にヒアリングをした(その中には,六・四の現場指揮をした者もいる)が,誰もが鶴見=藤田省三の言うようなことは初耳だ(そんなことは,ありえない)といって驚愕していた。

 ところが,さらに驚くべき証言が,『戦争が遺したもの』刊行の二年以上前(二〇〇一年)に存在していた。六〇年安保時に革共同(革命的共産主義者同盟)の議長であった黒田寛一(現・革マル派指導者)によれば,六・四ストにむけて結成されたニューレフト系のインテリゲンツィアや編集者によって結成された「六月行動委員会」(吉本,鶴見,藤田を含む)において,藤田,鶴見が「ブランキスト的言辞を吐」き,六・四ストで「東海道の列車転覆」を計画し,このことを黒田に電話で依頼。しかし黒田は「ただちに拒否」したというのである(『黒田寛一のレーベンと為事』あかね図書販売,これは黒田側近の者による聞き書きをちりばめた書物だが,黒田自身の校閲を経ていると思われる)。

 これも,にわかに信じがたい話だが,今や「謀略論」の専売所である革マル派の黒田寛一といえども,この問題にかんして偽証をおこなう理由は考えられない。やはり六月行動委員会のメンバーであった「ネイティヴ・インフォーマント」の松田政男によれば,黒田の証言は事実だという。また,少なくとも当時,黒田=革共同がゼネストに乗じて列車転覆を実行することは想像しにくい。黒田=革共同にとって,その国鉄フラクションは「虎の子」であったから,弾圧を招きやすい「ブランキズム的」戦術は厳しく斥けられねばならないからである。列車転覆の要請があったとして,黒田が即座に拒絶するのも当然なのだ。しかし,当時において国鉄に足場を持っていたニューレフトは黒田=革共同だけなのだから,列車転覆を頼めるのは黒田しかいないのだ。

 ほとんど正反対の(しかし相補的な)=内容を語る,鶴見俊輔と黒田寛一の証言のどちらが正しいのか(あるいは,どちらも誤りなのか)。改めて私見を言えば,鶴見証言のほうがいかがわしく思えるのだが,黒田証言が正しいとすれば,鶴見がいかにも疑問点の露呈している証言をしている理由も忖度可能である。『戦争が遺したもの』を読むかぎり,鶴見をはじめとする著者たちは,黒田証言の存在を知っている痕跡さえない。もし知っていたならば,いかに鶴見とて,こんな安易な証言をしなかっただろうと思われる(松田政男によれば,鶴見=藤田の列車転覆計画は,六月行動委員会のなかにおいて,公然の,しかしだったという)。

 文献博捜を誇る『〈民主〉と〈愛国〉』において,鶴見や吉本を論じ六〇年安保を歴史として研究したはずの小熊英二が,黒田証言を知らなかったことを責めることもできる。『黒田寛一のレーベンと為事』は『〈民主〉と〈愛国〉』の一年前に刊行されているから,小熊は参照可能だったはずだ。参照していれば『〈民主〉と〈愛国〉』の鶴見を論ずるハッピー・エンディングな記述も,そう簡単には書けなかったかもしれないし,もう少し調べもしただろう。しかし,そのことは問うまい。黒田証言を知らずとも,『戦争が遺したもの』において,鶴見の言説のいかがわしさをインタヴュアーとして質すことは,すでに指摘してきたような素朴なレベルからでも,十分に可能なはずなのだ。

 それが,なぜなされていないのか。推測するに,鶴見俊輔に象徴される日本の市民運動が,即,今日のイラク反戦に見られる市民運動へと継承されるべき,アクチュアリティーを持っていることを小熊が疑わず,鶴見もそのことを誇ろうとしているからだ。そのためには,鶴見の言説の,ここで指摘してきたようないかがわしさが隠蔽されねばならないわけであり,そうした美しい物語を語るために,二人(あまり発言していないが,上野も含めて三人か?)は,共犯しているからである。

 しかし,最初に述べたように,鶴見らに代表される日本の市民運動が掲げたリベラル・デモクラシーは,今日では,アメリカの対イラク戦争の遂行を担保するイデオロギー的な役割を,結果として担わされる以外にはなく,その耐用年数はとうに過ぎていることを認識しなければならない。今日の左派がしなければならないのは,たとえば高遠さんの「善意」の反動性を指摘しうるような,市民主義的リベラル・デモクラシーへの批判なのである。




[当サイトへの転載にあたっての註] 2004.07.31
  1. 文中の読点「、」は「,」に変え,改行部分は読みやすくするために1行アキとした。
  2. 文中でふれられている栗原幸夫氏の「「自由主義」以後の思想的境界(続)」
    http://www.jca.apc.org/beheiren
    /kuriharajoukyouhihyou.html

Jump to

[Top Page]
ご意見をお待ちしております。 電子メールにてお寄せください。
前田年昭 MAEDA Toshiaki
[E-mail] tmaeda@linelabo.com