団結の哲学をうちたてよう


続・「ひどいわ,ひどいわ」主義に反対する


1976年11月

丸山礼二・中原哲也

下請労働者連絡会議『下請労働者』第3号(1976年11月)所収

 前回その幾つかの表れと罪状を指摘した(創刊号参照)ように,「ひどいわ,ひどいわ」主義は,現在の日本革命を進展させる上でその克服を急務としなければならない悪風である。その根深さ,広がり,「体系」性は,逆に我々自身に,消極的批判から積極的批判へ,さらに労働者階級の本流たる下請労働者の革命路線の深化への発展を要求している。今回は引き続き,この傾向の歴史的な生成過程の分析を通して,その認識論的基礎とその階級的根源をめぐる闘争の帰着点,およびその結論まで述べることとする。
 前半の結論から先に要約すればこうだ。
 「ひどいわ,ひどいわ」主義は,歴史的に見れば,一九六八―七〇年の革命の高まりの積極面の反動であり,消極面の継続と全面化である。認識論における特徴的誤りは「一般なき個別」「普遍なき特殊」「抽象なき具体」であり,その階級的根源は,正しい歴史観と資本主義批判なき,小ブルジョア的,形而上学的な階級分析と「革命」観にある。

I
 一九六六年に始まった偉大なプロレタリア文化大革命は,英雄的なインドシナ三国の解放闘争の強大な後ろ盾となると共に,米帝とそのすべての手先の攻撃をうち破り,帝国主義を全面的な崩壊の淵にまで追い込んだ。
 この巨大な革命の波は,日本の安保―沖縄闘争において,新左翼運動―全共闘運動を中心とする比類のない大衆性・戦闘性をもった革命の高まりを生み出した。この運動は,第一に,「日本共産党」を詐称する宮本修正主義一派を積極的に批判し,第二に,「反日共」系トロツキズム諸派に消極的に反対していた。
 この革命的変革の時期を反映して,多くの人々が共産主義への関心を深め,マルクス・レーニン主義,毛沢東思想への関心を急速におしひろげ,造反の武器としての革命的理論を求め始めた。そして,旧左翼の「一般」的「抽象」的な,死んだエセ「共産主義」に反対し,「個別」「特殊」「具体」を重視,強調して造反,初めて革命を切実に願う人民大衆と結びつき始めた。それまでは,共産主義といえば,旧左翼によって与えられた死んだ「共産主義」のイメージが支配的だった。それは官許マルクス学者による,死んだ「一般」,ニセの「抽象」であり,日本社会の「個別」もなければ「特殊」「具体」もなく,また,生きた問題,現に生きている人々の苦しみ,くやしさもなかった。この,現実から離れ,人民大衆から離れた,死んだ「共産主義」に反対して,現実の歴史が歩みを進めている諸々の現実に目を向け始めたこと――これが,この革命の高まりのんかで生まれ,それを担った我々の誇るべき功績である。ここに,プロレタリア文化大革命に学び日本人民の息子たらんとする者の精神があり,このことは強調して強調しすぎることはない。
 しかし,このような天地をゆるがすような革命の高まりは,不可避的に階級敵の死にものぐるいの反抗を呼びおこし,反動の時期が立ちふさがる。革命の敗北は,その高まりそのものがひきつれて進まざるをえなかった幾多の「同伴者」や「不純な思想」の影響が大きければ大きいほど,それだけ深刻である。しかしまた同時に
 マルクス主義は,死んだ教条ではなく,なにか完結した,できあがった,不変の学説ではなくて,行動の生きた指針であるからこそ,だからこそ,マルクス主義は,社会生活の諸条件の驚くほど急激な変化をそれ自身のうえに反映しないわけにはいかなかったのである。この変化の反映が,深刻な分解,混乱,あらゆる動揺,一言でいえば,マルクス主義のきわめて重大な内部的危機であった。この分解に対して決然と抵抗し,マルクス主義の原理をまもるために,断固とした,ねばりづよい闘争をすることが,ふたたび日程にのぼった。〔注1〕

のである。
 米帝の敗退後,国際帝国主義を全面的崩壊から救済すべく修正主義で武装したソ修社会帝国主義が反革命の尖兵として登場し,至るところで中国を攻撃し,第三世界人民の闘争を圧迫し始めた。中国における林彪問題は,このような「急激な変転」の時期にひきおこされ,プロレタリア階級の勝利,プロ文革の一層の前進をもって解決された。
 が,日本での安保―沖縄闘争の敗北と連合赤軍問題は,前の時期に飛躍的に拡大した革命の陣営,マルクス・レーニン主義,毛沢東思想の陣営に深い危機を生み出した。召還主義,その対極としての経済主義として表現される反動化した小ブルジョア思潮が蔓延したのである。ブルジョア階級の再度の「勝利」とはこの内実を別の形で表現したものにすぎない。
 すなわち,「一般」「抽象」病に反対した造反派の生き生きした革命的運動が,正しすぎのあまり,その反対の面に発展させられ「個別」「特殊」「具体」病を生んだのである。批判は,「生きた抽象」「真の普遍」でもって「死んだ一般」に対したのでなく,「死んだ一般」「ニセの抽象」に反対するあまり「一般」「抽象」一般に反発したものだった。そして集中は分散に,団結は分裂に,進歩は反動に,転化するに至った。
 以上みたように「ひどいわ,ひどいわ」主義とその認識論的基礎たる「一般なき個別」「普遍なき特殊」「抽象なき具体」病の歴史的な生成過程を理解することはたいへん有益なことであり,それは克服の方途と意義を示唆している。
 克服の方途とは何か。「具体」「特殊」に見切りをつけて,旧来の「抽象」「一般」の書物の世界へとあともどりするのか。それとも,それよりましだからと「具体」「特殊」にしがみつくのか。私はやはり,そのどちらでもなく,「具体」「特殊」の粋をとってカスをすてる道,つまり,死んだ「共産主義」を徹底的に批判しつくし造反派の積極面をのばす道こそが克服の方途と思う。
 また,この生成過程の理解は,かつての革命の高まりの時期に「一般」「抽象」で示される旧教条主義に反対することが革命的で必要であったことと共に,現在我々が「個別」「特殊」「具体」にしがみつく経験主義を批判し克服することもまた革命的で必要だということの理解に導く。
 この認識方法における誤りをマルクス主義によって批判し,克服するための導きの糸は何か。それは毛沢東同志の次のような教えである。
 わが教条主義者たちはなまけものである。……かれらはまた人類の認識の二つの過程の相互の結びつき――特殊から一般へ,そして一般から特殊へとすすむことがわからず,マルクス主義の認識論がまったくわからないのである。〔注2〕

II
 マルクス主義の唯物論は一言でいえば「物質が精神にかわり,精神が物質にかわる」である。これを一般的命題として暗唱する俗流マルクス主義者とは反対に我々は,政治上の様々な意見の相違を,異なる社会階級の生活諸条件と生産諸条件の相違の反映としてみる。
 ここでも,〈 I 〉で述べた思想活動における教条主義と経験主義が発生した階級的基盤はどこにあるのか,とりわけ「一般なき個別」「普遍なき特殊」「抽象なき具体」病の物質的基礎は何かにまで分析を進めよう。革命の指導勢力はだれか,依拠階級はだれか,また,革命の主体をきめる基準は何か,についての異なる把握の反映だ,と私は思う。
 なぜならば,「ただ社会の一般的権利の名においてのみ,ある特殊な階級は普遍的支配を請求することができる。」(強調―引用者)〔注3〕からである。どの階級もその解放の特殊な条件が,社会を救う一般的な条件だと主張しており,一般的権利を自己の生存のために主張しているからである。
 ただ,真に未来を担いうる歴史的使命を事実としてもっている階級だけが,一般と個別,普遍と特殊,抽象と具体,の結びつきを,本当のもの,生き生きしたものとしうるのだ。これ以外の階級の立場,観点,方法によっては,他の階級をも率いて革命を勝利へと導くことはできないのである。
 では,まず,死んだ「一般」「抽象」から,生きた「個別」「特殊」「具体」へという転化は,革命の主体をだれとみることの反映だろうか。
 それは次のような見方の反映である。即ち,死んだ「労働者階級」一般から,実際に「差別抑圧されている人々」へ,という転化の反映である。
 六〇年代末の革命の高まりと造反派は,労働者階級=働いて給料をもらっている人,という死んだ公式に反対して,そのなかにも反映している生きた階級対立と階級闘争に目をむけた。これがその積極面である。しかし,なぜこれらの人々が革命の主体であり変革の旗手たりうるのか,という裏づけ(資本主義批判)を欠いたために「貧困のなかに貧困だけを見」ることしかできず,「個別」「特殊」「具体」の殻に閉じ篭ってしまった。そして,一部の者は「最も貧困故に最も革命的」と,その誤りを正当化し,「諸問題主義」の競いあいを始めていったことは前回指摘したとおりである。
 革命主体のブルジョア社会における即自的現象は見てもそのプロレタリア的本体は見ない一面的,硬直的な認識方法,「木を見て森を見ない」形而上学――これが「ひどいわ,ひどいわ」主義の認識論的な根である。
 どれだけ苦難をうけているか,いじめられ方,被害の量,を軸に革命の主体を決めようとするかぎり,団結は分裂に転化し,進歩は反動に転化する。造反派が出発点としたさまざまな差別,抑圧のなかに,共通の質を見いださなければならない。「個別的なものは普遍的なものである」という弁証法をここにおいてこそ運用しなければならない。「被差別者」「底辺」「下っ端」という現象のなかに普遍性を見いださなければならない。「貧困のなかに貧困だけを見」るのでなく,「そのなかにやがて旧社会をくつがえす革命的破壊的側面を見」なければならない。これが革命の指導勢力を見いだすさいの唯一の基準であり,貧窮度を軸に革命主体を決めるところからくる「ひどいわ,ひどいわ」主義への批判の核心である。これが,生きた一般性,真の普遍性へと発展させる基礎である。
 先に引用した『ヘーゲル法哲学批判序説』でマルクスは,この団結の軸となる階級の基準を次のようにまとめている。
「その普遍的な苦難のゆえに普遍的な性格をもち,なにか特別の不正ではなく不正そのものを蒙っているがゆえにいかなる特別の権利をも要求しない領域」「国家制度の諸帰結に一面的に対立するのではなく,それの諸前提に全面的に対立する一領域,そして結局のところ,社会の他のすべての領域から自分を解放し,それを通じて社会の他のすべての領域を解放することなしには,自分を解放することができない一領域,一言でいえば人間の完全な喪失であり,それゆえただ人間の完全な再獲得によってのみ自分自身を獲得することができる領域」「それがプロレタリアートなのである」〔注4〕

と。
 こうした階級,革命の指導勢力を,実際の日本の階級分析のなかから見いださないかぎり「闘う者の交流」も「被差別者の共闘」も絵に描いた餅(もち),要(かなめ)のない扇となってしまうだろうし,まして「ひどいわ,ひどいわ」主義批判を避け「左翼連合」と称する修正主義との和解(=野合)の企てなどは,真のプロレタリアートによって葬り去られるだろう。
 私自身,その一員である下請労連はこれまでの調査分析と学習と基づいて次のように結論づけた。
 それでは,日本の革命の力,未来をつくる階級としての労働者階級は,どこに求めるべきでしょうか?
 私たちは,いわゆる「組織労働者」,つまり帝国主義の超過利潤によって“組織された”部分,学校出の月給取り,白い手をした労働者階級中の貴族的部分,が本隊である,という意見に反対です。他方,私たちは,かつての侵略を「消そうとしても消しがたい民族の罪」とするところからくる考え,すなわち「日本人は加害者であり,革命の力は国外の第三世界窮民に求めるべきだ」という意見にも反対です。
 そう遠くない将来に必ず革命の高まりがやってくる,そう信じている私たちは,やはり,日本の中に革命の力を求めるべきだと考えます。それは,従来,労働貴族から「組織性がない」「無政府性をもっている」と毛嫌いされてきた「未組織」労働者であり,「甲斐性なし,能なし,怠け者,ワル,きちがい,ハンパ者,よごれ,等々とさげすまれ,労務者といわれている」部分であり,山谷・釜ヶ崎をはじめ全国の汗水流してこの世のあらゆる富を作りだす下請労働者です。
 この階級だけが,金のなる木(機械,技術,学歴,信用)という(小)ブルジョアジーを特徴づけるものをもたない,それらブルジョア社会のうすぎたないエサと何のつながりもなく,それらからもっとも自由な階級です。この階級だけが,今のニセの「労働運動」を支配する修正主義と自然発生性とに支配されさえしなければ,独自の政党をうちたて,資本家の天下をくつがえす力を持つ階級です。〔注5〕

 以上みたように,正しく革命の指導勢力,依拠階級が見いだされないかぎり,プロレタリアートの階級的団結もなく,その最高形態たる党建設もなく,革命の勝利もない。
 あれまたはこれのプロレタリアが,あるいは全プロレタリアートそのものが,さしあたり何を目的としておもいうかべているかが問題なのではない。問題は,プロレタリアートがなんであるか,また,彼の存在におうじて歴史的に何をするように余儀なくされているか,ということである。〔注6〕

 労働者階級の本流である下請労働者のみが「ひどいわ,ひどいわ主義」を典型とする小ブル思想を批判して,プロレタリアートの階級的団結の核となることができるし,下請労働者がすべてを指導しなければならない――これが「ひどいわ,ひどいわ」主義批判から導きだされる実践的結論である。


注1レーニン「マルクス主義の歴史的発展の若干の特質について」,国民文庫『カール・マルクス』116ページ 〈戻る〉
注2毛沢東「矛盾論」,『毛沢東著作選』124ページ 〈戻る〉
注3マルクス「ヘーゲル法哲学批判序説」,岩波文庫版90ページ 〈戻る〉
注4マルクス「ヘーゲル法哲学批判序説」,岩波文庫版94ページ 〈戻る〉
注5下請労連「悲しみを力に」,本誌第2号47ページ 〈戻る〉
注6マルクス・エンゲルス「聖家族」,『マルクス・エンゲルス全集』第2巻34ページ 〈戻る〉
(おわり)


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