創刊記念イヴェント記録 #2/3
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ナチスは近代派であり,エアハルト旅団もまたもう一つの近代派だった

千坂

ナチスを見ていて思うのは,当時のドイツで似たような思想はナショナル・ボルシェヴィズムですね。これも非常に大雑把なんですが,そういう思想潮流がワイマール時代に強く存在していました。ドイツは第一次世界大戦に負けて,反西欧的思考と社会主義的思考をもっていた。つまり,ナショナリズム的思考と社会主義的思考をもっていたわけです。それを統合したのがナショナル・ボルシェヴィズムです。これが不思議なことに,ワイマール時代のドイツで非常に問題になるものなのに,日本で紹介されてないんですよ。ナチスもいわば国民社会主義,ナショナル・ソシアリズムということで,やはりナショナル・ボルシェヴィズムの構造の中にあるんです。

 では,ナショナル・ボルシェヴィズムとは何なのか。さっき明治の近代と反近代の話が出ましたけれども,ナチスが,当時のドイツの右翼であるとか,ナチス以外の勢力と唯一違うのは近代派だったということなんですよ。よく日独ファシズム比較論で,日本は羽織袴の国士風情の人間が運動をやっていて,ドイツは党を形成して下からの運動をしたというような説明で比較をすることがあるんですけれども,実際にはドイツでもナチス以外の右翼になると,日本でいう羽織袴の国士みたいな人間ばっかりなんですよ。要するに,軍人で桜会のクーデターみたいなことばっかりやっているわけです。みんな反近代なんですよ。

 反近代でなかったのは,大きくわければ二つです。一つはナチスなんです。もう一つは,私がやっていますエルンスト・ユンガーなんかが関係していた義勇軍(フライコール)エアハルト旅団系の軍事社会主義的ファシズムというんですかね。ユンガーやエアハルト旅団がなぜ近代派になったのかというと,第一次世界大戦の最前線で総力戦を経験しているからです。総力戦というのは物量戦であり,物量戦は近代工業戦でもあります。物量戦を経験していると反近代では戦争はできない,ということで,近代派になるんです。ナチスとはまた違う意味で未来派なんですよね。ところが,当時ドイツで近代派になるということは,資本主義を肯定するということなんですよね。ほかの右翼は反近代,反都市で,日本風に言えば農本主義で行くわけです。

 ところが,ナチスとエアハルト旅団は「都市へ行け」と言うわけですよ。大都市と労働者こそがわれわれの運動基盤である。ところがそこへ足を入れるということは,ユダヤ化,資本主義化したということになる。特にナチスはほかとは違って,党を作って,制服を作って,近代化を進めていく。だから,ほかのドイツ右翼は,日本だとちょっと考えられないかもしれませんけど,ナチスを西欧ユダヤ人の手先であると批判しているわけですよ。それが当時のドイツの右翼勢力の中でのナチス批判論なんです。ナチスは議会主義路線ですが,これもドイツの右翼からすると西欧の手先ということになるんですね。そのことについてはどこかでナチス自身も感じていたかもしれません。つまりナチスにしてみれば,われわれが社会主義者であるのであれば,社会主義者であることを証明しなければならない。反ユダヤ主義であることを証明する必要がある,ということですね。精神的にユダヤ化しているのであれば,別のところでしか反ユダヤ性を証明できない,と。それがたぶんユダヤ人に対する物理的な否定という方向に行ったのだと思うんですよ。

年少派全共闘は全共闘運動止揚の契機を持っている

前田

そのユンガーのこととか,ドイツのことについてはあとの時間に譲るとして,もう一度,日本の近代思想,とくにいわゆる戦後を見た場合,ドイツのホロコースト問題と同様に,戦争とか軍隊,そしてナショナリズム研究もタブー視されて,先駆的に竹内好さんが取り組み,橋川文三さんが『日本浪曼派批判序説』を書いたのは1960年です。実際に論壇で戦争とか軍事,軍隊を一般の雑誌が採り上げるようになったのは60年代後半,全共闘の時代ですね。千坂さんがあちこちで書いておられた頃はまた,暴力や革命が『現代の眼』とか『流動』『構造』『情況』などで毎月のように特集されていた時代でした。ここではじめて戦争とか軍事,軍隊が正面から採り上げられるようになった。その背景には,全共闘運動や社会運動の高揚があったと思うんです。千坂さんも書いてらっしゃいますけれども,全共闘運動の思想的な意義は戦後民主主義の批判でした。千坂さんは1950年生まれ,私は54年生まれ。戦後民主主義批判はやっぱり全共闘運動のエキスの一つだったと思うんですけれども。千坂さんに全共闘論をお聞きします。

千坂

僕の全共闘論には世代間格差論がありますが,いままで全共闘というと,全共闘世代であるとか,一括りで捉えられていたと思うんですよね。ところが,1969年ですと東大全共闘の山本義隆さんは当時は大学の助手でしたか。僕はそのころ浪人生で浪共闘というものを大阪で作り,東京の仲間と共に運動をしていましたが,世間からは「大学に入る前に大学壊してどないすんねん,入る大学,あらへんようになるやないか」と揶揄されましたね。そこから言えることは,大学助手と浪人生を,同じ全共闘という形で一括できるかっていうことです。出来ないと思うんですよね。たとえば,戦争に行った人たちでも,日中戦争の段階で戦争に行っている人と,それこそ戦争期後半の玉砕戦の頃に戦争に行っている人では,同じ戦争に出征したといっても違うと思うんですよ。それと同じように,全共闘でも年代によってかなり意識なりあり方が違ってきている。

 いちばん僕が思うのは,僕の言葉で言えば,「年長世代」あるいは「年長派」ですが,その人たちは,大学に入って,本を読んで,思想形成して,世界観を確立して,世界を分析して,それで「こんな問題があるんだ!」と運動に入るわけですよね。では,「年少世代」「年少派」はどうかというと,とにかく学校に入る,何か問題が起きている,問題意識はあるがまだよく分からない,でも上からは「行け」と言われる。それで行くわけですよね。何かを潰しにいく。なんで潰さなきゃいかんのか最初はわからないが,とにかく潰している。それがだんだん,何で潰すんだろうと考えていく。

 ここでの決定的な違いというのは,年長派の人はやっぱり本質主義者なんですよ。そして,下の人間は,かっこよく言えば実存主義者で,なんか知らんけど壊しているんですよ。もっと言ったら,上の人は参謀将校みたいなものなんですよ。作戦地図を広げて,「お前はここへ行け,あちらへ行け」って指示するわけです,下の年少派は言われたら「はい」と言って,それでゲバルトしたり,もの壊したりしているわけですよね。双方は決定的に違うと思うんです。上の人は理想主義者であるし,ヘーゲル主義者であるし,社会主義者である。下の人間は実存主義者であり,ニヒリストであり,そういう意味では,理想に対する懐疑を持ってますね。よく「三無主義」ということが全共闘のあとの「シラケ世代」について言われるんですが,年少世代もまた三無主義なんですよ。「無思想,無策,無展望」とか言っていたんかな(会場,笑)。とにかく「壊せ,壊せ,壊せ」という感じで。このような年長世代と年少世代の差は非常に大きい。

 ところが今まで年少世代というのはほとんど語られなかったんです。なぜ語られなかったのかという理由は簡単です。上の人はさっき言ったみたいに,どこかの大学院を出て助手になったりしている。運動が終われば自分の研究室に戻る。それなりに自分があるから,研究して,大学教授であるとか,弁護士や医者であるとか,何かになるわけです。また兵隊クラスの人は,就職転向できるわけですよ。

 いちばん動きようがなかったのは,前線将校のような年少世代のリーダークラスです。何よりも,年が若いため,上の世代の人のような帰る場所がないんです。しかしリーダークラスだから兵隊クラスと違って警察のマークもきっちりついているわけです。だから就職もできないんですよね。僕も70年ごろのことですが,バイトに行くでしょ,すると2日後には公安刑事がくるんです。それで,すぐに店はクビになるんですよ。よく時代劇であるじゃないですか。佐渡帰りの人間がどこかで仕事をしていたら目明しが来て,腕の入れ墨を見られて辞めさせられるみたいな。ずっとあの体験なんです。そうした者はもうアウトロー的なところへ行くしかない。僕らの知り合いでも,たとえば,取り立て屋とか,風俗産業であるとか,本当にヤクザ絡みのところへ流れていっているんですよね。中には潰れていったりしている。結局,自分たちが何だ発言する自分が確立されておらず,その場がなかったわけです。

 その間に,年長派の人は,全共闘論などを書いて,それが世間に浸透していく。若い人たちは,そうした年長派の人たちの本を読んで,「ああ,そうだったのか」ということで,上の人たちの書いた全共闘論の手形が落ちるわけですよ。若い世代によってその手形が流通していき,その結果,年少世代の全共闘は隠されていったわけです。そこから,全共闘は,ヘーゲル主義的で,社会主義的で,古い意味での左翼的な色で見られるようになったと思うんですけれどね。

前田

ところが,年長派の方もいまは後期高齢者に片足突っ込んで,年少派のわれわれも前期高齢者の入口ぐらいですからね。

千坂

まあまあ,老人同士の醜い争いじゃないんですから(笑)

前田

ただ残念なのは,後期高齢者に片足突っ込んでる先輩方が,憲法9条擁護,護憲だとか,あるいはエコだとか,そういうことを言い出していますよね。当時彼らは幹部として,暴力革命だとか人民総武装だとか言っていたわけですよ。それはどうなったのか。意見が変わるのがいけないと言っているのではなくて,どういう総括をして,平和憲法を守れ,と言ういまに至ったのかを明らかにする責任があるのではないか。ほとんど社民化していますよね。この現状については,千坂さんはどうお考えですか。

「~を守れ」運動は反革命である

千坂

僕は,資本主義を前提にして言われる,たとえば人権であるとか,憲法第9条を守れとか,環境保護とか,要するに,「ナントカを守れ」運動ですよね。あれは全部,反革命だと思うんですよ。人権もヘチマもないんです。全部壊せばいいと思うんですけれど。すると「お前,そんなこと言っても建設的プランがないじゃないか」とか「破壊してどうするんだ」と言われますね。

前田

40年前の全共闘もよく「青写真がなくてどうするんだ」ということを言われましたが……。

千坂

僕の昔のアナキズムは非常にシンプルなんです。「地球を瓦礫の山にしろ」です。要するに,総破壊だということだったんですね。結局,資本主義的秩序を破壊せずに作られた建設的プランというのは,資本主義的なへその緒をもっているんですよね。へその緒をもったものは改良主義でしかないんです。だから,とにかく,建設的プランなし,まずは潰しましょう,ということなんですよね。第9条擁護であるとか,社民に対しては,反革命だと思いますね。

 僕がわからないのは,革命戦争と言っていた人の総括が,なんで核武装を言わないんだろうってね。いまの北朝鮮の金正日,確かにロクでもない人だとは思うんですけど(笑),だけど,彼に一つ見習わなければいけないことは,彼は核でアメリカを恫喝しているんですよ。革命というのは,核で帝国主義を恫喝せねばいかんのですよ。これができないと全部社民になる。しかし核なんて言い出したら人類が死滅するではないかと批判を浴びるんですよね。そうしたらまた怯えるんです,人類死滅したらいかんなと。ところが革命派は,人類は死滅したっていいじゃないかというぐらいの腹がいるんです。じゃないと核武装なんてできないですよ。なんでそこまで考えないといけないか。実は,資本主義者のほうはそこまで考えているからです。なぜ宇宙にまでロケット飛ばしてるかっていうと,地球の外に亡命基地を作りたいんですよ。地球の外に自分たちの亡命できる宇宙ステーションを作ると,地球では核戦争が起こっても,逃げられるわけでしょう。そしたら,相手の国から「お前の国を壊したる」と恫喝かけられても,怖くないんですよ。だからどんどん宇宙にロケットを飛ばして亡命基地を作ろうとしているんですよね。資本主義者がそういうことをしているのに,革命派は反核を言い出す。これはもう思想的に負けるんですよ。だから,人類死滅して何がアカンのか。人類が死滅して地球が廃墟の山になっても,宇宙に雷が鳴って,電磁波が満ちて,また2億年か3億年たてば生物ができるんです。そのぐらい考えるべきだと思うんですよ。

前田

そうですね。文化大革命のときの毛沢東は,そういう発言をしていましたからね。いずれにしても,戦後民主主義批判として全共闘が一定ののろしをあげたにもかかわらず,それ以後,運動が社民化した。ここで考えないといけないのは,昨今の派遣切り,非正規労働者,ワーキングプアの問題についても見られる後知恵歴史観についてです。貧しさゆえに決起したのだと百姓一揆が起こった理由を後付けで説明するのと同様に,民衆は哀れで無力な,救済の対象としてしか見られていない。ここから出てくる社会運動は「生きさせろ」運動ですが,生きる権原は本源的に自分自身にあるわけだから,誰かに求めて陳情する,要求する性質のものではないはずです。しかし,差別や抑圧に反対する社会運動は,「生きさせろ」と要求する対策法制定運動になって行くものが少なくありません。なぜこうなのか。これでいいのか。生きるというのはどういうことなのか,革命するというのはどういうことなのか,千坂さんの革命観をお聞かください。

千坂

人間,追い詰められたら,二つしか選択肢はないんです。乞食になるか,強盗になるか。いわゆる請願運動というのは乞食運動なんですよ。革命運動というのは強盗運動になることだと思うんです。やっぱり,「生きさせろ」ではなくて,「生きてやるんだ」という方向に行かないと運動にはならないんじゃないかと思います。請願運動は「お恵みください」ということなんですね。プレカリアートって言いますが,ルンペン・プロレタリアートなんですよ。僕ね,マルクスってあまり好きじゃないです。昔アナキストで,さんざんバクーニンでマルクスを叩いて,叩きまくって,極左の反共主義者と言われましたが,僕の思想の中で一貫しているものにマルクスに対する批判があります。だから,右翼の方からもヘンな目で見られているんですけれどもね。そのマルクスが言うところではルンペン・プロレタリアートは,要するに白色テロの手先になる。そのことからするとプレカリアートの請願運動というのは,反革命に吸い上げられるんですよ。「戦争は希望だ」とかいう赤木智弘さん,あの人が本にそういうことを書いてますよね。金さえくれたら何にだってなるんだということですからね。それで白色テロの手先,反革命になっちゃうんですよね。派遣法などいまの問題に関する現場のレポートはたくさんあるんです。たとえば,雨宮処凛さんなんかいっぱい本を書いてらっしゃる。でも,なんでそうなっていくのかという分析がないんですよね。現状のレポートがあるだけでは運動ができないんじゃないのかな。

前田

そうですね。かつて,現在の派遣労働者につながる階層の人たちは,新興宗教へ行くか,ヤクザに近づくかでしか仲間が見出せなかったわけですよね。よく言われることですけど,神戸港で一次下請は全港湾の強力な拠点として組織されたが,二次下請け,さらにその下のいわゆるシャシャラ孫請など,日雇いで月に何日仕事があるか保障もない人たちは,山口組に組織されるしかなかった。いままでの左翼は何をしたのか。結局,上から目線,選良主義を克服できなかったわけですよね。アジア主義の問題についても,そういう下っ端の非正規労働者の問題についても,反権力の側が奪い返すためには,問題の一つ一つを右だとか左だとかイデオロギーで裁断するのではなくて,実際のエネルギーに依拠してものを考えて行動することが必要だと思うんです。我々は左でも右でもない,下なのだという立場でね。

ファシズムとは頼母子講のようなものである

前田

話が途中ですが,ちょうど1時間たちました。駆け足で話をしましたけれども,とくに言い残したことがあれば。いっぱいあると思いますけれども(会場,笑)。……会が始まる前に千坂さんと話しましたね,本当に満席になったんだろうかな,どんな人たちがこういうタイトルのところへ聞きにきてくださるのかな,と。ちょっと信じられないというか,私自身,みなさんがなぜこういう話を聞こうと思ったのかを率直に聞きたいのが正直な感じなんですけれども。

千坂

そうですね。僕ね,10人くらいしか来ないのではないか?と思っていた。まさか満席になるとは予想しませんでした。

前田

来ても,いわゆる元全共闘とか,そういうオッサンばっかりかなって。

千坂

そう。昔,見たような顔ばかりで,「ああ,君か」みたいな感じで,内輪の妄想話で終わるのかと思っていたんですよ(会場,笑)

前田

そうしましたら,会場からの意見とか質問とか。お名前とともに,何を聞きたくて,何を話したくて,今日来ていただいたのか,そういうことを前置きにしてお話を聞かせていただけないでしょうか。

質問者1

学生です。立花隆のゼミナールに入っています。ファシズムは反帝・反スタ運動であると捉えたらどうか,というお話をうかがって,なんとなくわかってきたんですけれども,でも,アカデミックな意味ではピンとこないというのが現状です。巷にあふれているファシズムに対する考え方は,千坂さんとは違うところがあると思うんですけれど。ファシズムをアカデミックな感じで定義はできるんでしょうか。

千坂

フランス革命で「自由,平等,博愛」という言葉があるじゃないですか,ファシズムは,あれの「博愛」に該当すると思うんです。あるいは,「友愛」と言うかな。フランスのコラボラシオニスト,いわゆる対独協力派ですよね,それのロベール・ブラジャックというファシスト作家なんですけど,彼が「ファシズムとは連帯である」と言っています。僕はたぶんそうだと思うんです。ファシズムは自由ではない。平等でもない。しかし,連帯する,つまり友だちを助ける。言ってみればボランティア運動ですかね。日本で言ったら頼母子講。昔であれば,誰かがお伊勢参りに行くとしたら,村でお金を集めて「今年はAさん,行きなさい」と。ああいうのが僕の思っているファシズムなんです。西欧でいえば国家社会主義ということになるんでしょうけど,実態はそういうものなんじゃないかと思うんですけどね。

質問者1

「不安」というのがキーワードじゃないかと思うんですが。

千坂

「不安」というのはファシズムの社会的性格というよりも,ファシズムに対する哲学的な性格付けじゃないですか。いま問題になっているのは社会的な面だと思うんですよ。つまり,資本主義,スターリン主義,ファシズムと三つの現実がある。この三つは社会的現実だと思うんです。資本主義は「自由」,自由放任であると。社会主義は「平等」であると。そしてファシズムは頼母子講であると。べつにファシズムだけじゃなしに,スターリン主義でも資本主義でも,哲学をほじくっていけば不安という問題は出てくると思うんですけどね。


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