創刊記念イヴェント記録 #3/3
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革命とは,外からこの社会に向けられた攻撃である

質問者2

地方議員をしていながら,戦争とかそういったものが全然わからないので,戦争責任といった議論も少しはわかるようになるといいなと思い,参加しました。おうかがいしたいのは,テレビとか雑誌等の議論って,左右の立場の違う方で,〔力の〕バランスのとれた者同士で議論しているケースが少なくて,バランスがとれているときにどうかなあという好奇心があります。失礼ながら,千坂先生の立場もまだよくわからないんですけれども,千坂さんと反対の立場の方でバランスがとれているな,という方がいらっしゃるでしょうか(会場,爆笑)

千坂

私はね,非常に保守反動なんですよ。たとえば,連合赤軍特集があって,あれはなんなのかというと,革命戦争だと。革命戦争派は戦後日本における南朝みたいなもので,レバノンのベッカー高原は地球の吉野であり,日本赤軍は後醍醐一派のようにベッカー高原に逃れて徹底抗戦しており,日本は現代版の足利北朝のような戦後主義者が牛耳っている,といったことを書いているのでね。読む人によっては,こいつは極左なのか右翼なのか,いったい何なのかということになるでしょうね。僕は個人的には,伝統主義者ですし非常に保守的です。

 われわれが生きているこの市民社会的現実とはなんなのかというと,端的に言えば,アルカイダの飛行機が突っ込んだツインタワービルと同じだと思うんですよ。ツインタワービルの中の現実が市民社会なんです。そして,革命がどういう形で現象するかというと,市民社会に対する攻撃的威嚇としてしか現象できないんですよ。いまの市民社会は革命というものを外部に追放してしまったんですよね。日本でその典型的な例が連合赤軍なんです。連合赤軍事件によって革命というのはまがまがしい犯罪行為であるということにして外部に追放した。日本赤軍が地理的に外部に逃れることによって日本から「政治」がなくなるんですよね。よく投票とか議会は政治だと言うけれど,あれは要するに「行政」なんですよ。政治というのは超法規的行為,つまり,クーデターとかテロリズムを含むんですよ。クーデターやテロリズムを否定したところに政治はないんですよね。

 ただ,われわれが現実を見ている限り,われわれはクーデターとかテロリズムの対極に生きているんです。つまりそれにやられる側の世界に生きているわけです。だからもし革命を肯定するとしても,生きている現実とは矛盾しているんです。昔はよく「言行を一致させろ」とか言われたんだけれども,一致させることはできないんです。むしろ言行不一致が現実であり,言ってることと現実生活が背反しているんだという矛盾を抱えて生きていくしかない。現実世界においては,徹底的に保守的に,反動的に生きながら,そういう革命的なものを許容する,あるいはそういうものがあるんだということを肯定する思いをもち続ける必要がある。そう考えると,たとえば,秋葉原の事件は,外部の世界からこの市民社会に向けられた攻撃ということになる。攻撃ということは,革命なんですよ。すると,彼はそんな思想はもってないじゃないか,俺はモテへんかったとか仕事がなかったとか,そんな理由しかないじゃないかと言われます。でも,そんなことは問題ではないんですよ。攻撃される市民社会の側にとっては,昔の安田善次郎を殺した朝日平吾や血盟団に殺されようと,秋葉原事件で彼に殺されようと,殺されることは同じなんです。そういう意味で,市民社会に対して攻撃や威嚇を加えた人間が,どんな意識なり,どんな思想なり思いなりをもっているかに関わらず,攻撃において革命が現象するということの肯定に実は革命というものがあるんだということです。そういう意味では革命というのは居場所がないんですよ。でも,もし革命を否定してしまうと,この市民社会しかなくなってしまう。その市民社会の中であくせくするしかないということになるんですけれどね。

質問者3

〔前略〕いままでの世界で経済主義という一つの価値観が普遍的なものとして位置づけられ支配してきた中で,やっぱりかつての日本の太平洋戦争にもそういう意味合いがあったのかもしれないけれど,その前の2・26などにおいて,どういう思想的な主張があったのか。先生はつかんでおられるのではないかという思いも含めて,参加しました。

千坂

社会統合とか,近代の徹底化という意味では,ファシズムは非常に未熟なんですよ。そんなに徹底して全体主義化しているわけでもないですし。全体主義であるとか秘密警察であるとか,そういう要素を見ると,スターリン主義のほうがはるかにすごいんですよ。では,なぜそれが全部ファシズムの名前で言われるのかというと,やはりスターリン主義は生き残ったからなんですよね。ファシストは,戦後は終身禁固刑にされて,地下牢に押し込められて,弁護士を与えられていないから弁明もできない。よくあるでしょ,「禁煙ファシズム」とかね。僕は「禁煙スターリン主義」と言うべきなんじゃないかと思うけど(笑),なんかあったら,ファシズムだ,ファシズムだと言うんだけど,スターリン主義ですよね。最近びっくりしたのは,「スターリンはファシストじゃないか」というようなことを言ってくる人間がいるんですよ。スターリニストとファシストのいちばん単純な違いは何かというと,スターリン主義は暗いんですよ。で,ファシズムは明るいんですよね。内容はともかくとして,ファシズムはまだ理想をもっている。それはゲルマン帝国であるのか,古代ローマ帝国復活なのか知りませんけれど,何かをこうするんだという理想がある。スターリン主義にはそれがないんですよね。世界革命路線をやめて一国社会主義路線になって,要するに現状維持しかないんです。だから,夢がないから暗いんですよね。

 それからもう一つ,ファシズムとスターリン主義のわかりやすい違いは,芸能と新興宗教の違いだと思うんですよ。僕は,ファシズムは芸能で,スターリン主義は新興宗教だと思うんです。ヒトラーの演説集会,あれはヒトラーの演説を聞きにいくコンサートなんです。スターリン主義の場合は,新興宗教の教祖が語って,信者が聞きにいくんですよ。だから,スターリン主義は代を重ねることができる。教義がありますからね。ファシズムそれがなくて,あるのは指導者のカリスマ性なんですよね。だから,芸能と新興宗教だという比較ができるのではないのかなと思います。それから,さっきも言いましたが,ファシズムは全体的に統制されていない。ファシズムは言っていることがてんでバラバラなんですよ。ナチスはよく一枚岩だと言われるけど,ナチスだってバラバラなんですよね。各省でもみんな喧嘩をしている。たとえば,親衛隊には『黒色軍団』という機関誌があり,ヒトラー・ユーゲントには『意志と生命』という機関誌があって,『黒色軍団』と『意志と生命』が論争をするんですね。するとアルフレート・ローゼンベルクの機関誌が介入してくる。それを今度はゲッベルスが馬鹿にするわけです。みんながお互いに批判しあっている。そうすると,ハインツ・ヘーネの『髑髏の結社 SSの歴史』なんかによると,「ナチスには言論の自由があった」みたいなことになるわけですよね。そのぐらいナチスとかファシズムは,スターリン主義ほどの統制はできていない。いちばんわかりやすい例が,反ユダヤ主義の規準はナチスよりもフランスのヴィシー政権のほうがきついんですよ。ヴィシー政権のフランス人がナチスに対して自慢するんですよ。「あなた方の反ユダヤの程度は生ぬるい。われわれの方が勝った」と。それで反ユダヤではフランスが主導権をとった感じになる。むろんナチスにもユダヤ認定の規定はあるのだけれども,結局,誰がユダヤ人かは個々の指導者が決める,みたいなね。確かゲーリングの管轄下にベルリンのフィルハーモニーがあって,そこにユダヤ人の演奏家がいた。「あれはユダヤ人ではないですか」と親衛隊が言うと,ゲーリングは「彼がユダヤ人かどうかは俺が決める」と言うわけです。彼がユダヤ人でないと言えばユダヤ人ではないんですよね。

 それからナチスは民族主義者ではないんですよ。彼らは人種主義者なんです。人種主義は民族主義を超えているんですよね。いまでも世界にネオ・ナチとかあるんですけれど,イスラエルにだってネオ・ナチがいるわけでしょう。イスラエルでハーケンクロイツの旗をかざしています。民族を超えているから,インターナショナルな形で,それでなびく人もいる。もう一つ,ナチスの人種主義はよく白人至上主義だと誤解されていると思うんですね。ナチスのアーリア主義は白人至上主義ではないんですよ。アジア人を含むんですよ。アーリア人というのはインド・イラン起源なんでね。ナチスはわりとインドが好きなんです。ちゃんとインド人の親衛隊も,イラン人の親衛隊も作っているんです。むしろ彼らこそがアーリア人の主流なのだと。これは笑うべきことなんですけれども,日本・ユダヤ人同祖論というのがありますよね。ナチス時代には,日本・ドイツ人同祖論というのがあったんですよ。ナチスの人種理論の指導者だったハンス・ギュンターという人の書いた本がありまして,その中で,ドイツ人の先祖である古代ゲルマン人の発祥の地は日本である,と。日本列島から日本海を渡ってずっと西へ行ってヨーロッパに着いたのがドイツ人の先祖であって,列島にとどまったのが日本人の先祖であると。何か証拠をあげなければならないということで,遺跡を比較するんですが,日本の登呂遺跡の建物の作り方と,古代ゲルマンの建物の作り方が同じらしいんですよね。写真を見ましたが,確かに似ているんです。でも,それだけでね(笑)。そういう要素もあったということで,実はきっちりしていなくて,いい加減なんです。その分,統制とか近代化についても中途半端であったということなんです。

左翼は骨董品であり,右翼は欠陥商品である

前田

もう一つ,別の側面から考えてみると,人類はまだファシズムを超えてないんじゃないか。明治以降の日本の近代が,革命国家の歩みとしてあった。それがアジアに対しては,一面では侵略であり収奪であった。ただそれはファシズムゆえのものか,と言ったらそうではない。これが真理だ,これが正しいんだという近代の啓蒙がもつ暴力性,その結果だと言うことができると思うんですよ。戦後60年もアメリカに洗脳されちゃった日本では,結局,ドイツの思想の理解もアメリカ経由なんですよね。世界情勢についてもそうなんですよ。北朝鮮が核もったら危ないとか,インド,パキスタンが核を遊んだら危ないと。じゃあ,アメリカの核はどうなのか。そういうことについて日本人は,はっきり言って洗脳されています。

 洗脳されず現実に社会運動を闘っている人,たとえばアフガニスタンで闘っているペシャワール会の中村哲医師は「タリバンは攘夷運動だ」と言っています。タリバンもハマスも攘夷運動なんですね。これを支持しえずに「アメリカもひどいけど,タリバンを支持するわけにはいかない」と当たり障りのないことを書き散らしているのが,日本では左派知識人とか良心派とか騙っています。言葉に力がなく,論壇は死んでしまった。生きた論争はなくなってしまった。ファシズムを超えていないという地点へ立ち戻って,廣松さんがやろうとしたように,ファシズムの内在的批判から始めて,「東亜の新秩序」というスローガンを左翼運動,反権力の側に奪い返すことを考えないとダメだと思います。

 さっき「千坂さんの考え方は右なのか左なのか」という趣旨の質問がありましたが,メビウスの輪のように極左は極右につながっているわけですから,そこで右とか左とか,何かの基準を立てて裁断することが,はたして現実に対してどれほど有効なのか。すでに右翼も左翼も死んでしまっているわけですよ。

千坂

左翼はね,古いんですよ。使いものにならない骨董品なんですよね。で,右翼は欠陥商品なんですよ(会場,笑)。1971年ぐらいから僕はわりと右翼の人とも交流してました。右翼といっても,町中に街宣車を出す右翼ではなくて,いわゆる反米反共の民族革命を主張する思想右翼なんですけれどもね。いまでも仲のよい友人なんかは右翼なんですけれども,彼は言ってましたよ,「はっきり言って,右翼は人材不足である,人間がおらん,如何ともしがたい」と。天皇論をちゃんとやっている右翼っていないんですよね。天皇論をやらなくて右翼ってできるのかな。たとえば少し前(1993年)に,朝日新聞で自決された野村秋介さんですか,僕がいちばん印象的だったのは,「高御座〔たかみくら〕」をご存じなかったんですよ。討論番組で高御座の話が出たときに,「そんなことは知らなくてもいいんだ」と応えていたらしいんですよね。野村さんは浪漫的行動派だから構わないのかもしれないけれども,高御座などというものは右翼の初歩の初歩の教養ではないですか。意外とそういうことを知らない人が右翼に多いんですよね。僕はベ平連のことはよくも悪くも言わないけれど,ベ平連崩れの人間の方が高御座とかを知っていたんですよね。それほどいまの右翼はひどいのかなと思いましたし,頑張る必要があるのは右翼ではないかと思いました。

クロポトキン主義の運動は国定忠治みたいなものである

質問者4

このトーク・ショーに来たいと言っていた友だちがインドに行ってしまい,僕が代りに来ましたが,何かようわからん,どえらいこっちゃと思いました(笑)。彼は1年ほど前からアナキズムにはまりだして,アナキズムの本ばかり読んでいたんです。僕もよくわかってないんですけど,一人で闘うみたいなイメージがあるんですよ。彼は「アナキズムの連帯」がテーマなんだというようなことを言っていて,それってどういう意味なのか,アナキズムっていうのは連帯できるのかどうか。

千坂

結論から言うとね,アナキズムなんかないんですよ。正確に言うとアナキズムなんていう主義はない。たとえば,アナキズムの本を見ると,プルードンとかバクーニンとかクロポトキンとか名前が出てくるんですよね。じゃあ,そういう形でアナキズムが主義的に発展したのかというとそうではないんですよね。プルードンとバクーニンとクロポトキンって全然違うんですよ。いちばんわかりやすい例が,たとえばプルードンはフランスの合理主義,バクーニンは完全にヘーゲル左派で,クロポトキンは演繹帰納法なんですよ。クロポトキンはヘーゲルを頭からバカにしているんですよね,無知蒙昧だって。そのぐらい全然違う。次に言われることは,彼らは国家なき社会を目指したからアナキストなんだという見方があります。でも,それならマルクスだって国家なき社会を目指しているんですよ。じゃあ,マルクスもアナキストになるじゃないかと。さらにアナキストがいちばん嫌うような,たとえばブランキのような革命独裁派ですが,彼だって究極は国家なき社会ですよ。すると,みんなアナキストになっちゃうんですよね。にもかかわらず,ブランキとかマルクスはアナキストじゃなくて,プルードン,バクーニン,クロポトキンがアナキストにされるのですが,それはなぜなのか。要するに,ブランキとマルクスは過渡期の独裁を主張した。アナキストは過渡期の独裁を否定する。だから両者は違うのだと言うわけです。

 ところが調べてみたら,バクーニンは過渡期の独裁を主張してるんですよ。バクーニンのアナキズムは,これは本当にアナキズムなのかと思うぐらいにボルシェヴィキに近いんですよね。つまりバクーニンは,民衆の自然蜂起ではダメだから,革命家が革命的組織を作って民衆の中に浸透していって,要するに見えざる参謀という形で民衆に革命の方法を指示していけと。前衛党論の外部注入なんですよ。既存の権力を倒した場合にどうするか。革命家が実力で秩序を維持するということなんですよね。バクーニンの言葉で言うと「不可視の独裁」です。これは完全に過渡期独裁の話ですよね。もし過渡期独裁を主張するのがアナキストでないと言うなら,バクーニンはアナキストではなくなるわけなんです。ともかくバクーニンの主張は,まず外部注入,それから革命党の結社を作る,そして革命組織は完全に中央集権的組織である,下の者は上の者に反抗できない。これのどこがアナキズムなのか。そこには自由もなければ個人も何もない。ところが,アナキズム運動史の中で唯一運動を形成できたのはバクーニンだけなんですよ。プルードンはべつに運動を形成していないんですよね。それからクロポトキンはテロリズムしかできないんですね。クロポトキンは,そういう結社を作ったり云々することを否定するわけです。その結果どうなるかというと,クロポトキン主義の運動というのは国定忠治みたいなものなんですよ。アナキストはふだんは山の上にいるんですよね。自炊生活をしているんです。そして税金申告時になると山から下りてくるわけですよ。ふもとに下りてきて役場に爆弾投げるんですよね。そうすると税金の書類が焼けるわけですよ。そしたら人々は税金を申告しなくてもいいんですよ。人々から拍手もらって,食い物やカンパもらって山へ帰るんですよね(会場,笑)。毎年それを定期的にやるんです。これがクロポトキンの運動なんです。それは場当たり的な運動論や組織論ではなくて,「行為によるプロパガンダ」という言い方をしていて,実際に爆弾を投げて,役所を潰して,プロパガンダするんだということですけどね。そういうことしかできない。バクーニンとクロポトキンにおいても全く運動の性質が違うんですよね。そのぐらい実はアナキズムというのは曖昧であるということです。

 われわれが理解しているアナキズムとか,マルクス主義とアナキズムの対立とかいうのは,ある時期に作為的に作られた話なんですよ。たとえば,プルードンとマルクスにしても,バクーニンとマルクスにしても,アナキストと反アナキストとして論争したわけではないんです。本を読めばおわかりになると思うんですけど,プルードンもバクーニンも自分のことをアナキストとは言っていません。言っていても主義というより傾向的立場のようなものです。たとえば,バクーニンは自分の思想的立場については革命的社会主義者と言っているんです。アナキストとは言ってない。それではわれわれが現代において理解する「マルクス主義とアナキズム」とか「権威的社会主義と反権威的社会主義」の対立とかがどういう経緯でできたかというと,第二インターを作ったときに,主導権をドイツのマルクス派の社民が握るんですよね。それで議会路線に走って,非合法路線をセクト主義的に排除したわけですよ。その時,非合法路線をとっていたのがアナキスト,具体的に言えばクロポトキン派なんですよ。クロポトキン派は第一インターの多数派のバクーニン派を継承しているという意味でインターの正統派として自分たちの黒色インターというのを作り,自分たちの結社を作るわけなんです。その時に自分たちはアナキズムで,自分たちの敵は権威的社会主義だということで,二項対立の話を作る。それによってわれわれが現在理解している,たとえば「マルクス主義とアナキズムの対立」であるとか,「権威的社会主義と反権威的社会主義の対立」であるとかいうような絵空事が作られるんですね。だから,あれは第二インターの時代のマルクス主義やクロポトキン派の話にすぎないのです。実際問題考えたら,これがアナキズムだっていうイズムがあるんでなしに,個々のみんながアナキストであったりアナキストでなかったりするのが所詮は現実だと思うんですよね。

 日本で,いまアナキストだというと,高等遊民であるとか,自由人であるとか,非常に反権威的であるとか,そういうような理解で,実際にそういう部分はあると思うんですけど,私の経験でいくと,1968年,69年ごろにアナキストというと,すぐに警察が来るんですよ。僕が高校2年のときかな,大阪の梅田に太融寺〔たいゆうじ〕というお寺があって,『源氏物語』の光源氏のモデルになったと言われる嵯峨源氏の公家の源融〔みなもとのとおる〕の縁の寺なんですけど,そこの会館で「黒の会」とかいうアナキストの会合があったんです。大杉栄が殺されて,われわれは大杉栄の復讐をするということで中浜哲がギロチン社を作ったのですが,そのギロチン社の生き残りの逸見吉三さんという方が当時を語るんだということで,ああ,面白そうだと思って行ったんですよ。行ったら,やっぱり公安が来ているんですよ。すぐさま高校に連絡がいくわけですよ。「お前の学校にアナキストがいてる」と。アナキストというとマルクス主義者と違って,当時は単なる凶暴な犯罪者なんですよ(笑)。僕の高校には解放派であるとか中核派であるとか,みないたんですが,彼らは一人一人生活指導室に呼ばれて,「あいつとつきあうな」と言われるんだそうです(笑)。「君は真面目な共産主義者やから,ちゃんと世界のことを考えている。彼はアナキストや」と。そういう意味でアナキストは,犯罪者であると見られていたということですね。

前田

あっという間に時間がたってしまって名残惜しいんですけど,お開きとします。最初にご案内したとおり二次会を予定していますので,あとはそちらで。今日はどうもありがとうございました。

〔記録:丸山理絵〕

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