繙蟠録 I & II
 

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繙 蟠 録 II 2013年4-6月

2013/06/23 「組継ぎ本」マニュアル

05/08付で公開した「組継ぎ本」について,あちこちからお問合せをいただいており,ここに注意点を備忘録として記しておきたい。

 「組継ぎ本」はホッチキス(ステープラー)もノリもセロテープも使うことなく,ページを組み合わせて1冊にまとめる技法であり,これは大工さんの技法を折り紙の伝統のなかに融合させたものである。

  • 12頁を基本にして,8頁ずつ増やしていく。252頁でも開きを気にすることなく読むことができ,中央が影になることなくコピーできる。
  • 基本の12頁とは05/08付の16頁のうち中央に穴をあけた1枚を抜いたものであり,面付けは,1 6(5 2),3 10(9 4),7 12(11 8)となる。
  • 本に仕上げた際に外側には中央穴開けものは配置せず(破れやすいから),両端切れ込みものを配置する。したがって,たとえば,68頁ものの場合,面付けは,1 6(5 2),3 10(9 4),7 14(13 8),11 18(17 12),15 22(21 16),19 26(25 20),23 30(29 24),27 34(33 28),31 38(37 32),35 42(41 36),39 46(45 40),43 50(49 44),47 54(53 48),51 58(57 52),55 62(61 56),59 66(65 60),63 68(67 64)となるわけだ(以上,カッコ内は裏面,太字は両端切れ込みもの,並字は中央穴開けもの)。
  • 製本は,編み物のように,まず両端切れ込みものを中央穴開けものの外からくぐらせ,次の両端切れ込みものを中央穴開けものの内からくぐらせ,両端切れ込みものを次の中央穴開けものの外からくぐらせ,次の両端切れ込みを中央穴開けものの内からくぐらせ,両端切れ込みものを次の中央穴開けものの外からくぐらせ……,と繰り返していく。
  • 切れ込みの長さは,一例としてA5判の場合を05/08付で示したが,判型が小さいときに同比率で短くすると中央穴開けのほうの紙が破れやすくなるので,比率的には長めにする。
先に明らかにしたとおりコピーレフトであり,だれがどこで使おうと自由であり,もっともっと工夫して,よいやりかたが見つかれば,ぜひお知らせください。(M)

2013/05/08 小冊子の製本スタイルのひとつのアイデア

本は組版であり,小説は文体であり,スタイルこそがカナメである。最近もこのことを再認識させられることがあった。私よりもかなり若い世代の人と話したとき,彼は政治社会運動を志そうとしていろんな組織の機関紙誌を読み比べた際にそのスタイルにおおいに左右されたというのである。そう,カッコいいものを選ぶという直感はいいところをついていると思う。

 近年ブームのジンを見ていて,いったい何のために出しているのか,動機が見えないものもある。これは論外だが,必要な人びとのところにメッセージを必死に真剣に届けようとすれば,スタイルに心を砕くべきであろう。拵える側にとっては何百部のなかの1部かもしれないが,受け取った人にとってはその1部がすべてなのである。

以下に公開(コピーレフト)するのは,A5判16ページの小冊子をホッチキス(ステープラー)もノリもセロテープも使わずに拵えるひとつの方法である。大工さんの技法に学んだものなので私は「組継ぎ本」と名づけたが,いっけん糸かがり製本風に仕上がる。

組継ぎ本の作り方
  1. 図のように面付け(薄いノンブルは裏面を示す)して,A4判4枚両面に印刷する(図はクリックすると拡大pdfに)。
  2. p.1とp.16を含む2枚の両端にそれぞれ長さ30.5mmの切れ込みを入れ,残りの2枚は中央に幅0.5mm長さ151.0mmの溝を切り取る。
  3. 中央の破線部をすべて山折りにし,p.1とp.16を向かい合わせるようにして2枚揃え(=あ),残りの2枚を外側のp.3から内側のp.6へページ順になるように揃える(=い)。
  4. p.1とp.16の側から(あ)を,(い)内側中央p.6とp.11の間の切れ込み穴に入れ込んで通して切れ込みを組み入れ,p.1からp.16へノンブルが通っていることを確認する。

 補足すれば,コンビニのプリンターはいずれも短辺とじで両面印刷できるが,PDFの印字レベルは格段にセブンイレブン(富士ゼロックス製)がよく,ファミリーマートとローソン(ともにシャープ製)はかなり落ちる。一部の雑誌では特定の条件でのしかも写真印刷でシャープ製がよいとの評価記事を載せているが,小冊子を拵える際の評価としては事実に合致していない。(M)

2013/05/07 「国語科」の解体再編を!

「日本の学校教育システムそのものがいま制度疲労の限界に達している」という内田樹さんの指摘(内田樹の研究室2013.04.07付「学校教育の終わり」)のとおり,崩壊した学校に残っているのはいま,あからさまな差別選別システムのみである。全共闘運動の「教育とは?」という問いかけは虚空に消えたかにみえる。当時は資本のしもべとなった教育を批判して産学協同反対!が叫ばれたが,いまでは実社会であまりにも役に立たない教育内容をみるにつけ実践的な職業教育がいまこそ必要に思えてしまうほどである。

 平田オリザさんが次のように書いているが,現状認識も含めて全面的に賛成である(『わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か』講談社現代新書,2012年10月,pp.59-60)。

 私自身は,もはや「国語」という科目は,その歴史的使命を終えたと考えている。明治期,強い国家,強い軍隊を作るために,どうしても国語の統一が必要であった。それ以降140年間,よく「国語」は,その使命を果たしてきた。しかし,すでにその使命は終わっている。
 私は初等教育段階では,「国語」を完全に解体し,「表現」という科目と「ことば」という科目に分けることを提唱してきた。
 「表現」には,演劇,音楽,図工はもとより,国語の作文やスピーチ,現在は体育に押しやられているダンスなどを含める。10歳くらいまでの子どもにとって,このような教科の分け方はほとんど意味がない。〔中略〕
 「ことば」科では,文法や発音・発声をきちんと教える。現在,日本は先進国の中で,ほとんど唯一,発音・発声をきちんと教えていない国となっている。〔後略〕

文字を排列する技芸としての組版をどう学ぶかから考えても,文字の伝達と表現というふたつの働き,およびその両者の関係への理解がキモであり,「ことば(伝達)」科目に東アジアの漢文文化圏の組版が位置づけられる必要があり,現在のように原稿用紙の使い方と隔絶したところでパソコン・ワープロがあるという現状は,教育から組みかえる必要がある。

 西南戦争で明治維新の初心を圧殺した明治天皇制国民国家が統合のツールとした「国語科」は「国史科」とともに役割を終えており,解体するときがきているのである。身ぶり手ぶりや歌,絵による《表現》と文字の読み書き,組版の《伝達》とに再編成するのがよいと思う。

 友人でもある間奈美子さんが提唱し続けている「詩学」が既存の学問区分のなかでなかなか理解されない一因に,旧態依然たる「国語科」の存在があるのではないか。打ち破らなければ打ち立てられない!(M)

2013/05/04 五四運動94周年の日に

五四運動から94年が経つ。日本の全共闘運動が「一月激闘(安田講堂攻防戦)を五四運動の地平とせよ!」と呼びかけてから44年である。800字で近況を!と求められてある小冊子に書いた原稿を以下に転載しておく。

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社会のゆくえを決めるのは青年だ、と最近痛感している。私は7年前から外部講師として、今は非常勤講師として神戸芸術工科大学に来ている。新科目提案がとおり、自分の科目を持つようになり3年目、専門の組版(文字を排列する技芸)と関連の数科目の授業(集中講義)のため月2回は関西に来ている。関西の酒食の旨さには大阪生まれゆえ驚きはない。とくに印象付けられるのは、東京と比べて、電車の中でも居酒屋でも、若者や女性が元気なことだ。東京の若者は多くが「空気を読むこと」を強制されているからだろうか、“目立ってなんぼ”の関西と対照的である。

 「黒船」という西欧近代化の波(外因)に同じように直面した東アジアで、大陸や半島に先行して日本が明治維新を実現した力(内因)はいったいどこにあったのか。大陸や半島では科挙により在野の知恵と力が体制維持のために吸い取られ続けたのに対して、日本では各地で在野に草莽の力(批判精神)が蓄積されていたことが大きい。明治維新の志士たちは年齢的には今の高校生ぐらいの若者だ。彼らが自由と平等、独立を求める人々の先頭に立った。還暦近い私たち自身を省みればわかるように、若者は目前の打算に囚われず、正義感と向学心にあふれ、考え方が柔軟である。

 拝金主義にまみれた今の日本を変革する力もまた、東京からではなく在野の元気な若者たちから巻き起こるにちがいない。都築響一の労作『ヒップホップの詩人たち ROADSIDE POETS』(新潮社、2013年)は、東京にしか目を向けない既存メディアには見えない、地方に生まれ育ちそこで活動しているアーティストたちの熱と光を伝えている。東大一辺倒でない生き方の定着、これは全共闘運動が生み出したよい面であり、「午前八時、九時のように、生気はつらつとした」(毛沢東)若者たちは必ずや日本の新たな維新を実現する――キラキラした若者たちと毎日接しながら、私は確信を強めている。

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(M)
2013/04/30 『北京1966』著者ソランジュ・ブラン来日記念講演会

■『北京1966』著者来日記念講演会
  北京1966 文化大革命 ―映像・眼差し・痕跡―

2012年12月に勉誠出版より刊行された『北京1966』の原著者ソランジュ・ブラン氏の来日講演が、下記要領で開催されることになりました。文革中国の日常風景を、青春時代にアマチュアの視点から撮影したフランス人女性が、今春注目の新刊写真集について語ります。

  • 日時:5月2日(木)15:00-16:30
  • 場所:専修大学神田校舎 7号館3階731教室   URL:http://www.senshu-u.ac.jp/univguide/profile/access.html#kanda
  • 入場無料/通訳あり
  • 主催:専修大学 下澤・土屋研究室 後援:日中友好協会東京都連合会
  • 問い合わせ:土屋昌明 E-mail:tuwuchangming@yahoo.co.jp
  • 元情報の引用元はWEB『東方』催事情報です。(M)


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