索 引 

■最近のおすすめ記事

 浅川史『魯迅文学を読む』を読もう!2018/03/24

■繙蟠録 II 2019年

 10月(7) 9月(12)
 8月(10) 7月(14)
 5-6月(9)

■繙蟠録 II 2018年

 5-8月(6) 1-4月(3)

■繙蟠録 II 2016年

 4-12月(4)

■繙蟠録 II 2015年

 3-11月(5)

■繙蟠録 II 2014年

 11月(2) 7-8月(3)
 3-6月(2) 1-2月(6)

■繙蟠録 II 2013年

 11-12月(2) 8月(4)
 7月(11) 4-6月(5)
 3月(3) 2月(4) 1月(7)

■繙蟠録 II 2012年

 2012年(2)

■繙蟠録 II 2011年

 7-8月 6月 5月
 4月 3月 2月 1月

■繙蟠録 2010年

 12月後半(1) 前半(1)
 11月後半(2) 前半(2)
 10月後半(3) 前半(2)
 9月後半(1) 8月後半(2)
 8月前半(3) 7月前半(2)
 5月後半(1) 前半(3)
 4月後半(1) 前半(3)
 3月後半(2) 前半(1)
 2月後半(2) 前半(3)
 1月後半(4) 前半(4)

■繙蟠録 2009年

 12月後半(2) 前半(5)
 11月後半(3) 前半(3)
 10月後半(2) 前半(2)
 9月後半(3) 前半(6)
 8月後半(3) 前半(6)
 7月後半(2) 前半(5)
 6月後半(6) 前半(4)
 5月後半(5) 前半(3)

 神戸芸工大組版講義 

編集・校正・組版は汀線社

 “組継ぎ本”実習動画 

はんはんろく 前田年昭のブログ RSS RSS 更新情報(直近分目次)

2019/12/12 12/21、映画『秋の嵐 Harajuku im herbst』初上映!

◆12月21日(土)18時開場、18時半スタート
◆会場 日本キリスト教快感4階AB会議室(地下鉄東西線「早稲田」駅下車2番出口または3b出口から徒歩約7分)
◆入場料 1,000円
◆問合せ 〈秋の嵐〉映像制作委員会 akiara.movie@gmail.com

昭和天皇死去前後の数年間、東京・原宿ホコ天を中心に、「天皇制解体」を掲げて行動した若者の集団「反天皇制全国個人共闘〈秋の嵐〉」。彼らが展開した路上の闘いを記録した映像を、新発掘の素材も含めて編集した「秋の嵐 Harajuku im herbst」を初公開。戦前前後の連続を暴くヒロヒト・キョンシー作戦、機動隊によって封じられた「さよならヒロヒト」路上ライブ、通行人にマイクを開放したスピーカーズコーナーなどなど、反天皇制の路上表現を縦横に展開した〈秋の嵐〉の全軌跡を映像で振り返る。

2019/12/06 【ご案内】やってみよう!読みやすい「組版」実習

やってみよう!読みやすい「組版」実習 at アトリエ・ハコ(西荻窪)

  • 日時 12月22日(日)14:30~17:30(受付、14:15より)
  • 参加費 2500円
  • 場所 アトリエ・ハコ(→
       杉並区西荻南3-8-19 ヤマイチビル3F tel 03-5941-6474
  • 持ち物 カッター、筆記用具、電卓
  • 公式URL 古本と手製本ヨンネ
  • 申し込み先 ヨンネさん info@yon-ne.com まで

人びとは、ことばを文字にして紙に刷って束ねて綴じ、本にすることによって、ことばを伝え続けてきました。
本は人間が創り出したいちばんの発明です。文字のない本はありません。美しい本とは読みやすい本であること、すなわち、広く伝え、表現するという目的が貫かれていることが、何より大切な条件です。
では、文字はどのような決まりごとで組まれているのでしょうか。私たちは学校で、ひとますにひとつずつ文字を並べると、原稿用紙の使い方として習っています。けれど、印刷物としての文字の並べ方、つまり組版については学校で教わることはありません。ワープロ、パソコンやスマートフォンで文字を入力することはできますが、ほんとうに読みやすい本づくりを実現するためには「組版」という技術が必要です。
今回は、読みやすく文字を組む「組版」の基本を、実際に文字を並べる実習をとおして考えてみたいと思います。 (M)

2019/11/19 運―鈍―根はウソっぱち!

松沢裕作『生きづらい明治社会 不安と競争の時代』岩波ジュニア新書、2018年9月。「この本で、私は大きな変化のなかを不安とともに生きたであろう、明治時代の人びとの経験に目を向けてみたい」(はじめに)という著者は、「その日暮らしの人びと 都市下層社会」に目を向け(第2章)、「貧困者への冷たい視線 恤救規則」(第3章)、「小さな政府と努力する人びと」(第4章)を通じて、当時の人びとが、勤勉に働くこと、倹約をすることといった通俗道徳(安丸良夫)の「わな」にはまってしまったのではないか、そのことによってすべてが当人の努力の問題とされ、敗者はダメ人間として道徳的敗者の烙印をおされてしまうと指摘し、「競争する人びと 立身出世」(第6章)ではこの通俗道徳のわなにはまってしまうと抜け出すのは難しく、成功するための努力は他人を蹴落としてでも成功をという競争社会を生むと断じている。
 注目すべきは第7章の「暴れる若い男性たち 日露戦争後の都市民衆騒擾」。ここで著者は、「一五歳から二五歳までの参加者が全体の六割から七割前後を占め」「一九〇五年の日比谷焼き打ち事件から、一九一八年の米騒動まで、この世代の参加者が多いという傾向が変わらない」という事実に着目する(新左翼運動の参加者のように、平均年齢が上がっていくわけではないのだ!)。職業は「職人、工場労働者、人力車夫や日雇い労働者などの比率がどの暴動でも高い値を示し…都市下層社会の人びとが中心であった」。「明治社会の生きづらさ、息苦しさ」のなかでは彼らは通俗道徳どおり頑張れば成功するという可能性は奪われ、「当然やりきれない思いをかかえます。そこで、彼らは「あえて」通俗道徳にさからってみせます。いくら節約しても貯蓄できる可能性がないのなら、「あえて」その日に稼いだお金は、ぱっと潔くその日のうちにつかってしまう。……そういうのが、「かっこいい」、あるいは「男らしい」。そういうカルチャーが、都市の若い男性労働者たちの間に広まっていった」という。著者は、この「カルチャーは、確かに「通俗道徳のわな」に対する一つの抵抗のしかた」だが、それではわなから逃れられない、なぜか、として「第一に、それは、単純に通俗道徳をひっくり返して反対のことをやっているだけ」「第二に、彼らが通俗道徳にしたがおうとしたがうまいと、社会全体が「通俗道徳のわな」に人びとをはめ込むような仕組みになっている以上、事態はなにもかわらない」の二点を根拠に挙げる。
 ここまではそうだそうだと頷きながら読んだのだが、では何をもって通俗道徳批判を行うのかというところで、ハタと疑問を感じさせる記述に出会う。

 明治維新という大きな変革は、江戸時代の社会の仕組みを壊しました。江戸時代の村請制による連帯責任のように、相互に助けあうことを強いられていた人びとの結びつきはなくなります。できたばかりの小さくて弱い政府は頼りになりません。頼りになるのは自分の努力だけです。こうした状況のもとでは、ともかくも人はがんばってみるしかありません。がんばって成功した人は、自分の成功は自分のがんばりのおかげだと主張します。成功しなかった人は、成功した人は運が良かっただけかもしれず、失敗した人は運が悪かっただけかもしれないとしても、です。私は、この本のなかで、こうした思考のパターンに人びとがはまりこんでゆくことを「通俗道徳のわな」と呼びました。〔p.144〕

 せっかく、現在の日本社会の生きづらさを視るという問題意識をもって、ここまで分析しておきながら、運不運で明日は我が身と警鐘を乱打したとしても、「運を引き寄せるのも努力」といって、すべてを自己責任にもっていく通俗道徳の根強さを批判することはできない。運不運ではない、社会の仕組みが問題なのだ。「通俗道徳のわな(立身出世競争)」批判は、その土台にある天皇制に通ずる同調圧力批判としてなさねばならず、まず運鈍根(または運根鈍)批判でなければならない。運鈍根とは、「成功するためには、幸運と根気と、ねばり強さの三つが必要であるというたとえ」(大辞林 第三版)である。これこそ、目を社会体制から逸らせ、本質を覆い隠す煙幕である。「〈立身出世〉はまさに天皇の異種性の高揚(神格化)の中で可能になった国民統合運動にほかならない。それは、天皇制差別構造の再編成であり、しかもすべての国民に、天皇にまで直結し得るかのような(国民は天皇の赤子と呼ばれた)上昇志向の幻想を与えるものであったと言えよう。」(塚田理『象徴天皇制とキリスト教』新教出版社、1990年)
 田原総一朗から成毛眞にいたる運鈍根信者の垂れ流す人生訓などに騙されてはいけない(関連本を多数出している青春出版社はその走狗!)。「“連続射殺魔”永山則夫の「私設」夜間中学いろはがるた」(1973)は、「ん」の「運―鈍―根はウソっぱち!」で締めくくられている。 (M)

2019/11/09 文字サイズの単位はポイントか級か

同名の文書「文字サイズの単位はポイントか級か」(2011.10.10)がJAGAT(日本印刷技術協会)のアーカイブで読める。筆者の小林敏さんは、JIS X 4051(日本語文書の行組版方法)の策定に際して、芝野耕司主査のもとで、小野沢賢三、枝本順三郎、野村保惠らの各氏とともに多大な貢献をされた方である。
 「使用できる文字サイズの単位は、実務的にはどんな単位が望ましいのか」との問いに対して、小林さんはここで、「“使い慣れた単位が最もよい”というのが答えとして考えられる」として、「私は、ポイント単位であれば、ある範囲の大きさがイメージできるが、級の場合はせいぜい10級から13級くらいの範囲しかイメージできない」といい、「文字サイズは、表示体裁にアクセントを付けるもので…どのくらいの大きさの違いがあれば見た目の差が付くのか、という問題」だとして「差が付くという場合、1級(0.25mm)ではやや小さく、1ポイントの0.3514mm(又は0.3528mm)という大きさの差が人間の視覚能力にあっているといえるのかもしれない。整数の数値で指示したい場合、ポイントの利用が便利ということかもしれない」ともいって、ポイントに軍配を上げている。
 何と出鱈目な、と私はあいた口がふさがらない。ここで、はっきりと、莫迦なことを書き散らす者には組版を語る資格はない、と断言しておきたい。
 その他、この問題についてネット上で読める主な記事には次のようなものがある(用語解説や換算表のみのものは除く)。

 結論を先取りして言えば、本や雑誌など印刷物は工業製品としての紙で拵えられているという視点が欠落してしまっている。紙のサイズは、ISO 216: 2017で定められたA列などの紙仕上がり寸法が国際標準である。ドイツの工業規格DIN 476がもとになっており、世界各国で使われている。日本の国内規格は、1951年に定められたJIS P 0138「紙加工仕上寸法」である。B列はJIS-BシリーズとしてISOと寸法が異なるローカル規格であるが、ISO-Aシリーズとして規定されているA列はISOと全く同じ国際規格である。
 先に挙げたもろもろの記事は、そのほとんどが、級は日本独自(ガラパゴス!)で、ポイントが一般的であるかのように書かれている。国際単位系(SI)における7つのSI単位のひとつとして、長さは18世紀末以来200年以上の歴史を持つメートル法である。級は1Q(H)=0.25mmと整数で互換を持つ。この世界の流れに反してアメリカなどごく少数の国だけではメートル法は普及せず(こっちがガラパゴスだ!)、ヤード・ポンド法が使われている。ポイントは、1pt.=0.3528mm(あるいは0.3514mm)であるから、mmとは常に端数がでてしまう。
 文字のサイズは、紙のサイズにならってmmおよびこれと互換のある級、歯でのみ正確に測られる。まともな組版設計は級、歯でのみなすことができる。にもかかわらず、DTPではポイントが主流だとか、果ては言うに事欠いたか「使い慣れた単位が最もよい」などと言って、 À tous les temps, à tous les peuples.(全ての時代に、全ての人々に)というメートル法制定精神に反することを書き散らすことは決して許されない。 (M)

2019/10/23 和文組版理論史(1)

連載中の「和文縦組みの組み方」の途中であるが、ここで和文組版の理論がどのように発展してきたのか、歴史を振り返っておきたい。
 文字組版におけるアナログからデジタルへの転換とは写植からDTPへの転換ではなく(!)、活版と手動写植から電算写植への転換であった〔注1〕。なぜなら、ここで職人のカンとコツという実践と経験がはじめてコンピュータ処理と出会い、組版ルールとして言葉になったからである。このことはいくら強調しても強調しすぎとは言えない。実践的にはすでに1960年代に活字組版は円熟した組版を実現していた(一例として、岩波書店刊『日本古典文学大系』第1期第2期、1957-1967を挙げておく)が、まだ整備された理論となっていなかったのである。
 活版や手動写植から電算写植への移行は、新聞の分野が早く、写研は「サプトンN」の試作機を1960年10月に発表、65年7月には実用機を公開した。66年9月、社会党機関紙印刷局に導入され、漢字さん孔機(キーボード)による紙テープの再さん孔と全自動活字鋳植機による組版修正は、活字組版による小組―大組差し替えを圧倒した。印字速度は毎分300字(全自動鋳植機の3倍相当)〔注2〕。やがて67年10月、朝日新聞(北海道)が使用を開始、68年1月には佐賀新聞が紙面すべてをサプトンNで制作、3月から日本の日刊紙ではじめて全ページを活版からサプトンに移行し、69年に日本新聞協会から「新聞製作工程の全自動写植化により経営の合理化を果たした」として新聞協会賞を受賞する〔注3〕。以後、日本海新聞、山梨日日新聞、高知新聞と地方紙の導入が相次いだ。当時はまだ端物には写植が入っていたが、本文は活字組版が主流であり、大手印刷会社が全自動活字鋳植機を導入し始めていた。
 写研は1969年、「写植ルール委員会」を設置、社内外の専門家を集め、検討の結果を1971年から広報誌に「写植組版ルール講座」として掲載、1975年に『組みNOW 写植ルールブック』(編集・写研写植ルール委員会、B5判158ページ)としてまとめた。これは和文組版の理論発展史の礎を築いた、歴史的意義を持つものであった。元・写研システム技術部長の小野沢賢三さんは次のように書いている〔注4〕。

SAPCOL-HSの開発にあたっては、従来のSAPCOL-D1の機能の全面的な見直しを行うとともに、この写植ルール委員会の検討結果を取り入れ、編集組版ソフトウェアの仕様が決められた。
 SAPCOL-HSには、行頭行末禁則、分離禁止、字上げ字下げ、欧文(自動ハイフネーション処理)、縦中横、割注、振り分け、アンダーライン、圏点、ルビ、連数字、文字揃え・行揃え、異サイズ混植、和欧文混植、変形サイズ、詰め組、同行見出し・別行見出し、字取り・行取り、表組、赤字訂正などの本文組版処理と、版面指定、多段組(段組の自動折り返しや見出し禁則処理)、段抜き見出し、段間指定・段間罫出力、固定ブロック・フローティングブロック、毎ページ出力、罫引き・罫巻き、柱位置指定・柱文出力、ノンブル位置指定・ノンブル出力、トンボ出力などのページ組版処理が組み込まれ、書籍のページ組版を実現することができた。

 和文組版における基本的な用語定義は劃期的なものだった。これらの用語は、以後、JIS X 4051をはじめ、和文組版の理論上の基礎となった。この歴史的意義は、たとえば、維新期に考案された和製漢語(たとえば、文化、思想、資本、階級、哲学、意識、主観、客観、時間、空間、理論、文学など)がいかに日本社会への近代(思想、技術など)の受容を助けたか、想起すれば明らかであろう。SAPCOLの先進性は、一例を挙げれば「振り分け」である。これは割注に似た機能で、本文1行中に多行の折り返しを行うもので、振り分けの行長を設定して自動的に折り返しを行うことも、行長を設定せずに[項段]によって折り返し箇所を指定することもでき、また、振り分けの中にさらに振り分けを使うこともできた。振り分けの揃えパターンは行方向は右揃え(横組みでは上揃え)、中揃え、左揃え(横組みでは下揃え)でデフォルトは中揃えである。字詰め方向は、頭揃え、末揃え、中揃えでデフォルトは頭揃えである。組版言語SAPCOLには、和文組版の歴史への視座にもとづく的確な哲学と理論があった。それゆえ後に、中国における北大方正の組版言語にも影響を及ぼした〔注5〕。
 このころ、日本写真製版工業組合連合会・全日本印刷工業組合連合会・日本軽印刷工業会による『写真植字のための組版ルールブック』(編集・ルールブック編集委員会、1973年6月初版)が出された。「序」が「写植による組版に、いわゆる「組版ルール」の不在が指摘されてから久しい」と書き始めているように、本文組版の活版から電算写植への移行にあたっての組版ルールへの希求が背景にあった。また、1988年7月、日本エディタースクールが設立した出版教育研究所の勉強会として「組版を考える会」が発足、成果として1991年10月に『電算写植における縦組の組方原則〈検討資料〉』(出版教育研究所・会報特別号、B5判37ページ)が出され、「活字組版から電算植字への転換は、出版の現場にさまざまな影響をおよぼし……組方一般のルールである組方原則について、従来の考え方をそのまま適用してよいのか、もっと別の方法はとれないのかといった問題を発生させ」という問題意識とともに「活字組版よりは、細部の処理などについて、機械的には数段すぐれている電算植字の技術をいかに生かすか、読者にいかに読みやすい、美しい組版を提供するかは、本づくりに携わるものにとって欠かすことのできない課題だ」と提起した。 〔つづく〕

注1 拙稿「電算写植死すとも、コーダー精神は死なず 組版言語、組版規則、職人気質」2019年10月
注2 小野沢賢三「電算写植システムの開発(その1)」2007年
注3 立花敏明「新聞製作技術の軌跡(第15回)」(日本新聞製作技術懇話会広報委員会『CONPT』VOL.42 No.1、2018年1月)
注4 小野澤賢三「電算写植システムの開発(その2)」2007年
注5 拙稿「中国電子出版軟件事情 北大方正で見た中国のWindows DTPシステム」1994年7月

 (M)

2019/10/21 「電算写植死すとも、コーダー精神は死なず」

10月19日、大阪市北区のメビック扇町で開催中の「文字と組版、印刷」展(会期・10/14~10/22、主催・大阪DTPの勉強部屋)の展示会記念セッション「電算写植」において、発表・配布した文書を公開します。

 「電算写植死すとも、コーダー精神は死なず 組版言語、組版規則、職人気質」(A5判 12ページ、PDF 1,883kb)
 (M)

2019/10/16 注目すべき新刊『戦前不敬発言大全』

「不自由展実行委員会、あいトリ閉幕に際し声明発表。「より広く強い連帯が必要」」(美術手帖 2019.10.15)。▼「戦前の日本は「挙国一致」ではなかった!」(デイリーBOOKウォッチ 2019/10/14付)という記事を見つけた。高井ホアン『戦前不敬発言大全 落書き・ビラ・投書・怪文書で見る反天皇制・反皇室・反ヒロヒト的言説』パブリブ、2019年6月、という新刊の紹介である。かかる時期にまことにめでたい。まだ見ていないが、刊行を喜びたい。
 本書は「戦前ホンネ発言大全」というシリーズの第一巻で、第二巻は『戦前反戦発言大全 落書き・ビラ・投書・怪文書で見る反軍・反帝・反資本主義的言説』。合わせて1000件ほどの具体例掲載とのことというから労作である。以下に、記事から一例を無断で孫引きする。

「今に飯が食えなくなるぞ/産業戦士とおだてられ良い気になってる馬鹿野郎 戦争に勝っても負けても俺達の生活に変りない/戦争をやめろ(職工)/ブルジョアを増長させるばかりだ(プロレタリア)」
 こんな黒鉛筆で書かれた落書きが昭和16年12月24日、横浜市の日産自動車第一機械工場の便所内にあるのが見つかった。これ自体は「不敬」ではないが、捜査の結果、「22歳の職工K(文中実名)を検挙。同人はすでに昭和15年10月19日の日記に『天皇トハ何ゾヤ国民アッテノ天皇カ天皇アッテノ国民カ 天皇トハ国民ノ信仰ニ対スル偶像トシテアルノデアル』と不敬字句を記載せる事判明せり」。当時の「特高月報」にそう記されている。
 真珠湾攻撃で日本中が「勝った勝った」と沸いていたとされる時期に、こんな落書きがあったということに驚く。そして日記が調べられ、「不敬」とみなされた箇所が見つかる。結局、不敬罪並びに言論出版集会結社等臨時取締法違反により懲役10か月の判決。「便所の落書きと日記」でかなりの罪である。

 10月22日の不愉快(予定)を愉快に変える方策と仲間は必ず法則的に存在する――という私の確信は、ここに事実として確かに裏づけられた。めでたい。 (M)

[2019.10.21追記]「詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)」10月17日が、やはりこの本を紹介しており、「とてもおもしろい。いまの人間は「言論の自由」を信じているが、昔のひとの方が「自由」だ。憲兵に取り締まられたかもしれないが、そして実際に拷問で死んで行ったひともいるが、なんといっても「精神が自由」だ。言い換えると、「批判力」がある。いまの日本は「批判力」をなくした人間しかいない。「批判」をしないから、圧力をかけられない。それだけのことなのに「自由」だと思い込んでいる。」と書いている。深く同感、同意。


繙蟠録 II  19年9月< 19年10月<
web悍 Topへ