索 引 

◆連載「組版夜話」 2020/07~

索引 第1話~第21話
第22話 2021/05

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■繙蟠録 II 2023年

 5-12月(5) 2-4月(4)
1月(8)

□繙蟠録 II 2022年

 12月(5) 8月(5)
 3-7月(4) 1-2月(5)

□繙蟠録 II 2020年

 6-10月(8)
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 11-12月(4) 10月(7)
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 5-8月(6) 1-4月(3)

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 11-12月(2) 8月(4)
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 3月(3) 2月(4) 1月(7)

□繙蟠録 II 2012年

 2012年(2)

□繙蟠録 II 2011年

 7-8月 6月 5月
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■繙蟠録 2010年

 12月後半(1) 前半(1)
 11月後半(2) 前半(2)
 10月後半(3) 前半(2)
 9月後半(1) 8月後半(2)
 8月前半(3) 7月前半(2)
 5月後半(1) 前半(3)
 4月後半(1) 前半(3)
 3月後半(2) 前半(1)
 2月後半(2) 前半(3)
 1月後半(4) 前半(4)

□繙蟠録 2009年

 12月後半(2) 前半(5)
 11月後半(3) 前半(3)
 10月後半(2) 前半(2)
 9月後半(3) 前半(6)
 8月後半(3) 前半(6)
 7月後半(2) 前半(5)
 6月後半(6) 前半(4)
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2024/03/12 読書会『抗日パルチザン参加者たちの回想記』第4回ごあんない

第1回読書会(5月20日)で,「回想記」の歴史的背景である1930~40年代の朝鮮人民の抗日革命闘争史を学んだ私たちは,第2回(8月13日)と第3回(12月2日)で,参加者それぞれが選んだ回想記について報告し,全員で意見交換を続けてきました。権力が歴史修正主義をつよめてきている今,差別や抑圧,抵抗の闘いの歴史を知り学ぶことは,私たち自身の生きる糧です。
 労働者に国境はありません。被害者にも加害者にもなることなく,国際主義を生きるにはどうすればいいのか。ともに読み考え,話し合いましょう。

  • 4月6日(土)午後1時15分~4時半
  • 東京・赤羽北区民センター(JR北赤羽駅徒歩1分)第1和室
  • 参加費 500円(要予約)
  • 主催 前田年昭 電話080-5075-6869
            tmaeda1966516@gmail.com

 13:30~14:30 報 告 土田宏樹さん(元郵便労働者)

  • 未来の幸福のために
    ……リ・ヨンスク(特選集15,第4巻第28話)
  • トゥマン(豆満)江の氷塊をかき分けて
    ……キム・ドンギュ(特選集18,第7巻第9話)
  • カガヨンでの工作
    ……キム・ドンギュ(全訳「敵を瓦解させて」,第3巻第21話)
       →第4回テキストpdf
 14:30~16:30 討 議

↓ 画像をクリックすると,案内チラシ表裏pdfを読むことができます。

2024/02/07 桐島聡さんの生涯を「転向」とみる考え方について

謬論を正したい。
 「潜行」中のふるまい,ライブを明るく盛り上げたとか,近所の道を舗装したとか伝えられていることは,その非転向を裏づけている,と私は考えている。

 死刑判決をうけて35年,名を変えて生き(潜行35年!),死のまぎわに「俺は秩父事件の首謀者だ」と名乗った井上伝蔵は,娘の証言によれば生前の姿は「まったくかげのない明るい父」だったというではないか。元来,主義者は明るいものである。また,1980年に中国から29年ぶりに帰国した(獄中27年!)伊藤律の会見時の姿には,「日本共産党」が断じたスパイなどではなく,志を曲げていない主義者の明るさがあった。

 桐島さん没後の警察による家宅捜索で,いわゆる左翼文書が出てこなかったことをもって,活動から離れたと主張する向きもあるが,それは的外れ,とまでいえないかもしれぬがちょっと待てと言いたい。戦前の日本の共産党員が,また,ファシズム下のドイツ共産党員や,ベトナム戦争時に南の傀儡政権下のベトナム労働党員が,強いられた文書なし状態のなかで,いかに「見解をかくすことを恥とする」という共産主義者としての志を守り通したか,歴史的な事実が主義者としての姿を示す。『朝鮮人強制連行の記録』以後,桐島さんが何を読み,何を考えてきたか,私は直接ききたかった。

 色川大吉『自由民権の地下水』(岩波書店,1990年)p.110に,以下のようなくだりがある。

 人民の戦いは政治的,経済的,軍事的(暴力的)敗北によっては,まだ真の敗北とはならない。
 人民の戦いの真の敗北とは,人民が戦ったこと自体に対して自負と正当性の信頼を失った時,すなわち,倫理的,思想的に敗北した時,真の決定的敗北となるのである。

 井上伝蔵が息子に残した遺言はただひとつ,「あの事件が国事犯として扱われなかったことが残念だ。どうか俺の代わりに秩父へ行って,同志たちの菩提をとむらってくれ」ということであったという。井上伝蔵と同じく死刑判決をうけ,網走監獄で獄中20年の辛酸に耐えた菊池貫平は,その孫が1933年(この年は,戦前左翼が総崩れし,現在以上に反共の嵐が吹き荒れた!)に堂々たる「秩父暴徒戦死者之墓」という無名戦士の碑を八ヶ岳に向かいあった丘に立て,志の持続を示した。

 私はあくまで桐島聡さんを追悼し続ける。 (M)

2024/01/30 桐島聡さんを追悼する

1月29日,桐島聡さんの訃報が伝えられました。
 悔しかっただろうと思います。ますます反動化が進む日本社会のなかで,桐島さんはどう思い,何を考えていただろうか,と。

 桐島さんは,私と同い年(しかも誕生日は3日違い!)であるだけでなく,面識こそありませんが,半世紀前は,私はきわめて思想的に近いところにおり,手配写真を目にするたびに,自身の励みにしながら,元気でいるだろうかと気にかけ続けていました。

 私は,東アジア反日武装戦線とは,船本洲治さん―黒川芳正さんを介して向き合っていました。日本の左翼運動のなかで,真剣に,日本のアジア侵略(過去から現在に続く)と闘おうとした人たちでした。天皇裕仁の戦争責任を糺し,爆殺を図って未遂に終わった虹作戦は,お前はどうするのかという問いかけでもありました。
 東アジア反日武装戦線は,ロシア革命のなかで,ヴ・ナロード(人民の中へ)運動を経て皇帝暗殺テロに走った「人民の意志」派に比すことができます。レーニンの兄,アレクサンドル・ウリヤノフはこのグループに属し,計画の失敗後,抗弁も助命嘆願もせず,処刑されました。

 私は,1975年7月に船本洲治さんの人民葬で「追悼文」(7月4日)を出してから,私は彼らとは「同じやり方をとらない」と意思表示し,金属加工工場に入って労働運動をやりました。それが,朝鮮・中国人民の抗日闘争につながる道だと思ったからです。

 私は,桐島さんと会って,ちがう道を選んだその後について,話しあいたかった。
 桐島聡さんは,「人民の意志」派のレーニンのお兄さんと同様,革命家として生涯を全うし,自分の死期を読み切って,名のり出たのだと思っています。
 彼らが私たちに残した思想的な「遺産」は,東アジア反日武装戦線公判廷における荒井幹夫さんの「意見陳述」(1976年12月24日)に記されています。ぜひ読んでください。 (M)


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