繙蟠録 I & II
 

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繙 蟠 録 II 2019年5-6月

2019/06/30 ルネサンス研究所7月定例研究会へのお誘い

菅孝行さんのお声がけで、ルネサンス研究所の研究会で私が報告をします。題して「日帝自立論再考」。以下、中村勝己さん「ルネサンス研究所の7月定例研究会のお知らせ」(ちきゅう座 19.6.28)から転載しますので、ぜひご参加ください。(M)

【 ルネサンス研究所の運営委員のひとり、菅孝行の新著が刊行されました。『天皇制と闘うとはどういうことか』(航思社)です。今回の定例研究会は、この本の合評会を行ないます。本書は「平成」から「令和」へと代替わりした象徴天皇制の支配構造を分析しながら、日本国家と日本社会の現在を厳しく批判するものです。安倍政治、天皇(当時)明仁の「8・8メッセージ」、沖縄の辺野古基地建設の強行、賤民文化と天皇制、これからの社会変革を展望する〈組織戦〉あるいは〈陣地戦〉の方向性など多岐に渡る論点が提示されています。そこで、ルネサンス研究所の内外で菅孝行の本書に触発された評者をふたり立てて合評会形式の討論会を持ちたいと思います。皆さんのご参加を呼びかけます。

日 時:7月9日(火)開場18:15(18:15まで授業が入っています)~21:00
会 場:専修大学神田校舎7号館7階772教室(前回と同じ)
報告者:①前田年昭(組版校正者 元『悍』編集人) 「日帝自立論再考」
    ②塩野谷恭輔(宗教学・東京大学大学院)

報告者の問題意識
① 菅孝行さんの提起を、私は、反権力の闘いを狭義の政治システムへの抵抗としてしか捉えてこなかった戦後左翼運動に対する総括と反省と受けとめ、共感しています。今回の報告では、戦後の帝国主義をめぐる競争と対立の関係が、必ずしも戦争による再々分割へと向かわず、帝国主義同士の自発的な「提携」関係をとっていることを、日本帝国主義の分析を通じて裏づけ、考えたいと思います。この問題についてはすでに、60年代から提起と論議があったにもかかわらず、その後、深められて来なかったのが現状です。なぜ論議を深めることができなかったのか。日本帝国主義の経済的な自立、アジアへの経済侵略に対しては、分析と批判がありましたが、そもそもレーニンの『帝国主義論』を読み誤ってきたのではなかったか――以上が、問題提起の骨子であり、いわば「日帝『自立』論」の呪縛を解くことがねらいです(前田年昭)。

② 天皇代替わりから早2ヶ月が経過したが、皇位継承に関連した神道儀式は当面のあいだ続き、大手メディアもいまだに改元気分から抜けきらない。「八・八メッセージ」が天皇制の行く末についての論議を、結果的にとはいえ惹起したのは事実であり、それは戦後民主主義者として知られる某批評家をして、天皇制廃止を提案せしめるほどのものではあった。しかし、いざ代替わりが終わってみると、こうした議論は「なかったこと」にされてしまっているのではないか。安倍自民党政権は、東京五輪・大阪万博を見据え、改憲(9条自衛隊明記ほか、天皇の元首化も含む)を着実に日程に上げている。政権にとって懸念事項であった明仁の退位も無事に(?)終え、天皇制についてもすでに熟議が尽くされた「かのように」。だが真の問題は、かかる雰囲気が国民一般にも共有されている点だろう。天皇制論議は「改元気分に水を差す」のである。菅孝行氏の議論の特色は、天皇制の基盤にほかならないかかる“国民”の心性の解体と、反資本-反権力の〈陣地〉闘争とを結び付け、実際の運動モデルを提起している点にある。本報告では、菅氏の観点の新しさを読み解いていきたい(塩野谷恭輔)。】

2019/06/27 天皇制批判の衰亡を自己批判的に直視する

芸人が「反社会的勢力」と接触したらダメだという珍論(!)に、三國連太郎が生きていたら何と言っただろうか。天皇即位の周年「奉祝」で曲を拵えるなんて糞である。「時は令和元年」などとバトルで粋がるラッパー、選挙行かなきゃと説教垂れるパンクス……、やめてくれ!莫迦の極北ではないか。新年一般参賀(19.01.02)に154,800人、皇位継承一般参賀(19.5.4)に141,130人――ときくと、腹が立ってしょうがない、死ねばいいのに、と「非国民」であることに誇りを持つ私は思う。
 若い人たちに天皇制への批判が欠片もない現状をどう見るべきか。結論を先取りしていえば、左翼の敗北である。天皇賛美一辺倒は左翼の敗北に起因する。私は、左翼の一人として、敗北の事実を直視するところから総括しなければならないと考えている。
 近代天皇制は資本主義によって拵えられたものであり、天皇制イデオロギーはそれまで民衆とは縁がなかった。改元騒ぎで『万葉集』が国民歌集だと喧伝されたが、すでに品田悦一 「国民歌集の発明・序説」1996、他が明らかにしたとおり、国民文学としての万葉集は近代になって作られた。では、今の、民衆の思想における天皇制へのドレイ的無批判はどこから来たのか。民衆と天皇思想との結びつきはいつ生まれ、明治の資本と権力はなぜこれを利用し得たのか。明治以前の民衆思想と天皇についてはどうか(この点、左翼運動はまだまだ研究不足である)。
 資本と権力は、天皇制を象徴天皇制として完成させるにあたり、天皇が政治権力を行使した戦前は特殊で歴史的にはずっと不執政つまり象徴だったと強調する。だが分析は具体的でなければならず、具体的にみれば、千数百年のうち五、六百年は断続的に執政権力だったのである。象徴天皇制に先立つ不執政の時代といえば近世後期である。天皇思想の形成を分析するには、この時期の民衆思想とのかかわりを見る必要があるだろう。
 私は明治維新は、四民平等を掲げて身分差別の打破をはかる第一歩を記した革命だったと考える。明治政権はこれを簒奪したのである。変革の不十分さを強調するあまり、変革の歴史的意義を否定してしまっては、簒奪勢力を勢いづけるだけである。明治維新100年は反動的佐藤政権による「明治100年」に簒奪され、「建国記念の日」=紀元節復活を許してしまった。明治維新150年をこれまた反動的安倍政権による「明治150年」に奪われたままにしてはならず、階級的歴史観を打ち立てて司馬史観を打ち破っていく必要がある。また、日本資本主義論争を再々総括しなければならない。労農派は、明治のブルジョア経済は捉え得ても、政治権力の基本分析が間違っていた。講座派は独占資本と寄生的地主に支えられた近代天皇制を権力として的確に分析した。だがしかし、薩長藩閥専制権力による強行的帝国主義は明らかなブルジョア独裁であった。いま必要なことは、講座派の階級的な再総括ではないか。(M)

2019/06/26 天皇制は「伝統」などではない。資本主義が拵えたものである

「一木一草に天皇制がある」(「権力と芸術」、講座『現代芸術』第二巻所収)とは竹内好の言葉である。これを鶴見俊輔は絶賛する(『竹内好 ある方法の伝記』岩波書店、2010/リブロポート、1995)。果たして本当か。否、断じて否である。天皇制をさも古来からの伝統のように「一木一草」と評することは、たとえ天皇制に批判的姿勢を装っていたとしても、つまるところ「万世一系」神話を補強し、なかなか転覆し得ぬ伝統として、諦めを強いるものである。「一木一草に天皇制がある」という見方考え方は、天皇制の歴史のウソを支え、天皇制廃絶の闘いに悲観論を持ち込むものであり、敵のまわし者の思想である。
 生まれによって人と人との間に上下の差別を付ける天皇制は廃絶しなければならない。天皇制は、明治維新後に、資本主義によって拵えられたものである。天皇制はけっして伝統などではなく、維新当時、ほとんどの人民は知らなかった。明治政府が天皇という存在を必死に「告諭」した事実一つとってもこの真実を裏づけている。では、なぜ竹内は「一木一草」と言い、鶴見はこれを絶賛したのか。それは悲しいかな、竹内も鶴見も多くの人びとと同様、「教育勅語」で洗脳されてしまったからである(批判精神がなければドレイになるしかない)。教育の何と恐ろしいことか。
 象徴天皇制は、その近代天皇制によって衣替えされた、完成形態である。戦前の神権天皇制は、連続する「戦勝」によって大衆をオルグし階級解体した。戦後の象徴天皇制は、絶え間ない「災害見舞い行脚」によって大衆をオルグし階級解体したのである(宮内庁「被災地お見舞い」を見よ)。批判精神なき教育とマスコミの何と罪深く酷いことか。
 竹内好による、魯迅文学の歪曲、改竄は、浅川史さんの労作『魯迅文学を読む』(スペース伽耶、2010)によって徹底的に暴露され、批判された。内藤由直さんが「書評」〔日本文学60(11),90-91,2011,日本文学協会〕を書き、私もこの繙蟠録で「浅川史『魯迅文学を読む』を読もう! 軍国主義への抵抗の書という伝説を打破し、ナショナリスト竹内好の本質を暴露した戦闘的論証!」(2018.3.24付)を書いた。私はここで「魯迅論に対する批判から中国革命と毛沢東思想の歪曲に対する批判へ、批判と闘争を深めることが必要」と課題を提起したが、竹内好に対する批判はさらに、彼の天皇制論への批判、アジア主義論への批判、「民主か独裁か」批判へと深める必要がある。(M)

2019/06/25 「クリエイティブ」は組版の敵である

フリーターという言葉は、いつ頃から使われ始めたのだろうか。1987年に、リクルートの求人情報誌「FromA(フロム・エー)」(1982-2009)が「生み出し流行語となった」とWikipediaにはある。1991年には広辞苑(第4版)に載る〔ここまで「FromA」「フリーター」の項による〕。このバブル経済のころは、正社員にならずにアルバイトという「自由」な雇用形態で結構稼げていた。組版やデザインは、求人誌の職種分類では「クリエイティブ」と称され始め、本来は「創造的な」という意味のこの言葉が、業界では広告やデザインの制作にかかわる人、または部署、職種を指す言葉になった。だがしかしバブル崩壊とともに、賃金は急落し、同時に正社員の雇用も抑えられ、フリーターの「自由」は野垂れ死にの自由だったことがあからさまになっていく。何が創造的なものか。
 こうした状況における「クリエイティブ」という言葉は、時給換算にしたら最低賃金を大きく下回り、法定有給休暇もロクにとれないという現実を覆い隠し、目をそらせる役割を果たさなかったか。「クリエイティブ」だの「フリーター」だの、幻想をまき散らす言葉を編み出したリクルートは、日本語の文字と組版からすれば、第一級の敵である。
 食い詰めた手動写植の職人たちは廃業や職種転換をやむなくされ、電算写植コーダーたちもまた、食いぶちを探さざるを得なかった。和文組版の歴史にとって“不幸”だったことは、1980年代後半のバブル経済期、広告(端もの)が書籍(ページもの)より重視されたことではなかったか。90年代はじめには、電算写植が手動写植を凌駕していく。組版はコンピュータ技術との出会いによって、それまでのカンとコツという身体と一体になった職人的な経験の蓄積にあった技術を、ロジックとして解放するチャンスに巡りあった。組版言語SAPCOLはその結晶であり、活版以降の和文組版の歴史的な到達点だった。しかし、トップ企業であった写研は、フォントのオープン化をなし得なかったことが大きくマイナスし、90年代末にはDTPに敗北、写植業自体は急速に衰退していったのである。

【関連記事】
 出版大崩壊を十数年前の写植崩壊から考える〔繙蟠録2010/05/01付〕
 http://www.teisensha.com/han/hanhan/hanhan1005a.htm#100501

(M)

2019/06/17 日本独占資本と権力が“戦争”をめざしているというのは本当か

護憲を掲げる人びとは、安倍政権は戦争をやりたがっていると言う。たとえば、九条の会は「安倍首相は戦争法の具体化によってアメリカと共に日本が「戦争をする国」となることをめざし、憲法9条改憲と平行して、質量ともに自衛隊の行動がそれを実行しうるものとするため防衛計画大綱を改定し既成事実づくりをすすめようとしています」と言う(19年1月17日の学習会ちらし)。これは分析として正しいのだろうか。
 確かに、装備を見れば、ストックホルム国際平和研究所集計(2017年)で世界第8位、454億ドルにのぼる。軍事大国の名にふさわしい。だがしかし、資本と権力の目的は利潤追求であり、戦争はそのためのひとつの手段、それ以上でも以下でもない。めざしているのはあくまで利潤追求である。
 「帝国主義とは、(1)独占資本主義、(2)寄生的な、または腐敗しつつある資本主義、(3)死滅しつつある資本主義、である」(レーニン『帝国主義と社会主義の分裂』1916)。20世紀に入って帝国主義国同士は植民地の再分割の争いに突入し、本国の上層貴族労働者は超過利潤のおこぼれで買収されていった。二度の大戦を通じて、地球上が再分割されてしまうと、帝国主義同士は一時的な「提携」関係によって世界支配をはかるようになった。社会主義国は「平和移行」で資本主義に変質させられていった。
 かつての米ソ冷戦の本質は、フルシチョフによって党と社会が資本主義に変質すると(一時、キューバへのミサイル配置という冒険主義をやったことがあったが)、「平和共存」を掲げた世界共同支配だった。毛沢東死後の中国も党と社会が資本主義に変質すると、やはり米ソ同様の「共存」による世界共同支配をめざすようになった。現在の米中経済戦争の本質は、共同支配をはかる帝国主義同士の内輪のいざこざなのである。現在のEUもまた、米中ロなどと経済的に張り合いながら共同支配の一角に食い込もうとしている。
 核拡散防止条約が事実で裏づけている。さも世界平和のための、よいことだと言われるが、真っ赤なウソである。アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の5か国以外の核兵器保有を禁止する、つまり、核の排他的独占を特権的に守るための条約だからである。
 レーニンは、当時の、ヨーロッパ合衆国をめぐる「期待」に対して、帝国主義同士の「提携」は人民の平和ではないと警鐘を鳴らして、幻想を捨てよと説いた。依拠すべきは、帝国主義イデオロギーに毒されていない大衆である。
 階級的政治的にみた場合、日本の独占資本と権力は、必ずしも熱い戦争を第一目的とはせず、アメリカ帝国主義の従属的同盟者として、利潤追求をはかっているとみるべきなのではないか。(M)

2019/06/11 下放とは、働き学ぶ権利を取り戻す闘いのスタイルである(1)

下放とは何だったのか。
 それは働くことと学ぶことを、生きる権利として一体のものとして取り戻そうとした試みだった。歴史的には、中国革命のなかで、1930年代の長征で形作られ、1960年代のプロレタリア文化大革命のなかで、追体験を通じて練り上げられた思想と実践のスタイルである。
 下放の日常を、朱学勤は次のように回想している。

河南の小さな町で、一群の高卒青年労働者が、仕事の引けた後、貧困にしてかつ贅沢ともいうべき思索生活をおくっていた。……彼らは非知識人の身でありながら、正常な時代なら知識人が討論するのを常とするような諸問題を激烈に議論していた。時には、議論の末に顔をまっかにさせ、徹夜に及ぶことすらあった。そんなときに彼らの言い合いで起こされた近隣の人々は、いぶかしげな目で彼らを見たものだ……こいつら昼間はいっしょに仕事している組立工やらパイプ工やら運搬工やらが、いったん夜になるとなぜ史学や哲学や政治学の理屈を議論しはじめるんだ?
――朱学勤「思想史上的失踪者」
(この項、つづく)

【参考】「中国60年代と世界」書庫
第2期 2017.4(第1号)~
http://www.teisensha.com/CR/CR_archive.htm
第1期 2015.3(第1号)~2016.3(第7号)
http://www.teisensha.com/CR/CR_archive1.htm
(M)

2019/06/04 再論・従属帝国主義論

レーニンはけっして古くなっていない
読み手の頭が古くなっているだけである

菅孝行さんは、「資本主義と天皇制」(20190528、ジュンク堂トークセッション)で、象徴天皇制を考えるにあたって「高度に発達した資本制国家相互の提携の二つの型」を大意、次のように指摘した。――東西冷戦後、帝国主義国家は互いに戦争に至るとは必ずしも言えず、自己保全のための提携が基軸になった。ヨーロッパでは水平の提携関係、東アジアではアメリカとの垂直の提携関係。日本は自らすすんで日米地位協定の破棄・改訂の要求を断念する。「この自発性は植民地とは違う。自発的な提携の一形態で、植民地支配とか、覇権国家による従属国支配とは違う」――
 半世紀前、井上清の提起した従属帝国主義論を想起する。『岩波講座日本歴史 第21(現代 第4)』1963、岩波書店、p.256(なおこれは同講座の第2次で、直近の第5次ではないことに注意)にあり、数年後、同趣旨で要約的な論文が『月刊毛沢東思想』に掲載されたはずだが、掲載号不明。
 当時、新左翼(共産同・革共同)は「帝国主義戦争を内乱へ」と唱え、レーニンの『帝国主義尾論』を観念的に読んでいたから、従属帝国主義なんてありえないと散々だった。もしくは黙殺されていた。しかし、近年の沖縄・辺野古の事態をみれば明らかなとおり、日本はアメリカの目下の同盟者として、文字どおり垂直的で従属的な同盟関係を自らすすんで結んでいる。
 レーニン『帝国主義論』を、現実を解明するための武器として虚心に読み直せば、次のような指摘を、まさに今のことだと読むことができる。

――最新の資本主義の時代は、われわれにつぎのことを示している。すなわち、資本家団体のあいだには、世界の経済的分割を基礎として一定の関係が形成されつつあり、そして、これとならんで、またこれと連関して、政治的諸団体のあいだに、諸国家のあいだに、世界の領土的分割、植民地のための闘争、「経済的領土のための闘争」を基礎として、一定の関係が形成されつつあるということである。――〔堀江邑一訳、1958、国民文庫、p.108〕

 なぜ、帝国主義相互の関係が、ヨーロッパでは水平的で、東アジアでは垂直的なのか。菅さんは地政学として説明するが、私は納得がいかない(そもそも地政学ときくと眉唾なのだ)。むしろ、アメリカとソ連が、ソ連の変質に伴って、対立から提携へ変わっていき、米ソが世界共同支配という共通利益のために結託に至った経緯の分析から見るべきではないか。米ソが掲げた「平和共存」は、対立と見せかけて提携して共同支配をめざすための煙幕だった。毛沢東の中国は、この「平和共存」という米ソ世界共同支配を、真っ向から批判して闘ったのである。(M)

2019/06/03 “護憲天皇”擁護論に異議あり!

制度と個人とを明確に区別しよう

安倍の改憲 vs 天皇の護憲という対立、として捉える見方ははたして正しいのかどうか。
 平成の天皇は、政府による改憲の動きに“対抗”するように(安倍政権以前から)「憲法を守り」と強調してサイパン島などへ慰霊に出かけた。また、園遊会では都教育委員会の米長邦雄(将棋棋士)に「(日の丸・君が代の)強制はいけません」とたしなめた。ここから、いわゆる左派、良心派(?)のなかでも天皇(明仁)擁護論がおこり、小沢信男さんは「共闘を組むべき秋(とき)」〔堀内哲編『天皇制と共和制の狭間で』第三書館、2018、p.8〕と書き、内田樹さんは、天皇主義者宣言http://blog.tatsuru.com/2018/07/22_1545.htmlに踏み込んだ。
 左翼諸組織は、天皇の権威に名を借りた権力の弾圧への抵抗は闘っても、統治形態としての天皇制に対しては根底的に闘えていない。「代替わり」への反発は吐露しても、万単位の人びとが皇居へ向かう心情を階級的歴史的に分析できず、したがって、人民の気持ちにふれる天皇制論議はつくれていない。
 生まれながらにして人は平等というなら、一方に、参政権も職業選択の自由もない天皇を制度として認めてしまいながらそれはないだろう。そんな社会には、真の意味での参政権も職業選択の自由もない。その社会には「職業に貴賎なし」とは空手形、ウソ八百だ(ハローワークへ行ってみよ、求人票には年齢性別不問と書かれていても女や高齢者は不採用の企業はヤマほどあるではないか)。
 天皇制廃止はいまだ遠い。問題は、「何よりもダメな〈主権者〉(われら)」(菅孝行『天皇制と闘うとはどういうことか』航思社、2019、p.112)である。
 ここで大切なことは、社会を変えようとするならば、いくら個人としていくらかの「良心」を持とうとも、制度が変わらなければダメだということである。たとえば、個人としてクリスチャンであっても総理大臣としては、資本と権力の要請にしたがって靖国神社を護持する行動をするという事実を見るがよい。クリスチャン大平正芳は靖国に参拝し(1979 https://www.fnn.jp/posts/00350990HDK)、フランシスコという洗礼名を持つ麻生太郎は靖国の国家管理化を提案した(2006 http://www.aso-taro.jp/lecture/talk/060808.html)。
 個人として、天皇(明仁)が、安倍政権にくらべていくら平和主義的であったとしても、反平和主義的な政権に打撃を与えたり、まして転覆することはできないのである。幻想を捨てよ。九条の護憲はしょせん一条(天皇制)護憲の「手のひら」のうちにあり、私はあくまで天皇制廃止の改憲論者でありたい。(M)

2019/05/30 トークイベント 資本主義と天皇制(20190528)

もろもろの事実のなかから変革の芽を見いだす基準とは何か

5月28日、トークセッション菅孝行×友常勉「資本主義と天皇制」(池袋ジュンク)に行った。めあては、菅さんの『天皇制と闘うとはどういうことか』に深く共感したので、自他を確認するため。イベントが記念する新刊は、あわせて友常さんの『夢と爆弾:サバルタンの表現と闘争』も兼ねていたので、質疑も討議も時間がなかったのは仕方ないとも思うが残念だった。菅さんの話はレジュメも準備され、理解を深めることができた。他方、友常さんの話は問題が多く、階級闘争に害悪を流すものだった。ここでは3点記しておく。
 (1)渋谷のハローウィン騒ぎをどうみるか。友常さんは、寄せ場の暴動の延長上に肯定的にみるという、没階級的な見方もここまでくると笑止千万、誰の誰に対する暴動なのか。マルセ太郎の反権力の笑いと、ダウンタウンの弱い者苛めの「笑い」とを笑いとして同列に置けないことと同様、渋谷のハローウィン騒ぎには、変革の芽などない。
 (2)友常さんはしきりに「個」の確立を主張するが、組織嫌いというノンセクト主義もここにきわまれりである。思想は階級をとらえ、組織として、物質の力に転化してはじめて、歴史を動かしうるのである。歴史から真摯に学んで来なかったのか、そうでなかったら、この方の思想とはしょせん脱ぎ着しうるファッションのようなものでしかないのではないか。
 (3)友常さんは、船本洲治を騙るが、彼が手配され潜行する直前に考えていたのは、下層労働者のなかにある反朝鮮反中国意識が、(近年のネトウヨとは違って)下層の現実に根ざしている以上、陣地戦として粘り強く自己変革しうる共同性を『反入管通信』を通じて目指そうとしたのである。75年人民葬における追悼文書http://www.teisensha.com/han/hanhan/hanhan0906b.htm#090625を読み返されたし。(M)


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