繙蟠録 I & II
 

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繙 蟠 録 II 2018年5-8月

2018/08/05 「どちらでもよいこと」に生きる歴史の力

中国の社会・経済・制度史を研究した宮崎市定(1901-1995)に「歴史的地域と文字の排列法」という論文がある(初出は1959、中公文庫『東西交渉史論』1998に所収)。
 歴史学の「終局の目的は、如何にして複雑な歴史を簡単化し得るか、その方法を発見しようとするにある。/所で歴史の簡約化とは、具体的に言えば、歴史事実を時間的、空間的に大きく纏める、言いかえれば地域区分と時代区分とを施すこと」という(この指摘は、けっして半世紀前に書かれたものと思えず、歴史研究の現在に対する的確な批判として生きている!)。
 歴史上の地域区分について「アジアを非ヨーロッパという打消しの言葉で言い表したのでは、主体性を持たない」「非アジアによってヨーロッパを意味させるというわけには行かない」との指摘は、この直後から「方法としてのアジア」を打ち出した竹内好(さらにその劣化縮小再生産としての松本健一)の問題点を予見しているかのようである。それはともかく、宮崎はアジアを西アジア、東アジア、南アジアの三地域に分かち、この地域区分の裏にある必然性を「色々考えた揚句に見出したのは、文字の排列法がこの地域区分法に有力な支持を与えているという事実」に発見する。

〔前略〕要するに西アジアでは文字を右から左へ書き、南アジアでは左から右へ書き、東アジアでは上から下へ書き下すという簡単な事実である。〔中略〕
 原来文字は右から書いても、左から書いても、上から書いても、どちらからでもよいものである。〔中略〕我々は併し乍ら寧ろそういう、どちらでもよい事が、どちらかに決定されているという厳然たる事実の中に、絶大な意義を認めなければならないと思う。それは、どちらでもよい事の中にこそ、反って伝統が充分の威力を発揮しているからである。

 歴史学は地域と時代の区分だということ、その土台は、日常繰り返される「どちらでもよいこと」の中にあるということ――宮崎市定のこの歴史研究への向かい方は(政治的な立場は私とは異なるが)、正しいと思う。
 尊敬するある哲学者は、対立物の統一が相対的であるのに対して、「対立物の闘争は、発展、運動がz絶対的であるように、絶対的である」と指摘した後に、『資本論』の分析方法について次のように書いている。

 マルクスは『資本論』のうちでまず最初に、ブルジョア社会(商品生産社会)のもっとも単純な、もっとも一般的な、もっとも基本的な、もっとも大量的な、もっとも普通な、人々が何億回となくでくわす関係、すなわち商品交換を分析する。分析は、このもっとも単純な現象のうちに(ブルジョア社会のこの「細胞」のうちに)現代の社会のすべての矛盾(あるいはすべての矛盾の「萌芽」)をあばきだす。〔中略〕
 このような仕方がまた弁証法一般の叙述の(あるいは研究の)方法でもなければならない〔中略〕。もっとも単純なもの、もっとも普通なもの、もっとも大量的なもの、等々から始めること、つまり、木の葉は緑である、イワンは人間である、ジューチカは犬である、というような任意の命題から始めること。すでにここには(ヘーゲルが天才的に指摘したように)、個別的なものは普遍的なものであるという弁証法がある。(レーニン「弁証法の問題について」1915-1925、松村一人訳『哲学ノート』岩波文庫、下巻 pp.198-199、太字は引用者)

 「どちらでもよいこと」を直視せず、普通でなく単純でないものばかりに目を向け、これを見つけたのはオレだと自慢しがちなのは、小ブルジョアインテリゲンチアの悪癖である。(M)

2018/07/31 格差問題という、事の本質のすり替えに惑わされないために

非正規雇用が問題になり、格差が社会問題化してから久しい。短く見ても10年以上経つ。「高学歴ワーキングプア」などという筋違いな問題のされ方はさすがに影を潜めたか(学歴無ければ貧乏を受け入れろとでも言わんばかりの思い上がりには反吐が出る)。しかし、事の本質はどこにあるのかは依然として明らかになっていない。

 今の日本社会には、強者と弱者と敗者が存在する。自己認識では時に錯覚しようとも、結局のところこのいずれか以外ではない。

強者と弱者の対立は、所有と労働との対立である

 強者とは労働対象と労働手段を所有し、仕事を知らないのに仕事の采配をふるい続ける者、つまり資本家とその犬のことである。弱者とは、労働者である。弱者は働き、強者(資本家)は搾取し享受する。世界の富を作りだすのはただ労働のみだから、弱者(労働者)は労働を通して自然と社会を知り、自己を形成しうる。強者(資本家)は消費するだけで、実は弱者(労働者)に依存するのみである。弱者(労働者)が自由と自立を獲得していくのと対照的に、強者(資本家)は自らの意識においては自立していると思っていても客観的には自立を喪失していく。弱者(労働者)は自らの意識においては、飢えと失業への恐怖から強者(資本家)に依存させられていると思ってしまうが、真理においては自立的である。その分岐点はどこにあるのか。それは、労働を通じた外との関係が持てるかどうかである。この真理が自覚した思想として明らかになるとき,強者と弱者の立場は入れ替わり、バラバラでは弱いままの弱者は強者に転じて世界を獲得する。

弱者と敗者の対立は、自覚的生産闘争と批判の力である

 弱者の世界獲得はあくまで可能性であって、可能性を現実に変えるためには、自覚的能動性が必要である。強者(資本家)は支配を続けるために、弱者(労働者)をまとまらせず、バラバラにする。貧乏も苦難も身から出たサビだと思い込ませる。さらに、その上層部を買収し、お恵みとして形ばかりの「解放」を与え、いたわる。買収された貴族的弱者(労働者)は、自己を形成できず、奴隷精神に染め上げられる。こうして労働者は、貴族的上層と下層労働者とに分岐した。程度の差はあれ安定した生活を送り、さほど強い不安もなく満足を感じながら生きることのできる階層と、これができない階層との対立である。帰るところのある階層と帰るところのない階層の対立である。世界を獲得しうる本来の労働者の魂と精神は、買収された貴族的労働者のなかにはない。それは「強者と弱者の土俵」から弾き落とされた敗者のなかに息づき、脈うっている。敗者とは下層労働者であり、失業者であり、働く権利を奪い返しながら必死に働く、つまり生産闘争を闘う階級である。

敗北を噛みしめた弱者は、敗者として敗者復活戦を闘う

 弱者はなぜ自己を見失い、堕落してしまったのか。それは自分の力が拠ってたつ労働への誇りを失い、意地を投げ捨てたからである。強者(資本)がいちばん恐れているのは「強者と弱者の土俵」の秘密を暴かれることである。アメリカと中国(かつてならば、アメリカとソ連)、保守と革新、与党と野党……、これらは演出されたニセの対立であり、両者の共同支配を覆い隠す。この、ニセの対立に目を奪われてしまうと、格差問題とは、質的な階級対立ではなく、まさにとめどなく幾段階もの量的な差でしかない。どこかでドレイが「超えるべきは、対立ではなく賃金格差」などと言っていたが、違う。問題は食うか食われるか、生きるか死ぬかの階級対立なのである。
 強者(資本家)は、対立を覆い隠すいちじくの葉っぱを守り抜くためになりふり構わない。さまざまな自立支援法と補助金、対策金をつぎ込み、弱者(労働者)を飼い殺しにする。労働をせずに生きられるとの幻想(たとえばベーシック・インカムなど)を与えながら。労働と切り離されたら、弱者は永遠に弱者であり、奴隷は永遠に奴隷だ。まさに「水平社宣言」が次のように教えたとおりである。

過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々によってなされた吾らの爲の運動が、何等(なんら)の有難い効果を齎(もた)らさなかった事實は、夫等(それら)のすべてが吾々によって、又他の人々によって毎(つね)に人間を冒涜されてゐた罰であったのだ。そしてこれ等の人間を勦(いたわ)るかの如き運動は、かえって多くの兄弟を堕落させた事を想へば、此際(このさい)吾等(われら)の中より人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集團運動を起せるは、寧ろ必然である。

 敗者が弱者を克服し、自己改造したとき、はじめて敗者復活(世界獲得)の闘いは始まる。敵が強いから負け続けるのではない。われわれ自身が、思想的に弱いから負け続けている。武器となる哲学(生きた文字と言葉)をいまだに手にしえていないわれわれ自身の思想に敗因があるのである。

2018/07/17 「いかなる特殊な権利も請求できない階層」とは誰のことか

 この半世紀、さまざまな対策法、自立支援法がつくられた。一面では、運動の成果ではあろう。しかしながら、××(ここには、部落や在日朝鮮人、障害者、女性、など被差別階層の呼称が入る)こそ人間なのだという、人間としての尊厳を取り戻す闘いとしてはどうだったのか。
 最近、大阪・西成の街を久しぶりに歩き、考えさせられた。何のために闘ってきたのか、と。街には数百メートルも間をおかず××解放、××問題の看板を掲げた立派な会館、センターが建ち並んでいた。資本と権力は会館、センターなど建物だけでなくジャブジャブとカネをつぎ込んだ、あたかも解放の「お恵み」は資本と権力によるものだと言わんばかりに。闘いは包摂、回収され、憤怒は沈潜させられてしまったのか。
 ブルジョア社会にあっては、××を理由にする差別は許されない(タテマエとして!)。「リベラル」な人たちもそう口を揃える。なかには(タテマエだけでなく現実に)××差別はすでに存在しないとまで言い出す奴隷もいる。だがしかし、××差別は現実に就職や居住をはじめとして人びとを苦しめ続けている。生きる権利としての働く権利、学ぶ権利は、日本社会のいったいどこに存在するというのか。
 「法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」(日本国憲法第14条)は虚偽であり、憲法第1章天皇条項と整合しない(この点で私は改憲論者である)。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(第25条)をはじめ、生きる権利としての働く権利、学ぶ権利は存在していない。原発でも水害でも被害に遭う階級とそうでない階級が厳然と存在しているのはなぜか(報道は、なぜ東京ばかりで、地方は「存在しない」のか)。××を理由にしたさまざまな差別は、現憲法下でも許されないはずでなかったのか。それぞれの苦難の歴史を想えば、どのような対策法、自立支援法によってカネがつぎ込まれたとしても、なお足りぬ(お金だけではない、とはお金すら出さぬ者どもには発言する資格はない)。闘いのなかでの不正や誤りがあったとしても、負わされてきた苦難の歴史を想えば、その歴史のゆえのこととまずは理会すべきではないか。
 ××差別からの解放とは歴史的な権利である。一例を挙げれば、旧優生保護法下での強制不妊手術も、ハンセン病者に対する隔離収容も、みな資本と国家による差別として本質は同じである。(「講演会/ハンセン病、強制不妊で経験語る「根は一緒」」7月15日付毎日)。しかし、会館やセンターを勝ち取っても、それは闘いの終わりではなく、始まり。××としての、歴史的な誇りは、「人間が人間にとって最高の存在である」という、根本の精神を復興するところに向かう必要がある。闘いに必要なものは何なのか。

すべての身分を解体するような身分であり、普遍的な苦痛のために普遍的な性格をそなえた階層であり、みずからの身体にうけた不正が、特殊な不正ではなく、不正そのものであるために、いかなる特殊な権利も請求できない階層である。歴史的な資格に訴えることができず、もはや人間としての資格に訴えるしかない階層である。……
社会の自分以外のすべての階層から自己を解放し、それによってこれらのすべての階層を解放しなければ、みずからを解放することのできない階層である。要するに、人間性を完全に喪失しているために、自己を獲得するためには、人間性を完全に再獲得しなければならない階層を作りだすのである。……
このように一つの特定の身分として社会を解体する階層こそが、プロレタリアートである。(以上、カール・マルクス『ヘーゲル法哲学批判序説』、中山元訳、光文社古典新訳文庫、2014、pp.192-193)

 そう、現憲法(戦後民主主義)のタテマエを真に実現し、さらに、その虚偽を打破して次へと進むためには、階級としてのプロレタリアートを取り戻す必要がある。なぜならプロレタリアートだけが、(個別の××差別は非公正、不正義として糾すこともできるが、それができぬ存在ゆえ)歴史的な資格に訴えることができず、もはや人間としての資格に訴えるしかない階層だからである。
【関連】中原哲也「団結の哲学をうちたてよう 「ひどいわ,ひどいわ」主義に反対する」(1974) (M)

2018/06/29 和文組版の核心 等幅とプロポーショナルとのふたつのベタ組み

ものかのさんによる和文組版についてのブログ記事は重要であり、おおいに論議すべきことがらだと思う。

  1. 「デジタルフォントの風説 “仮想ボディ”」2015/02/22
  2. 「日本語の活字はどうして全角なのか”」2015/02/28

用語を用いる際には厳密に定義してから用いねばならぬこと、和文組版では等幅とプロポーショナルとふたつのベタ組みに習熟すること――こうした核心点を改めて確信させるに充分な問題提起であり、連帯の気持ちを込めて以下の投稿をした。ここに再録しておく。

まとめと問題提起に感謝と敬意を表します。
前提として、問題意識として、ベタ組みとプロポーショナル組みと「日本語タイポグラフィって、両方できないとだめなのよ」と、深く同感です。そしてその美学を実現する基礎、土台はあくまでベタ組みであるということも付言しておきます。
そのうえで、ともに考えたいのは、ここで述べられている「写真植字」は手動限定で、電算写植はむしろボディに対する考え方においてもDTPと同じではないか、ということです。
つまり、組版技術史の時代区分は活字組版→写真植字→DTPという三つではなく、「活字組版―手動写植」→「電算写植―DTP」という二つだと思うのです。和文文字組版が、コンピュータ処理と出会う以前と以後という二分です。
いかがでしょうか?(2018/06/18 15:57)

連続投稿、恐縮です。これも、ものかのさんの知的刺激に満ちた労作に啓発されたがゆえのこととお許しください。
「なんとか理想に近づけるため最小限度の妥協を選択するのですが、そこにはやはり痛みが伴います。この痛みの根源こそがボディであり、消せない痛みを誤魔化さずに耐え続けることが文字組版をすること」とのご指摘に、深く強く同意します。
世界の文字組版で、ジャスティファイのやり方は用字系別に、おおざっぱに言えば
  (1)ワードスペース調整+ハイフネーション処理
  (2)ワード長調整
  (3)約モノ前後の調整+
あたりに分けられると思います。
(1)英語や独語などラテン文字組版でジャスティファイのために、ワードスペースを伸縮して調整、その際、調整値を大きくしないために、行末にかかった単語を特定の分割可能位置で分割し、前綴りにハイフンを付けます(ハイフネーション処理)。
和文組版と同じ漢文文化圏のハングル組版は、この(1)の仲間ですが、ハイフネーションはなしです(任意の場所で改行可能)。
(2)これに対して、アラビア系文字の組版のジャスティファイは、単語を分割することによってでなく、単語の長さを伸ばすことでジャスティファイをします(カシーダ処理)。
漢字はどうでしょうか。漢字は正確には表意文字でなく表語文字だといわれます。これからするとやはり、単語間(文字間)調整が基本でしょう。評点符号(句読点)発明後は、句読点前後のアキ量調整も併用ですね。
さて、われらが和文組版はどうでしょうか。和文組版は、漢字と両仮名と英数字との混植です。漢字は木活字期から等幅でしたが、仮名は金属活字伝来以前は、むしろ(3)に近かった歴史が長くありました。現在のような、漢字と合せた等幅の仮名への職人たちの苦闘は、リンクを紹介いただいている小宮山博史さんの「四角のなかに押し込めること」にあるとおりですね。
また、書体として明朝体の漢字にセットされたのが、現在の仮名明朝体にいたった経緯については、鈴木広光さんの研究が明らかにしています。「開化の軋み–揺籃期の日本語タイポグラフィ」2011
さて、ここでご意見をうかがいたいのは、優れた言語学者・亀井孝さんが、日本語の歴史を概説された際に、
「仮名に一定の同じ大きさの号数(ポイント)の活字を許して文をまとめ上げるユニフォームは、視覚言語の流れのその律動感を殺ぐこといちじるしい。…舶来の印刷機械が、土着文化をまさに“機械的に”支配した」(「日本列島の言語」
と指摘しましたが、どうこたえたらいいのか、ということです。
なお私自身、答えをもっているわけではなく、十数年考えつづけていますが、いまだに明確な答えを見いだせていません。生産的な討議を希望するものです。(2018/06/18 17:05) (この項、つづく。M)

2018/06/10 「国民運動」という迷夢をうち破れ

資本と権力が人心を失っているにもかかわらず、日本の左翼運動、反権力運動はなぜ、反転攻勢に打って出る力を失ってしまっているのか。敗北を敗北としてしっかりと総括したい。「これ等の人間を勦(いたわ)るかの如き運動は、かえって多くの兄弟を堕落させた」(「水平社宣言」1922年)という指摘に敗因を解き明かすカギがある。
 9年前、私は人民という言葉をめぐる歴史を調べ続けていた。国民(臣民)という奴隷精神を批判し、人民を取り戻さなければ、という想いからである。

日本の左翼運動は「戦後民主主義」を讃美し,そこからの逸脱を右傾化として批判するが,そのような護憲論理から脱皮しなければ,権力と闘うことはできない。「戦後民主主義」批判こそ急務だと私は考えている。「一切ノ自然人ハ法律上平等ナリ」としたマッカーサー憲法草案が,なぜ「すべて国民は、法の下に平等」と「国民」にすり替えられ,帝国臣民としての忠誠度によって分断され,競争させられることとなったのか。
初出:「「一切ノ自然人」を「国民」にすりかえた奴は誰か」繙蟠録 2009/06/15付、「再論・all natural personsとpeople,人民と国民」繙蟠録 2009/06/29付

 日本共産党から一部新左翼まで、人民ではなく国民と名乗り、結果、資本と権力によって非国民と線引きされた人々は、彼らの国民運動の枠外に排除されつづけている。

自らの存在を問わない「弱者救済」

労働運動の主流は、1946年8月に結成された産別会議(全日本産業別労働組合会議)が、朝鮮戦争さなかの1950年7月に第2組合(裏切り者!)としてつくられた総評(日本労働組合総評議会)に取って代わられ、労働者という名乗りは労働貴族に簒奪された。労働者内の強者/弱者/敗者――総評が代表した本工主義は、「うちの会社」の運動(強者)として、目前の企業内既得権益には目を向けるが、組合のない労働者や下請孫請労働者(弱者)には目が向かない。さらに「会社からこぼれ落ちた」事故や病気による離職者、失業者(敗者)は“存在しない”とされた。しかし1974年、当時の春闘共闘委員会(総評、中立労連)が「弱者救済、国民春闘」というスローガンを打ち出した時期、日本社会の主要な矛盾と対立は、「資本家」対「労働者(本工&下請・臨時工)」にではなく、「資本家&労働貴族」対「下請・臨時工&失業者」に変わっていたのである(1970年代の現実は、寺島珠雄 1(同)2深田俊祐らの報告に生々しい)。
 「弱者救済」は、強者が弱者や敗者を「助ける」、つまり「人間を勦(いたわ)るかの如き運動」だった。戦後復興をなし遂げたのは確かに労働者であったが、総評労働運動は、朝鮮戦争からベトナム戦争にいたるアメリカのアジア侵略による「特需」(=火事場泥棒)という加害の面に目をつむった。見ないことにしただけでなく、経済的な分け前を資本に懇願した。「これ等の人間を勦(いたわ)るかの如き運動は、かえって多くの兄弟を堕落させた」のである。今では、企業内福利厚生のなかで自らは老後までの「安定」を得ておきながら、福祉対象者=脱落者=自己責任を果たさぬ敗者として生活保護バッシングに声を荒げて恥じない“精神なき労働者”と成りはてた。現在、強者より弱者、さらに敗者は急速に増大している(橋本健二「平均年収186万円…日本に現れた新たな「下層階級」の実情 これがニッポン「階級社会」だ」講談社・現代新書 2018/01/14)。

「国民運動」という迷夢

多くの野党、日本共産党、一部新左翼までを覆う迷夢は、敵が強大に見え、味方が弱小に見えるという〈ものを見る目、感じる心〉の喪失に起因する。新たな政党をつくる小沢一郎や、原発に反対する小泉純一郎、はては、護憲の名のもと天皇に心を寄せる“リベラル”、「右や左などといわず団結しろ」と言い出す始末――これは「全国民的革命」という迷夢である。何度やり直してみても結局のところ右への統一以外に行き着かないことは事実が証明している。このような考えは、ロシア革命時にも現れたとみえて、レーニンは徹底的に批判した。1907年5月、「全国民的革命の問題について」を書いて、「革命の勝利のためにはこの革命の諸要求をめざすたたかいで住民の大多数が統一する必要があるという意味」での正しさは、「これだけに尽きている。〔略〕この概念を一般公式として、紋切型として、戦術の基準としてもちいることは、根本からまちがっている」と断じ、次のように書いた。

彼ら〔引用者註:全国民的革命革命を主張する人々〕はまた、革命の前進とともに革命における諸階級の相互関係が変化することを、もっとよくわすれる。〔略〕もっとも深刻な、もっとも重要な誤りは、社会民主主義者があるいは(同じことであるが)プロレタリアートが小ブルジョア的人民から「孤立する」という恐怖である。これはもうまったく体裁の悪い恐怖である。〔略〕プロレタリアートは、どんなばあいにも、真に革命的な階級の強固な、一貫した政策を行うべきであって、一般に全国民的任務とか、全国民的革命とかなどという、どんな反動的な、あるいは小市民的な作り話にもまごついてはならないのである。/諸勢力といろいろな不利な事情とのある組合せのもとでは、おそらくブルジョアおよび小ブルジョア諸層の圧倒的多数が一時、奴隷根性や、卑屈や、あるいは臆病に感染するであろう。これこそ「全国民的」臆病にちがいない。そして社会民主主義的プロレタリアートは、労働運動全体の利益のために、この臆病から自分自身を孤立させるであろう。〔強調はレーニン〕

 すでに「国民運動としての反原発運動」に対しては批判がある。野間易通(首都圏反原発連合)に対する、朴鐘碩(外国人への差別を許すな・川崎連絡会議)らが加えた批判である。→参照
 重要なことは、国民運動=全国民的革命という主張を、歴史的に、戦前の結核予防国民運動から戦後の生産性向上国民運動、はては自殺防止国民運動へ至るひとつながりの思想として捉えることである(1945年は決して断絶ではない。総力戦体制という連続なのである)。国民運動とはとどのつまり、解放と革命を、被圧迫人民自らの力と運動によってではなく、「お上」にすがって実現しようという奴隷主と奴隷の運動である。

結語

 いま必要なことは、もろもろの差別抑圧の特殊性に目を奪われて××第一主義に陥ることなく、「人間性を完全に喪失しているために、自己を獲得するためには、人間性を完全に再獲得しなければならない」立場に立つこと。水平社宣言の抵抗精神にたち返り、「人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集團運動」を起こすことである。※ 06/13補記しました。(M)

2018/05/20 科挙と科研費、断絶と連続

19世紀後半、東アジアに殺到した黒船は、ブルジョア的な「近代化」の波であった。「彼らはすべての民族に、いわゆる文明を自国にとりいれること、すなわちブルジョアになることを、強制する」(マルクス、エンゲルス『共産党宣言』1872)。国家は独立を求め、民族は解放を求め、人民は革命を求める。日本は明治維新で独立を保持したが、朝鮮と中国は独立を失って植民地になった。徳川幕府は1868年に倒れたが、李氏朝鮮は1910年まで、清朝は1912年まで倒れなかった。三民族の運命を分けた理由はどこにあったのか。朝鮮と中国では外圧に抗する主体的な変革、維新が成就しなかったのは、なぜか。
 この問いに、2年前に亡くなった歴史家、毛利敏彦は「科挙」の存在を挙げる(『明治維新の再発見』吉川弘文館、1993年)。科挙は上級官吏登用試験である。洋の東西を問わず世襲システムしか存在しなかった6世紀末から、能力のある者を試験で登用しようという画期的な制度として始められた(宮崎市定『科挙』1963年、中公文庫1983年)。唐代には50倍だった競争率はやがて3000倍になり、受験戦争は、四書五経を書き込んだカンニング下着などの悲喜劇を引き起こすまでに加熱する。朝鮮にも高麗朝期に伝わり、李朝期に整備された。

 【その結果、あまねく全国の人材は中央に吸いあげられ、王朝権力の統治能力は確実に強化された。それだけでなく、知識層の中央志向と王朝への忠誠・帰属意識をも培養した。さらに試験に課された儒学教義が国家公認イデオロギーとして広く受容され定着したのはいうまでもない。つまり王朝側は知的世界において圧倒的優位を保持できたわけである。この状況下では反体制・異端の思想・運動は育ちにくい。】(毛利、前掲書pp.219-220)

 一世紀が経過し、歴史は反転する。朝鮮や中国は王制を廃止したが、日本ではいまだに天皇制を保ち、「退位」は議論になれど、天皇制廃止は議論にすらならないありさまである。日本はいま、国家は独立せず、民族は隷属し、人民は階級解体されている。なぜか。明治維新の原動力だった在野の批判精神はいったいどこに行ってしまったのか。
 学問は本来、世の難儀な目に遭わされている人びとのためにあり、人びとが抱える問題を究め解決するために存在する。しかるに現在、批判精神が衰退させられてしまっている。その背景にある条件として、帝国大学令(1886)によって設立された大学(七帝大:北海道、東北、東京、名古屋、京都、大阪、九州)を頂点とした科研費(皇道教育強化を背景に1939創設)予算配分による管理があるのではないか。理系への目先の「有用」な研究への重点配分は、資本と権力による支配の証左である。ノーベル賞受賞などで文化国家との勘違いする向きがあるが、その研究は現在の教育研究体制からではなく、四半世紀前の教育研究のなかで培われたものである(維新の志士が育ったのは、薩長藩閥による明治教育ではなく江戸時代の在野の教育だったことと同様)。
 山本義隆は『近代日本一五〇年 科学技術総力戦体制の破綻』(岩波新書、2018)で、物理学が物心ともに最も自由を謳歌したのは戦中であり、戦後も戦争責任を問われなかった事実を挙げ、1945年を断絶でなく総力戦体制の連続として捉える観点を提起している。文科省による人文系学部の廃止見直し方針(2015年6月)に対して被害者意識から非難する以前に、戦前から連続し増大し続ける科研費予算の配分に血道を上げさせられている自らの姿を歴史的に検証する必要があると私は考える。1962年のアジア・フォード財団の資金援助問題に対する議論と反対闘争の再々総括を提起するゆえんである。※ 06/03、06/23補記しました。

『アジア・フォード財団資金問題に関する全中国研究者シンポジウムの記録』(中国研究者研究団体連絡会議、 1962)
(M)

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