繙蟠録 I & II
 

 索引は最新分参照

繙 蟠 録 II 2018年1-4月

2018/03/24 浅川史『魯迅文学を読む』を読もう!

軍国主義への抵抗の書という伝説を打破し、ナショナリスト竹内好の本質を暴露した戦闘的論証!

書評:浅川史『魯迅文学を読む 竹内好『魯迅』の批判的検証』(スペース伽耶、2010年12月)

 本書の眼目は、副題のとおり「竹内好『魯迅』の批判的検証」である。著者も「はじめに」で書いている。「わたし自身が直接魯迅文学から読みとった魯迅像――ありうべき魯迅観や魯迅文学観――を展開するにあたり、必要な範囲で中国における魯迅論にも触れながら、「日本的」な魯迅論の原点をなす、竹内好の『魯迅』を批判することからはじめたい。『魯迅』をできるだけ詳しく分析することにより、竹内の魯迅論がどのような発想や論理、あるいは思考や思想にもとづいて組み立てられているかを、明らかにしたい。」と。
 すでに、山口直孝による的確な書評「直言の力をわれらがものに」(『社会評論』166号、2011年7月)が出ていることを後追いで知ったが、後に述べる理由により、あえて書評するしだいである。
 著者は、第一章「魯迅文学の出発点と基本的性格」では、魯迅の基本的な文学観に対する竹内の改竄を実証的に批判している。魯迅自身、仙台の医学専門学校の授業で見た幻灯で「愚弱な国民は〔略〕せいぜい無意味な見せしめの材料と、その見物人になるだけではないか」として「中国民衆の精神改造のための文学」と志したと述べている。にもかかわらず竹内は「ともっかく、幻灯事件と文学志望とは直接の関係がないというのが私の判断」と独断的に否定し、「屈辱感」と「孤独感」、「絶望」と「贖罪」の文学として規定する。これは竹内の文学観であっても魯迅の文学観ではなく、暗黒や虚無は中国社会の現実の、リアルな反映なのだ。著者の批判的実証はさらに魯迅の「文学的自覚」の時期を確定できないだけでなく、内容と性質も見定められないことを容赦なく暴き出した。
 第二章「魯迅文学の本質をめぐって」では、魯迅「革命時代の文学」を手がかりに、竹内が魯迅に「文学無力」説を押しつけて、自らの文学絶対観を述べているにすぎないことを論証している。しかし魯迅が立証したとおり、文学を志す者はすべて人間や社会に関心を抱いているからこそ作品を拵えるのである。批判を「竹内は、『魯迅』を書きあげることにより、〔略〕「生の自覚」を得ることはできたかもしれない。しかし、その作業をとおして竹内は、ついに、かれ自身を変革する契機をつかむことはできなかった。」としめくくっている著者に、評者は全面的に同意する。
 第三章「魯迅の創作に即して」では、魯迅の作品を「苦しみの棄て場」だったとし阿Qを魯迅の化身とする竹内の見方を徹底的に批判するとともに、阿Qの奴隷根性を不変のものとする民衆観を示す竹内芳郎、今村与志雄、佐々木基一、丸山昇、尾崎秀樹、竹内実らを批判の俎上にのせている。魯迅にとって民衆は変わりうる存在であり、著者は革命的民衆の原像例として、竹内が失敗作と評する「小さな出来事」(原文井上紅梅訳)の車夫を挙げており、これには評者は、我が意を得たりとの思いを強くした。
 第四章「雑感の世界」では、小説(創作)とともに魯迅文学を構成する二本柱のひとつである雑感(雑文)の意義、第五章「国防文学論争とはなんであったか」では、文学の階級性をめぐる文芸家協会批判における魯迅の立場――が、それぞれ明らかにされている。国防文学論争を「無意味な対立」と断じた『魯迅』の竹内好と、「大東亜戦争」支持の「宣言」を書いた竹内好との思想的対応が論証され、『魯迅』を日本軍国主義に対する抵抗の書としてきた旧来の伝説がいかに実態にそぐわぬか明確にした。
 第六章・第七章「魯迅文学の革命性(正・続)」では、瞿秋白の「魯迅論」(本書巻末に安里朖による訳を併載)の意義が強調され、『野草』にあらわれている魯迅の「暗さ」は、思想の強靱性、戦闘性など魯迅の革命精神からくるものであることが明らかにされている。「マルクス主義的観点に立つ魯迅論にたいする実存主義的観点からの「批判」の余地を残さないためにも、正確かつ精密な魯迅論の構築が急がれねばならない」との著者のしめくくりは、今後の闘いの方向、私たちへの課題を提起している。
 全体をとおして明らかにされたことは、竹内好の階級的立場が、近代主義的ナショナリズムだということである。実証にもとづく著者の論断の正しさを裏づけるもうひとつの事実として、評者は、竹内好が植民地からの独立という中国革命に対しては「同伴者」とはなりえても、自己変革を社会変革と一体のものとして問うた文化大革命に対しては決して理解しえなかった点を指摘しておきたい。

 すばらしい本である。出てから七年も知らなかったことが悔やまれる。読み進むにつれて同じことを考えていた方がいたという驚きと喜びで鳥肌が立つほど震え、また奮えた。「長くあたためてきた論旨に先行論のあったことをどう思うか」「先陣を切れず残念ではないか」と尋ねた仲間がいたが、私は答えた、「喜びのみだ」と。先に出されたからどうこうという昨今の研究者的発想は、個人主義、功利主義でしかない。世の中がブルジョアジーとプロレタリアートとの二大階級に分かれているかぎり、すべての事物はどちらかに属しており、こちらでなければあちらなのだ。日本階級闘争に害悪を流し続けている竹内好に対する批判は、プロレタリア陣営にとって必要な、共同の課題のひとつである。本書は、ナショナリスト竹内好を徹底的に批判する階級的な共同事業の号砲となった。魯迅論に対する批判から中国革命と毛沢東思想の歪曲に対する批判へ、批判と闘争を深めることが必要である。
 読書は、とくに学問を志す立場からは、自分の考えとの相互批判(対立物の闘争)である。すなわち自分の考え、先入観が間違っていたのか、正しかったのか。出会った本の考えを受け入れて自分の誤った考えを改めるのか、出会った本の考えを我が意を得たりと同意し補強するのか、出会った本の考えを誤りとして批判するのか、メリハリがなければならない。魯迅とその作品について、正面から向き合った読書が今こそ必要である。
 私は、2016年3月に「魯迅邦訳の比較をとおして、自省(反省=闘争)の力を考える」を『中国60年代と世界』第7号に発表したが、これは30年来、魯迅を読み続け考え続けてきたレポートの一部である。本書が出た同じ2010年には、竹内好『評伝・毛沢東』とこれをもてはやす丸川哲史や孫歌らを批判した。本書と出会って、階級的に連帯した内容で竹内好批判をしていた仲間に出会えたという強い喜びを私はいま、強く感じている。
 以下に、私が2010年にブログ「繙蟠録」に書いた竹内好『評伝・毛沢東』批判を資料として掲載し、本書への連帯の意思表示とする。 書評初出:『中国60年代と世界』第2期第6号、2018.1.23  (M)
2018/01/10 上海コミューンの歴史的意義
 このほど出版された『1967中国文化大革命 荒牧万佐行写真集』から上海コミューンの歴史的意義を読み取ることができる。
 1967年2月5日、上海市人民公社(上海コミューン)が成立した。私は、これを1871年のパリ・コミューン、1917年のソビエトと並ぶ、労働者階級の新しい権力形態と考えている。マルクスはパリ・コミューンの歴史的経験を総括し、『フランスの内乱』で古代ギリシア以降の政治思想史のなかでコミューンの歴史的意義を位置づけようとしたのである。
 コミューンが多種多様に解釈されてきたこと、自分たちの都合のいいように多種多様な党派がコミューンを解釈したこと、このことは、過去のあらゆる統治形態がまさに抑圧的であり続けてきたのに対して、コミューンが徹頭徹尾開放的な政府形態であったということを示している。コミューンの真の秘密は、こうであった。すなわち、コミューンは本質的に労働者階級の政府であり、横領者階級に対する生産者階級の闘争の所産であり、労働者階級の経済的解放を実現するための、ついに発見された政治形態であった。
 そう、文化大革命と上海コミューンもまた「徹頭徹尾開放的」であったがゆえに、直後から現在にいたるまでさまざまに語られ、歪められてきた。文化大革命ほどいわゆる知識人たちから評判の悪い革命はない。これこそ、文化大革命が「目に一丁字もない」人びとによる「学のある」人びとに対するホンモノの造反であった証である。(前田年昭「大字報の権利を保障した文革憲法」2016年12月11日、参照)。毛沢東は1958年、順を追って工業、農業、学、兵を一つの大公社として組織し、全国の人民公社化をめざした。社会主義教育運動を農村から都市へ及ぼそうとしたのが文化大革命だった。
 上海コミューンの目的と意義はどこにあったのか。それは〈一専多能〉というスローガンに象徴されている。誰でもが工業、農業とあわせて政治、軍事、文化を学び、何でもできる、そのうえで自分の専門をひとつ持つ、ということである(毛沢東「五・七指示」1966年5月7日、『毛沢東思想万歳(下)』p.335-)。1月6日、上海の造反派と人民は、打倒旧市党委員会大会を開催する。1月13日、プロレタリア文化大革命における公安工作を強化することについてに若干の規定(公安6条)を公布。こうして上海を皮切りに奪権の嵐が全国を席捲した。
 毛沢東は上海コミューン成立を受けて、次のように述べた。
 パリコミューン、コミューンについて、われわれは、パリコミューンをうちたてたことは新しい権力をうちたてたことだと話さなかっただろうか。パリコミューンは一八七一年に成立したものであり、現在までに九六年経っている。もし、パリコミューンが失敗せずに、勝利していたとしたら、私の見るところでは、現在は、やはり、すでにブルジョアジーのコミューンに変わっているだろう。なぜなら、フランスのブルジョアジーはフランスの労働者階級がこんなに大きな権力を握ることを許すことができないだろうからである。これがパリコミューンだ。ソビエトという権力形態、ソビエト権力が出現した当時、レーニンは、これは労働者・農民・兵士の偉大な創造であり、プロレタリア独裁の新しい形態だとして、大変喜んだ。しかし、レーニンは、その当時、この形態を労働者・農民・兵士が使うことができるが、ブルジョアジーも使うことができ、フルシチョフも使うことができるということは、予想もしなかった。現在、ソビエトは、レーニンのソビエトから、フルシチョフのソビエトに変わってしまった。(「上海の文化大革命に対する指示」1967年2月12日、『毛澤東思想万歳(下)』p.378-)
 革命を変質させないために、ひとりひとりが〈一専多能〉をめざし、共産主義の大きな学校たらしめること、これが上海コミューンが私たちに残した課題であった。(M)
2018/01/07 イ・ラン「イムジン河」の訴えるもの
韓国のシンガーソングライター、イ・ラン이랑さんが1月1日、「[MV]イムジン河임진강」を発表した。
  • イムジン河 (1957年)
  •  作詞:朴世永、作曲:高宗漢、日本語作詞:松山猛
  •  歌唱/ギター:イ・ラン、チェロ:イ・ヘジ
  •  録音:Mushroom Recording Studios
私は、深い共感と感動を覚えた。他方で、闘いの衰退してしまっている現在、この闘いの歌がなぜ1週間で24000ビューに至るのか、どのような人びとに、どう届いているのか、いや、本当に届いているのか、知りたいと思う。
 なぜそんな危惧と疑問を抱くにいたったか。それは、エンプラ闘争50年という新聞記事――「米原子力空母入港「エンプラ闘争」来月50年 ベトナムから北朝鮮へ 続く長崎・佐世保「前線化」」12月31日付『毎日新聞』――を読んだこともキッカケだ。
 記事では、今も続けられている「反戦を訴える佐世保でのデモ」の一参加者の声として、「北朝鮮の核やミサイル開発を考えると、朝鮮半島に近く米軍や自衛隊の基地がある佐世保も手放しに安全とは言えない。平和、反核、反戦を訴える必要性は当時も今も変わらない」と書かれていた。
 率直にいって、反戦のなかみが変質してしまったのかと思った。なぜなら半世紀前の反戦運動は、ベトナムへの侵略戦争の前線基地化した日本に対する闘いであり、ベトナムへの人殺しに向かうアメリカ軍を見過ごしたままでいることは自分も加害者の側にいつづけることになる、という反省に裏打ちされていた。それは自分たちの「安全」が脅かされるという被害者意識からではなかった。
 近年のアメリカ、およびその目下の「同盟国」たる日本による朝鮮民主主義人民共和国に対するイジメは目にあまる。核・弾道ミサイル実験で、無人の大海原にミサイルを落としたら「国際平和に対する脅威」だから「制裁」だと?! アメリカ軍が大規模爆風爆弾(MOAB)をアフガニスタンの人びとが暮らす大地に実際に落とした実戦殺戮行為とどちらが「平和に対する罪」なのか、考えてみるまでもなく明らかではないか。
 新旧左翼は残念ながら「北の金政権を支持するわけではないが」という前置き、言い訳を置いてでしか朝鮮問題を語り得ない。現代思想界隈も同様である。こうしたときに小出裕彰さんは、9月5日、「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核をどう見るか」で原則的に分析、発言し、次のようにしめくくっている。
 問題は、そんなことではなく、朝鮮半島の分断を終わらせ、平和を回復することです。お互いに敵を威嚇することなどやってはいけません。朝鮮の分断に誰よりも責任のある日本は、まずそのためにこそ力を払うべきです。それなのに、米国の尻馬に乗り、「あらゆる選択肢がある」などと安倍さんは言うのですから気が狂っています。
また、本当に危機だというなら、日本国内の原発をまず停止すべきなのに、地下鉄をとめてみたり、迎撃ミサイルを配備してみたり、警戒警報を出して見たり、ひたすら危機を煽ることだけやっています。ひどい国ですし、ひどいマスコミだと思います。】
 私は、小出さんの見解に全面的に同意する。アメリカ帝国主義による朝鮮戦争からベトナム戦争へという「平和に対する罪」に加担して軍事基地を提供し、後方で「高度成長」を遂げた火事場泥棒国家・日本は、朝鮮の分断に誰よりも責任がある。
 「イムジン河」の「誰n が祖国を二つに分けてしまったの」という問いかけを自らのものとして受けとめることなく、「イムジン河」を消費してしまってはならないと、いま切実に思う。(M)

繙蟠録 II  16年4-12月< >18年5-8月
web悍 Topへ