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2010/02/14 続・毛沢東の矛盾概念について

では,日本の毛沢東思想者は,竹内好とその尻尾たちとちがって,毛沢東の革命戦争をどうとらえるのか。

 竹内好とその尻尾たちが持ち出した中国革命の事実を毛沢東自身の言葉によって振り返ってみよう。毛沢東は1936年に,第二次国内革命戦争の総括として『中国革命戦争の戦略問題』を書き,「中国革命戦争の特徴はなにか」として次のように述べた。

 大革命を一度へている,政治的,経済的に不均等な半植民地の大国,強大な敵,弱小な赤軍,土地革命――これらが中国革命戦争の四つの主要な特徴である。これらの特徴が,中国革命戦争の指導路線およびその戦略戦術上の多くの原則を規定している。第一の特徴と第四の特徴は,中国赤軍の発展が可能であり,また,敵にうち勝つことが可能であることを規定している。第二の特徴と第三の特徴は,中国赤軍が,急速に発展することが不可能であること,また,急速に敵にうち勝つことが不可能であること,すなわち戦争が持久的であること,しかもへたをすると失敗する可能性もあることを規定している。〔『毛沢東軍事論文選』外文出版社,pp.126-127〕

 さらに毛沢東は「敵が強大なこと」と「赤軍が弱小なこと」ととは「するどい対照をなしている。赤軍の戦略戦術は,こうしたするどい対照のうえにうまれたのである」と強調している。竹内好とその尻尾たちがいう「敵は強大であって我は弱小であるという認識」と「我は不敗であるという確信」との矛盾なるものが,いかに主観主義に満ちた,観念の自己増殖にすぎないか,明らかであろう。思い込みもたいがいにして欲しい。おのれが弱小である事実を直視する勇気を持てぬドレイ精神がここにある。魯迅読みの魯迅知らず,毛沢東読みの毛沢東知らずがここにいる。だが,日本の左翼運動は,こんな莫迦を嗤うことができるだろうか。つい40年ほど前,日本の反権力運動は勇猛果敢に闘ったが,当時,新左翼のほとんどの党派は客観的事実から遊離したところで「我は不敗であるという確信」を持ち出して「決戦」を呼号していたのである。(M)

2010/02/13 毛沢東の矛盾概念について

1/31付2/12付で,竹内好(と丸川哲史さん)による毛沢東思想の歪曲を批判したが,引き続いて彼らの誤りを考えていきたい。

 竹内好は「純粋毛沢東とは何か。それは,敵は強大であって我は弱小であるという認識と,しかも我は不敗であるという確信の矛盾の組合せから成る」という。「敵は強大であって我は弱小であるという認識」と「我は不敗であるという確信」との関係を“矛盾”と言っているのである。矛盾とは何か,ということは『矛盾論』の全体にかかわることであり,毛沢東思想の根幹にかかわることである。結論を先取りして言えば,こんなものは矛盾でも何でもなく,彼らがデッチ上げた毛沢東であり,竹内や丸川さんの頭の中にしかないものである。

 矛盾とは単に差異ではない。毛沢東思想における矛盾概念とは,互いに排斥しあうとともに互いにそれ自身の他者であるような関係,すなわち互いに他を自己の存在の前提とする関係であること,さらに,一定の条件のもとでの相互転化ということがなければならないのである。階級闘争という現実の矛盾の例でいえば,支配されていたプロレタリアートが支配する位置に転化し,支配していたブルジョアジーが支配される位置に転化するという相互転化が第一段階であり,第二段階はその対立する両方が消滅することである。

 「敵は強大であって我は弱小であるという認識」と「我は不敗であるという確信」との関係は毛沢東思想でいう相互転化ではない。それは負債と財産との関係のごとく,同一の事実が立場によって違ってくるという主観的な転化にすぎない。竹内好や丸川哲史さんのような「半知識分子」は知ったかぶりして毛沢東思想と中国革命を語ろうとするが,主観のなかでの対立を矛盾と言いくるめている。調査研究に基づく客観の矛盾をとらえるためには,経験を一面的に絶対化する経験主義を排する必要があるのである。(M)

【参考】前田年昭「滴水洞 001 63年哲学論文という先駆!」

2010/02/12 竹内好による毛沢東理解の卑俗さを批判する

1/31付で,丸川哲史さんによる竹内好を引いた毛沢東理解の誤りを批判したが,丸川さんは『竹内好 アジアとの出会い(河出ブックス 人と思考の軌跡)』(河出書房新社,2010年1月)でも「竹内が毛の思想を扱った最も大きな仕事は,一九五一年の『評伝 毛沢東』である」として竹内の毛沢東理解を高く評価している。毛沢東思想に対するこれほどまでの歪曲がここまで繰り返されることを,“紅衛兵2.0”としての私は看過できない。問題は第一に,竹内好による毛沢東理解にあり,第二に,日本の中国派の卑屈な作風にある。ここではまず竹内好による毛沢東理解を批判する。

 竹内は『評伝』のなかで,とりわけ「七 無からの創造」「八 自己改造の問題」で毛沢東評価を強調している(丸川さんが礼賛し,さかんに引用しているのもこの部分である)。竹内は「原始毛沢東」として1927-30年の毛沢東をモデルにした。

 井岡山の毛沢東は,ほとんどロビンソンだった。マルクスの編み出した哲学的範疇としてのプロレタリア,つまり無所有者だった。一切の所有者たりうべき無所有者だった。これまでのかれの生涯で得たものを,かれはすべてこのときに失った。かれはまず,個人生活を失った。外の世界との関連を絶たれた。かれは家族を失った。(中略)かれ自身の生命も,一度は失いかけた。(中略)かれは党生活も失った。(中略)要するに,一切が失われ,一切が原初からの再出発を要求した。〔『評論集』第1巻336-337頁〕

 竹内による「無」の説明は,たとえがロビンソンであることが示すようにきわめて物質的なものである。個人生活や外との交通,家族を失ったいってもそれはゼロではない。事実は「無」ではなく,「欠乏」である。それを竹内は「マルクスの編み出した哲学的範疇としてのプロレタリア,つまり無所有者」と直結させる。本当か。プロレタリアートが革命の主体になりうるのは,彼らが「鉄鎖以外に失うべき何ものももたぬ」存在ゆえ,すなわち哲学的範疇としての「無」とは世界を認識する主体としての立場を示す。井岡山の毛沢東がいくら貧乏でも「一切が失われ,一切が原初からの再出発を要求」しはしない。逆に毛沢東が哲学上の「無」の立場に立ち得たのは,それは「一切が失われ」たからではない。

 竹内の毛沢東理解は,卑俗な唯物論であり,経済決定論である。人間の思想的な転換を単にその人の生活の物質的変化(一切を失った!)で説明しようとしているからである。井岡山以前の毛沢東は,あるいはまた権力奪取後の毛沢東は「一切を持っていた」ゆえに革命家たりえないということになるではないか。新島淳良がかつて「竹内氏の論は飛躍がありすぎ,それはあまりにも明治時代的立身出世譚のにおいがする。二宮金次郎的な発奮物語のにおいがする」と批判したが,これは竹内批判として的を射ている。

 竹内が持ち出すロビンソンとは何か。マルクスが『資本論』第1巻第1章の末尾で論じているが,ロビンソンこそイギリスの勃興期ブルジョアジーの精神を示す典型である。彼は孤島で回心する。しかし,毛沢東はロビンソンとは違う。井岡山以前も以後も、中国と世界の革命を企てていたのである。ロビンソンを持ち出したのは,竹内の小ブルジョア性を示してあまりある。

 だがしかし,日本の左翼運動は,こんな骨董品を持ち出して毛沢東思想を語る丸川哲史さんをはたして嗤うことができるだろうか。日本の左翼は(藤本進治を除いて)いまだプロレタリアートとは何か,階級形成とは何かを理解し得ていない。組織に加盟することがプロレタリアートになることだという理解や,物質的な貧乏であるそのままの状態がプロレタリアートだなどという理解にとどまっているからである。革命は遠い。(M)


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