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繙 蟠 録 2010年8月後半

2010/08/24 組版とは本来,動的なものである 追記

繙蟠録8/23付に少なくないコメント,直メールをいただいた。ありがとうございます。反発や疑問が多かったので一言追記しておきたい。

 「本文」という概念は書籍などに実現した形から“事後に”に取り出されたものである。“事前に”存在するテキストに,スタイル指定や付加形式の追加で表現形式を整形するという発想は逆立ちしており,技術決定論である。また,縦組と横組とは表記の歴史と体系をそれぞれ別個に持っており,縦にも横にも使える透明なテキストという設定は書記言語の現実から遊離した観念論である。言いかえれば,何か透明なテキストがあってそれにスタイル指定や付加形式を追加すれば「縦にも横にも使える」という発想が間違っているということだ。

 文字の排列方向についての宮崎市定氏や屋名池誠氏らの研究,日本語書記史についての小松英雄氏らの研究など先学に学び,歴史的な視点を持ちたい。

 さらに付言すれば電子書籍礼賛者がしばしば,あたかも自分(たち)から歴史が始まるとばかりのモノ言いをするのは,青空文庫など先人の努力への敬意を欠き,歴史への視座を欠いてはいまいか。かつての新左翼運動が(私も含めて)先行する社会運動史への視座を欠いて自分たちから歴史が始まるとでも言わんばかりに思い上がっていたのとまったく同じ誤りと思う。(自戒を込めて)歴史をなめてはいけない!(M)

【さらに追記(2010/08/24)】Twitterでの議論はもっぱら横組用表記から縦組用表記へ,たとえば「平成22(2010)年~」から「平成二十二(二〇一〇)年~」への自動変換があたかも可能であるかのような“幻想”に対して,これを批判する立場からの文脈でのもの。縦組用表記をそのまま横組に持ってきてもまだ読めるが逆はいただけない。なぜか。大雑把に言っても縦組は単位語の有り無し二通りあるのに横組は一通りであり,縦組用日本語表記は縦組と横組とは同格ではないからである。表記においては質的にはあくまで縦組が基本だということがここでも明らかである。(M)

【村田真さんからいただいた貴重な反論】12

2010/08/23 組版とは本来,動的なものである

リフロー云々と浮かれ騒ぐ人々の言い分とは別のところで,組版とは本来動的なものである。府川充男兄が端的に提示されているとおり,組版は出来合いの文字と出来合いの組版システム,出来合いの組版規則の組合せの中でのみ成立する。

 版面,文字サイズ,行長(字詰)は判型のなかで動的に決定される。写研SAPCOLといい,JIS X 4051というが,字詰として最少(最短)30文字弱最多(最長)40数文字の“本文組”を対象とした規則なのである。これを忘れて他の条件下で規範として振り回すのは愚の骨頂だ。

 組版の読みやすさ,美しさを条件付ける半角約物の調整についても同様である。10字詰未満の行長は食い込み部分であれ避けるべきであろう。あまりに例外処理が発生しすぎるからである。

 新聞などの段組組版を典型とする10字詰以上20字詰超までの行長になると,半角約物は二分アキを伴い各々全角化させる。多重約物の場合も同様とし,受け括弧+起こし括弧では全角アキ。段落行頭は見かけ1.5字分下げ,折り返し行頭は天ツキとせず見かけ0.5字下げである。字間調整を犠牲にしてでも格子状の美しさを優先させる訳である。調整のための字間アキは一般に1/30を超えると目立ってくる。調整はしたいけど調整量は最小にとどめたいという悩みが始まる。

 半角約物の調整は位置(行頭,行中,行末)によって異なる様相を示す。規則も行頭,行中,行末ごとに分けて考えていく。

 字詰がしだいに長くなるに従ってまず行中の半角約物の連続を計1.5倍にとの欲求が働く。和文縦組は揃った天から下へ真っ直ぐ垂れ下がる姿をしており,さらに字詰が長く,従って調整に使える余裕が長くなるに従って,行中に続き行頭の半角約物を“本文組”に近づけたくなる。段落行頭は1字下げに,折り返し行頭は天ツキに,という按配である。

 さらに字詰が長くなり,最少(最短)30文字弱最多(最長)40数文字の“本文組”に至ると,行中行頭に続いて行末の半角約物の半角固定処理が現れる。半端値も引っ張って強制半角/半角もしくは全角/半端値も引っ張って強制ぶら下げなどバリエーションがある。行頭ほど強制力がない理由は,縦組が地からの直立ではなく,天から垂れ下がるものだからである。

 半角約物の処理規則ひとつとってもこうして,判型から決まる版面行長,行長と文字サイズから決まる字詰……,と動的に決まっていく。紙の組版すら分からぬ手合いがリフローとは臍が茶を沸かす。人が技術を使うのであって技術が人を使うのではないのである。(M)

※ 初出はTwitterの一連の議論。@mori_tacsiさん,@works014さん,@monokanoさん,@bot_shaさんはじめお付き合いいただいた方々に心から感謝します。

【関連】前田年昭「組版の哲学を考える~規範的ルール観からの解放を!~〔2000年8月,『WindowsDTP PRESS』vol.8,技術評論社 掲載〕


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