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繙 蟠 録 2010年11月後半

2010/11/28 訃報:林基さん,享年96

11月18日,林基さんが亡くなられた。→毎日新聞11/19訃報

 私は40年前に林さんの名著『百姓一揆の伝統』新評論1955『続 百姓一揆の伝統』新評論1971に出会い,繰り返し読んだ。印象に残ったひとつが,1768(明和5)年の新潟の打毀しを日本最初の都市コミューンとして位置づけ,紹介したことだった。手元の『日本史総合年表』吉川弘文館2001には「1768.9.26 新潟湊の町民,御用金賦課に反対して打毀し,一時町政を掌握」とただ1行記されるような事件であるが,その内実たるや1,2ヶ月の間,蜂起した民衆の手にこの街の権力は掌握されていたという画期的なものなのである。

 いま本書を取り出して再読すると,40年前の読後感がまざまざと甦る。

新潟市民は蜂起して代官を追い,市政を壟断する門閥を打倒し,指導者たる一新興町民の下に市政をにぎり,貧民に米を廉売し質屋の利子を引下げるなどの政策をおこない,鎮圧に来た部隊を荷揚人足のストで引返させるなどのことがみられた。(p.11)
打毀しがおこったのに対して奉行所の部隊が鎮圧に出動し手強しと見てついに発砲するに至ったことは,都市打毀しとしては珍らしいが,更にこの発砲に対して打毀しに参加した民衆が潰乱しなかったことが注目される。民衆の間に数人の黒装束の指導者がいて,発砲されると直ちに「屋根に上れ」と指令し,屋根に上った民衆が石や瓦を投げつけて,続けて弾丸をこめられないようにしておいて地上の民衆が官憲をたたきのめしてしまうという組織的な強靭な行動がとられているのは注目に値する。(p.117)

 当時,感激した私は,友人たちと出していた『現代史研究』でパリ・コミューン100周年小特集を組んだり,校内で勉強会や集会を持ったりしたのだった。(M)

【関連リンク】明和義人祭(古町愛宕神社)/ 幻の酒 還暦ギフト館 / 純米吟醸 明和義人(今代司酒造)

2010/11/16 公開セミナー/異質な要素の出会う場としての日本語表記の姿

※日仏会館フランス事務所イベントカレンダーからの転載紹介。→元情報URL

公開セミナー/異質な要素の出会う場としての日本語表記の姿

  • 2010年12月16日(木)18:00
  • 日仏会館601会議室 →地図
  • 家辺勝文 (フランス外務省・国立科学研究センター在外共同研究所 UMIFRE 19 事務局長)

【要旨:このセミナーではまず新刊の『活字とアルファベット 技術から見た日本語表記の姿』(家辺勝文著、法政大学出版局、2010)について概要を紹介する。次にその中でも日本語表記に見られる異なる文字種の混在とその印刷物上の処理および情報処理をめぐる諸問題について検討する。特に、決まった処理方法を立てにくいとも言われる和欧文混植に関わる諸問題を通じて、日本語の印刷表現における規則性と柔軟な可能性を考察する。】


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