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繙 蟠 録 2010年3月後半

2010/03/30 在特会ばりの宮台真司氏のデマを鼻つまみにしよう

発端はTwitterでの金明秀さん(@han_org)による批判と論争,宮台真司氏(@miyadai)が「特別永住者の方々が最初は2世までという約束で基本的には国籍を取っていないのに日本人に準じる権利を様々に与えられ」などと歴史的事実をねじ曲げるデタラメなことを言っていると私は知らなかった。特別永住そのものを「特権」だなんて在特会なみの言いがかりではないか。もっとも,米津篤八さんは「宮台問題。たんに「無知だから」ではなく、もともとレイシズム的欲望があるから、その種の情報に飛びつき、信じ込むのだと思う。だから、いくら正しい知識を与えても、彼の信念は揺らぐことはないだろう」と的確に指摘しており,そのとおりなのだ。

 詳しくは,金明秀さんのブログ「Whoso is not expressly included」の3月28日付「「帰化すればいい」という傲慢」を読んでほしい。感情をおさえ,宮台氏の歴史意識の欠如とその土台にある傲慢を暴いている。

 高校無償化からの朝鮮学校排除問題でも明らかになったが,「日本リベラル・左派・知識人」の悪質さを糾す闘いを通じて,「日本市民」のなかの卑怯さを糾し,変えていかなければならないと,私は考えている。(M)

【2010/04/02附記】金明秀さん「その後の顛末」2010/03/30

2010/03/29 「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑 除幕集会」開催される

28日,三重県熊野市で「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑 除幕集会」が厳かに開催された。集会には各地からの在日朝鮮人日本人に加え韓国からも参加があり,碑文および追悼碑建立宣言が発せられた。現時点までに判明している殉難朝鮮人35人の名が記された石に結ばれたリボンが順に解かれ,主催者から金成福(在日本朝鮮人総聯合会三重県本部副委員長),申載永(在日本大韓民国民団三重三重県地方本部団長),金靜美(紀州鉱山の真実を明らかにする会)の3氏が挨拶した。

【報道】共同通信3/28読売新聞3/29中日新聞3/29

参加した私は後段の屋内集会で要旨,次のような発言をした。

【 きょうの歴史的な意義ある闘いを共に出来たことを嬉しく思います。

 日本の民衆の心はいま,凍り付いてしまっています。高校無償化からの朝鮮学校の排除に対してどうして日本人,日本社会の中から大きな反対運動が起こらないのか。私は中学でサッカーをやっていましたが朝鮮学校に胸を借りていたのです。朝鮮学校は日本サッカーの恩人であり,Jリーグの生みの親です。朝鮮学校がなければ日韓ワールドカップもありませんでした。そんな友であり仲間である朝鮮学校を排除した高校無償化なんて受け取れるかという闘いが起こって当然なのにと悔しく情けなく思います。

 敗戦直後の1948年,アメリカ占領軍と 吉田政府 日本政府による朝鮮学校閉鎖令に反対して日本人と在日朝鮮人は肩を組んで阪神教育闘争を闘い,撤回させた歴史があります。日本の敗戦は,侵略戦争で凍り付いた日本人の心を氷解させるよい契機だったのです。しかし,戦争責任に口をつぐんだ日本人は再び凍り付いてしまいました。

 紀州鉱山の殉難朝鮮人の無念を晴らす闘いは,同時に日本人と日本社会を氷解し,生まれ変わる闘いでもあり,きょう3月28日はその一里塚だと思います。阪神教育闘争の伝統を復興させるために共に頑張りましょう。】(M)

【2010/05/05追記】05/05付の訂正記事を併せてご参照ください。(M)


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