繙蟠録 I & II
 

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繙 蟠 録 II 2019年7月

2019/07/31 続・消えた組版言語SAPCOL

(承前)疑問符や感嘆符の直後の全角アキが、行末で消去されて、次行冒頭に来ないことは、前回7月29日付で述べた。
 この習慣的決めごともまた、[全]と[ダミ]という優れたファンクションに助けられて一定の品質が保たれていたのである。だがSAPCOLが消えゆくとともに、近年、和文組版で行末をとりまく風姿から大切なことが喪われていっているのではないだろうか。近年の和文組版で気になることのひとつが、これだ。

 一例として挙げれば、行末に繰り返し文字が来たとき――

□□□□□□□□□人々□□□□
 ↓
□□□□□□□□□人
々□□□□
 ↓
□□□□□□□□□人
人□□□□

 々(ノマ)は行頭に来ると、ヒラク(元の字が復活する)。
 これは、現場の責任と権限で行われた。念のために付け加えれば、けっして原稿の無断改変ではなかった(活版期、たとえば1960年代のしっかりした全集ものでも、行長(字詰)の違いによって、組版の風姿が変わっていることが確認できるはずである)。活版では職人の、電算写植ではコーダーの、それぞれの責任と権限で行われたのである。字幅2文字分の踊り字なども処理は同じようにヒラク。
 DTPになって、たしかに表面的な「自由度」は増したが、組版規則が忘れられていくのは、果たしていかがなものか。近年、「々」などの繰り返し字や全角アキ(疑問符や感嘆符の直後のアキ)が行頭に置き去りにされたままの組版を散見する。刷られた風姿には、道具の未熟さの痕跡が残り、それがまた習慣に反映し……、やがて和文組版の規則に反映していくこともあり得るだろう。しかし、原テキストは組版の風姿を通じて読者に届くのであり、行長(字詰)によって、表記もまた可変であることが、忘れられていないか。テキストの流し込みは終わりではなく、始まりなのであり、ここに組版の職人、アルチザンの存在意義があるのだから、ね。

 電算写植は、活版から写植(手動写植)へと引き継がれた和文組版の歴史の画期をつくった。なぜなら、それまでは職人たちのカンとコツ、つまり実践と経験の歴史的蓄積のなかにあったノウハウを、言葉にし、言葉にすることによって、組版の一様一律なコンピュータ処理を実現したからである(当時の“染みこんだ論理を身体の外に出して言葉にする”苦闘は、杉山隆男『メディアの興亡』文藝春秋、1986〔のち、1989新潮文庫、1998文春文庫〕に生きいきと描かれている)。この立場から時代区分すれば、歴史の区分は、活版―写植―DTPの三つではなく、カンとコツ(活版―手動写植)―コンピュータ処理(電算写植ーDTP)の二つだといえる。
 電算写植は、やがて画面と組み上がりの一致であるWYSIWYG(What You See Is What You Get)を実現していくが、出発はテキストにファンクションという指令を埋め込むことによって版下データを拵え、本や雑誌の版下となる印画紙を出力するものである。そのファンクションを入れる作業をコーディングといい、作業者をコーダーといった。こうして電算写植は和文組版の決まりごとと技術が円熟した活版の最盛期1960年代の到達点を引き継いだものとして決めごとを整理していく(JIS X 4051も平行して1993-95年に整備されていく)。90年代はじめには電算写植が手動写植を凌駕していく。
 だがその技術は業態の急激な変化のため、1980年代から90年代への20年ばかりで姿を消していく。写植業はまた装置産業でもあった。3RYやPAVO-JLなどの手動機からSAZANNA-SP313やSAIVARTなどの電算機まで写植機のローン負担は重く、マイホーム購入とかわらない。写植の期間が組んだローンより短命という歴史の皮肉には抗えなかった。96-99年ごろ、飯田橋や水道橋で写植機が解体され不燃ゴミに出ていたのをよく見た(正規に引取り依頼すると費用が高いので自分でバラして不燃ゴミにという案配)。仕事の道具をバラす気持はどんなものだったか。
 組版言語SAPCOLが消えていったとしても、和文組版の基本の決めごとまでが消えていってはならない。(M)

2019/07/30 天皇の「鎮魂」と「慰藉」は、死者に対して負うべき国家責任の隠蔽

退位メッセージ(2016.8.8)で天皇明仁は、「次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなる」と言った。これに対して、「ご公務、お疲れさまでした」という声があるという。が、莫迦言っちゃいけない! 戦没者慰霊という名目の海外旅行や被災者見舞いという名目の国内旅行は、日本国憲法第7条が定める「内閣の助言と承認により…行ふ」国事行為10項目のどこにも存在しない。けっして「ご公務」などではなく、天皇明仁による解釈改憲行為であり、勝手に仕事を増やしておいて、高齢で大変だとこぼしてみせているだけである。
 こうした行幸(税金旅行)は、近代になって拵えられた天皇睦仁(明治天皇)に範をとったものである。田中彰『近代天皇制への道程』(吉川弘文館、2007、初版1979)は、明治59件、大正31件、昭和41件の地方行幸を分析し、「維新という変革期のなかで考え出され、実行された天皇の地方巡幸が、その後の近代天皇制下の天皇巡幸のいわば原型」だとする。巡幸は、六大巡幸(1872.5.23-7.12近畿・中国、1876.6.2-7.21東北(函館を含む)、1878.8.30-11.9北陸・東海道、1880.6.16-7.23中央道、1881.7.30-10.11東北・北海道、1885.7.26-8.12山陽道)を中心に、1880年代に集中している。これはなぜか。1881年の「国会開設の勅諭」で天皇制政府は10年後の国会開設を約すとともに、議論を止める政治休戦を説き、内乱を企てる者は処罰すると警告した。それから1889年の大日本帝国憲法公布、1890年の第1回帝国議会召集までの10年間、昂揚する自由民権運動に対して、権力と政府は弾圧を強めると共に、天皇睦仁による巡幸によって階級間の対立と闘争に対して融和と協調を計らんとしたのである。しかし、圧迫のあるところには反抗がある。秋田事件(1881)、福島事件(1882)、高田事件(1883)、群馬事件加波山事件秩父事件・飯田事件・名古屋事件(1884)、静岡事件(1886)と、自由と平等を求めて全国各地で「激化事件」が頻発した。
 先の田中彰『近代天皇制への道程』は、「六大巡幸なるものが明治20年までに集中していることは、自由民権運動への対応ということも含めて、近代天皇制の形成期に、とりわけ長期の全国巡幸の果たす役割が大きかったことを物語っている」として、天皇の地方巡幸は「近代天皇制の国家的プロパガンダだった」と結論づけている。かくして、1889年2月、大日本帝国憲法公布、1889年12月、「御真影」の下付範囲を高等小学校にまで拡大、1890年10月、教育勅語発布――と、近代天皇制は「臣民」洗脳の土台を築き上げ、1945年の敗戦、最終的破綻まで走り続けた。
 天皇明仁による「鎮魂」と「慰藉」の旅もまた、その階級的な本質は同じである。内田樹さんは『福音と世界』2018年8月号で同誌のインタビューに答えて「陛下は戦争で死んだすべての人の鎮魂をされている」と言う〔「「天皇主義者」宣言について聞く ――統治のための擬制と犠牲」、BLOGOS 2018年07月22日〕。「鎮魂というより、戦争で命を奪われた人々に対する謝罪をすべきなのではないか」という聞き手の問いは至極真っ当であり、内田さんは答えを逸らして逃げた。謝罪とは、事実の確認と原状の回復と補償の三つが揃ってはじめて謝罪たり得るのに、天皇裕仁も天皇明仁も、アジア侵略戦争の事実を明確に認めていない。事実を覆い隠すものは、その事実をつくった犯人である。天皇の「鎮魂」と「慰藉」は、死者に対して負うべき国家責任の隠蔽である。天皇明仁の退位メッセージの本質は、天皇裕仁の人間宣言(1946)と同様、国体護持(天皇制の保身)以外の何ものでもない。(M)

2019/07/29 消えた組版言語SAPCOL

組版言語とは、組版の形姿を人間の言葉から機械の言葉に受け渡す役割を持つ。写研の電算写植はSAPCOL、モリサワの電算写植はCORAといった。SAPCOLでは120ほどのファンクションをテキストに指令として埋め込み、版面を組み上げ、版下(印画紙)を出力する。
 いくつか特徴があったが、なかでも傑作のひとつが[ダミ]と[全]という似て非なるファンクションだった([ ]で囲んだ部分がファンクション)。テキストのなかでの和字スペース〔UCS 3000〕は[ダミ]であり、[全]も[ダミ]もこの和字スペースと同じように1文字分のアキを確保する。しかし、性質とふるまいがまったく違う。使い分けることによってとても便利に、かつ、和文組版の特徴的な決まりごとをもれなく一定の質で組むことに力があった。
 例を挙げて説明しよう。

[字ド][7][(]長渕[ダミ]剛[)] → 長 渕   剛

 [ダミ]は、普通の和字と同じ扱いで、4文字が均等に配置される。

[字ド][7][(]長渕[全]剛[)] → 長   渕 剛

 [全]は、渕と剛とのアキが全角固定となり、字取りの残りは長と渕の間に配分される。
 分かっていただけただろうか。[ダミ]がいわば透明な文字であるのに対して、[全]は相対的な空白なのである。[全]は[2分]や[4分]とともにクワタと呼ばれ、直前の文字を元にした字送りの全角、半角、四分のアキを確保する。直前の字送り方向の変形率や字送りも反映した相対的なアキとなる。

 さらに、文章を組んでいって行末ラインにかかったとき、[全]はアキを吸収し、[ダミ]は他の文字と同じようにふるまうのでアキママになる。
 一例として、以下すべて行長10倍の場合で示す――

□□□□□□□□□□[ダミ]□□□□
 ↓
□□□□□□□□□□
[ダミ]□□□□

 行頭に全角アキが配置される。

□□□□□□□□□[ダミ]□□□□
 ↓
□□□□□□□□□[ダミ]
□□□□

 行末に全角アキが配置される。

□□□□□□□□□□[全]□□□□
 ↓
□□□□□□□□□□[全]
□□□□

 [全]はぶら下げ扱いで姿を消す。

□□□□□□□□□[全]□□□□
 ↓
□ □ □ □ □ □ □ □ □[全]
□□□□

 [全]はぶら下げ扱いで姿を消す(均等に割って9文字が10字取りに)。

 また、疑問符や感嘆符の直後に全角分のアキを入れるが、このアキが行末にかかったときも同様に、行終端のアキはぶら下げ扱いで姿を消し、次行冒頭には来ない。〔この項つづく〕(M)

2019/07/28 あったかいものを感じたらヤバイと思え

吉本興業の問題で、契約書や労働条件の問題を「家族」の関係だからといって対立を覆い隠して協調を説く――社長のみならず、雇われている側からもそのような意見が出る、これはキモいし、ヤバイ。批判も一部だが出ている(→「契約書なき吉本興業、大いなる矛盾 親と子と言うけれど」2019.07.25朝日、「島田紳助のパワハラ問題介入で芸人萎縮、吉本興業の家父長制的家族観による支配構造」2019.07.25WEZZY、小田嶋隆「家族という物語の不潔さ」2019.07.26日経ビジネス)が、批判は日本社会の根底にあるものへの批判として深める必要があるのではないか。
 この「美しい」家族の物語には気を付ける必要がある。社員は社長に従い、家族は家長に従うことを、強いられては困る。「上から」言われなければ仕事にかかれない雰囲気、事故が起きて責任を問われれば地位を退くことで解決、辞めるところまでいかずともとりあえず〈進退伺い〉を提出――こういった習慣は、企業などの組織に留まらない。国家の単位でこれは忠実な「臣民」であり続ける習慣であり、無意識のなかに生きる天皇制そのものである。
 繙蟠録07/04付で紹介したが、「〈責任をとる資格を持たない〉ことが、忠実な臣民であり、あるいは忠実な官僚あるいは社員の資格であるとされていることは、一方では、ひとりひとりの人間の〈責任応答性〉を奪い取っている何者かが存在しているということであり、他方では、この何者かによって〈責任応答性〉を押収されながら、そのことに気づかぬか、あるいは気づいていても敢えてその回復を試みる勇気を持たない〈非人間化された人間〉の社会の存在を意味して」(塚田理)おり、差別を補強する国民統合運動となっていくからである。
 繙蟠録07/25付で採りあげた「六曜」問題同様、われわれ一人ひとりが天皇制の「共犯者」であることを自覚し、そこから抜け出ること。そのためには、家族の物語や運鈍根に惑わされて、社会の主人公たる労働者としての誇りを見失わないようにしたいものである。(M)

2019/07/26 「戦後平和」が、牙を剥いて襲いかかる

日本の資本と国家による被抑圧少数民族に対する隔離収容政策が、抵抗と叛乱を呼び起こしている。「牛久入管 100人ハンスト 5月以降拡大、長期拘束に抗議」東京2019.07.26、「支援団体 長期収容中止申し入れ ハンスト受け牛久入管へ」茨城2019.07.25、「入国管理センターで収容者死亡 病状悪化も「放置」なぜ」毎日2019.07.08、動画「入管収容施設の問題点と『難民』の実態」まいもく2018.11.08。
 先の東京新聞は、続けて「ここは地獄。これが正義なのか」というイラン人男性の発言を報じている。

 「死ぬか、ここから出るかだ。ハンストを始める三日前、娘らに遺書を書いた。兄には『死んだら日本政府を訴えてくれ』と電話した」。約四年四カ月間、東日本入国管理センターに収容されているイラン人男性サラヒ・モハマドさん(46)が面会室で語った。
 モハマドさんは一九九九年に入国し、翌年に日本人女性と結婚。十八歳と十六歳の娘がいる。交通死亡事故を起こし、交通刑務所に服役。永住権を取り消されたが、帰国を拒否し、仮釈放後にそのままセンターに収容されたと明かした。
 仮放免を十七回申請したが認められなかった。「刑務所は出所の日が決まっていて、まじめにやれば仮釈放もある。ここでは、まじめにやっても、病気にならない限り出られない」と六月二十七日からハンストを始めた。体重は十キロ減り、壁に手をつかないと歩けないほど、体力が落ちた。  水分不足で尿管結石の症状が出て、仮放免がほぼ決まったため、食事の摂取は再開した。しかし、「死にかけて二週間の仮放免なんて、ばかにしている。それなら出ない」と怒る。「ここは地獄。これが正義なのか。人間としてどう思うのか」と訴えた。
 「人々の気を狂わせ/人々の胸の上に/千斤の重石をのっけるような夜」(許南麒『火縄銃のうた』)を強いられている人びとがいるという事実を、日本国民(臣民)は見ようとしない。見ようとしないことを続けているうちに、ほんとうに見えなくなってしまっている。そんな人が言う「差別しようと思ったことなどない」には嘘はないのであろう。生きる権利、抵抗する権利を持って闘う人びとが見えない人びとは、やがて、自らの生きる権利、抵抗する権利を見失って生ける屍となっていく。天皇明仁は、在位30年記念式典(2019.2.24)で、「平成の30年間,日本は国民の平和を希求する強い意志に支えられ,近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちました」と言ったが、アジア経済侵略によって蓄財した資本のおこぼれでドレイとして生かされている「戦争を経験せぬ」人びとには、この戦争(暴力と抵抗)は理解不能である。(M)

2019/07/25 「六曜」という日常に生き続ける天皇制

校正の仕事のなかで時折、カレンダーの校正がある。立春や春分などの二十四節気、大安や仏滅などの六曜が入ったものは面倒である(いや、入っていなくてもカレンダー校正に“事故”が起きやすいのはなぜだろうか)。某印刷会社のチェックシートには「①暦というものは、公式には国立天文台の暦要項が前年の官報に掲載告示されて初めて明確になります。このため、xxxx年度以降の玉・国民の祝日・二十四節気は保証されておりません。また、官報に告示されるものは、国民の祝日・日曜表及び二十四節気であり、一般的に使われている六曜は保証されておりません。②法律の改正等により、国民の祝日・休日等が変更になる場合があります。」とある。
 国立天文台であれ日本カレンダー暦文化振興協会(暦文協、一般社団法人)であれ、いずれの公的組織も六曜を明らかにしないのは、旧暦はすでに1872年に法的に禁止され(→「明治5年11月9日太政官布告337号(改暦ノ布告)」)、六曜も「明治5年11月24日太政官布告」によって「略暦は歳徳・金神・日の善悪を始め、中下段掲載候不稽の説等増補致候儀一切相成らず候」とされたからである。ここから2017年問題(→湯浅吉美「2017年の六曜(六輝)問題」)や2033年問題(→国立天文台「旧暦2033年問題について」、日本カレンダー暦文化振興協会「2033年旧暦閏月問題について見解発表」)が起きてくる。
 人名の画数占いも同様だが、なにゆえに六曜が140年以上も生き続けているのだろうか。部落解放同盟も浄土真宗も六曜を批判しているが、いまだに冠婚葬祭などの日常に、無意識の意識として人びとを束縛し続けているのはなぜか。(「六曜カレンダー「差別につながる」と大分で配布中止 なぜ?」2015.12.26 HUFFPOST、「六曜カレンダーの配布中止を撤回」2016.1.7 HUFFPOST)
 ブルジョア社会の分析を商品交換から始めたマルクスの観点と方法を、レーニンは「もっとも単純な、もっとも一般的な、もっとも基本的な、もっとも大量的な、もっとも普通な、人々が何億回となくでくわす関係」という「単純な現象のうちに…現代の社会のすべての矛盾(あるいはすべての矛盾の「萌芽」)をあばきだす」ものとして示した。「このような仕方がまた弁証法一般の叙述の(あるいは研究の)方法でもなければならない…。もっとも単純なもの、もっとも普通なもの、もっとも大量的なもの、等々から始めること、…すでにここには…個別的なものは普遍的なものある、という弁証法がある。」〔「弁証法の問題によせて」1915年、『哲学ノート』所収〕
 かつての日本資本主義論争において、個別・特殊・具体を分析し得なかった労農派に対して、講座派は特殊・個別としての天皇制分析から天皇制打倒を掲げながらも、普遍・一般としてのブルジョア独裁として捉えることにおいて課題を残したのではなかっただろうか。習慣の力としての天皇制の分析は、日常生活に生き続ける六曜や占いからも考える必要がある。(M)

2019/07/24 抜き書き 菅孝行『天皇論ノート』新版への序

【…七二年から七四年…歴史の転換点…そういう状況下で、戦後日本の国家権力の基盤を、天皇を媒介に見つめ直してみたい、というのが『天皇論ノート』の問題意識…それは、日本の国家権力の強さの理由を探るためであると共に、強い権力の弱点はどこかを解明したいためでもあった。
 「権力」の、もっとも通俗で分かりやすいシンボルは、機動隊の青黒い壁であるが、あのあまりにも即物的な「権力」像の背後にあり、あれを支えている、モノとして目に見えにくい力や、力を力たらしめている権威のからくりを読み解いてみたかったのである。…これを力あるものとさせたり、これが力あるものを権威づけたりするような機能をもった「天皇」たらしめているのは、究極のところこれを支える民衆であることもまた一面の事実である以上、天皇の権威を下支えしてしまう民衆の意識の基盤を解明することもまた欠かせない課題にちがいなかった。
 天皇制的なものの基盤が民衆の生活文化の中にあるとすれば、天皇制的な統合は、天皇を頂点にもつ国家以外の社会でも、たえず再生産される可能性がある。

…主要な関心は戦後新憲法によって非政治的存在となった天皇が、政治を離れた存在でありながら、なぜ、無力化されず、代替のきかないある種の魔力を発揮し得る可能性を保持し続けているのか、というところに置かれていた。「象徴」でしかない天皇が直接政治的な力を発揮することはもうありえないという判断が、その関心の前提であった。従って…生活伝統、慣習、文化のなかにビルト・インされている、神聖なるものへの(畏敬・禁忌などの)対処の仕方、それに規定された人間関係のつくり方、指針・行動の選択が、天皇及び天皇制に規定されてきたことによる、日本の特殊性を解き明かそうとすることが関心事であった…企業社会や、近所づきあい、友人づきあい、家族の中などでの、えもいわれぬ和と排外の流儀は、ヤマトの住民の文化的負性であり、それを対象化し、決算し、のりこえることなしには、あらゆる社会変革も政治変革も、意味をなさなくなってしまうのではないか…

…近代国民国家の成立期に定めた、国家国民統合の基軸は、なまじなことでは別の基軸に置き換えることはできないから、国家の危機においては、近代国家の建国の精神が鼓吹されるものなのである。…かくて「国体」は護持され君主の君主たる共通の属性である象徴機能をひきついで、政治権力なき君主制が成立した。…『天皇論ノート』では、戦後国家の天皇は、ほぼ完全に非政治化されたと考えていたが、それは、非政治的スタイルで粉飾された新たな政治性の付与にほかならず、この政治性こそ近代化されスマートになった戦後日本国家の国民統合のために適合的なのだ、というのが、『天皇制――解体の論理』の、天皇制把握の骨格であった…ソフトに、モダンに、しかし、生活体系の深部を、決して復古主義的に逆なですることなく組織する、慣習の力の政治性を警戒しようというのが、基本の見立てであった…天皇は政治権力のしいたレールの上を操作されて走るだけの傀儡、木偶ではなく、権威と権力、神権と俗権は、自覚的分業関係にあることを、はっきりと認識しておくことこそが必要であろう。

…今日の、いささか勇み足めいた天皇制政治攻撃のうちには、民衆の心象に食い込める部分と、決してそうはならない浮いた部分とがあって、長い目で見ると、いうまでもなく前者はイデオロギー攻撃として力をもち、後者はとるに足らないものとなる。そして、その有力なイデオロギー攻撃たり得る部分が、なぜそうであり得るのか、ということと、『天皇論ノート』における、日本市民社会の自己意識の鎖国性の分析は、深くかかわっているはずである。いいかえると、平時の、生活習俗のなかに生きのびた天皇制的観念に対する自覚性のなさこそが、危機の国民精神総動員攻撃に対する抵抗のなさの理由にほかならないのだ。…】

〔1986年1月、新版への序、『天皇論ノート 天皇制の最高形態とは何か』明石書店、1986年3月、pp.i-xII〕

2019/07/17 TABFで感じた「出版の原点にたち返ること」

7月12日から15日まで、東京・江東の東京都現代美術館でTABF(TOKYO ART BOOK FAIR 2019)が開かれた。コマも参加者も桁違いに増え、人混みの背中からのぞき込むありさま。モノを見て触って出展者と言葉を交わせるという楽しみは難しくなり、信濃町でやってた初期の方が良かったのかも。14、15の両日、PABF(プアマンズ・アートブックフェア)にフラミンゴ社・筏丸けいこさんのお声がけで出ていた、その合間にTABFへ行ってみたのである。
 楽しみ、趣味としての手づくり本が盛んで、会場を埋め尽くしている。若い女性グループが「活版の凹凸ある手ざわり」を話していた。凹凸なく鮮明に刷ること(!)を日夜目指していたプロフェッショナルな活版職人は何と言うだろうか。活字のバラ売り、組版の技法をおざなりにした体験教室……、違和感がある。こういう「趣味」の世界とはちがって、啓文社印刷(神戸)や文林堂(福岡)のような現業活版業者には、工業としての印刷・出版の志がある。
 組版は、複製して世に出さずにおれない、残さねばならない、という動機と志に突き動かされてあった。活版も写植も裏返しの文字をひとつひとつ拾うのである。組み上がりを想像しながら、電算写植でファンクションを埋め込みコーディングする。印刷結果どおりにディスプレイで見ることが出来るWYSIWYGなどまだなかったから、出力するまで分からない。出来上がりを想う、そこに込められた気合い、集中力! なるほど、コンピュータ処理との出会い以降の電算写植―DTPとCTPは、版づくりを有害な鉛と重さから解放し、誰でもが印刷と出版を権利としてわがものにすることに近づいたのかもしれない。しかし、文字と言葉が、版面から立ちのぼり、読者に迫る力は、版づくりが楽に早くなってきたのと反比例して衰えていないか。「“工業に立ち向かう文化”という幻想」を私が書いたのは21年前であるが、印刷・出版という近代を支える文化はすぐれて工業的なものであって、それなしには実現できぬと改めて強く思う。(M)

2019/07/14 明治維新評価と天皇制

人民の立場、解放闘争史の観点からみるとき、変革の不徹底さを理由にして革命の意義を低めることは日本の知識人の悪癖である。明治維新は、政治的には版籍奉還と廃藩置県で封建領主制を廃止し、社会的には名字使用を認め、通婚と職業選択の自由、被差別部落民解放、人身売買禁止で封建的身分差別を撤廃した。まぎれもなく明治維新は「自由」「平等」を掲げた革命だった。もちろん解放令ひとつとってもそれは永き闘いの始まりだったのだが、変革の歴史学は、いまだ弱くても新しいものの芽吹き、第一歩を見いだし評価、位置づけることが本務であるから、この革命としての明治維新を記念する資格を持つのは人民であり、現在の資本と権力には明治維新150年を記念する資格はない――という基本評価はゆるがせにしてはならない。
 日本マルクス主義のなかに色濃くある形而上学はいまだ克服されているとは言いがたい。封建社会からブルジョア社会への移行は一回きりのブルジョア革命であって、明治維新が革命なら以後ずっとブルジョア国家、敗戦後の変革が革命なら戦前はずっと封建国家――まさかここまで矮小な形式主義に陥ってはいないと信じるが、逆にこの教条理解を克服し得ているとも思えない。
 ブルジョア革命は、プロレタリアートの指導権が打ち立てられていない限り成就せず、裏切られ続けてきた。「自由」「平等」を掲げた明治維新革命も、天皇制藩閥権力によって簒奪され、裏切られた。人民にとっては、今度こそ裏切りを許さず、再びみたび本物の革命を! という以外にない。
 戦国乱世を勝ち抜いた徳川政権は日本皇帝を名乗り得たはずだが、なぜそうしなかったのか。江戸の太平には、中国や朝鮮のような強力な官学と科挙の体制は敷かれず、在野の知は興隆する。幕末にかけて起こった擬制および観念(天皇)と実態(幕府の実効支配)との間の転倒について、毛利敏彦は次のように指摘した。

 江戸時代の太平がもたらした儒学の隆盛は名分論を普及させ、同じく国学や史学の勃興は尊王論を育成したが、その結果、いつの間にか論理の転倒が生じた。すなわち、征夷大将軍なる称号は徳川の実力天下支配を事後的に権威づける装飾にすぎなかったはずが、徳川幕府の国家統治権限は天皇から委任されたがゆえに生じたという観念に転化した。つまり、天皇が委任を取り消せば徳川幕府の統治権は消滅するとの観念だ。
 このような実態と観念との分裂は、徳川幕府の勢威が盛んな間は潜在していたが、幕末開国後の難局に直面して徳川幕府の統治力が減退するとともに表面化し、幕府を窮地に陥れた。〔略〕幕府自身も委任論に呪縛されていたので、真正面から自己の開国政策の正当性を主張できなかった。安易な征夷大将軍方式に依拠してきたとがめがでたのだ。〔『明治維新の再発見』吉川弘文館、1993、pp.223-224〕
 かくして、「宮さん宮さんお馬の前にひらひらするのは何じゃいな/トコトンヤレトンヤレナ/あれは朝敵征伐せよとの錦の御旗じゃ知らないか」(トンヤレ節)へと歴史は転変し、ここから「自由」「平等」という人民の要求と闘いは、天皇権力によって簒奪されていった。(M)

2019/07/12 「天皇制の「業担き」として」(上野英信)

天皇制とは何か。「一木一草に天皇制がある」とか「何とはなしの自然神信仰」とか深刻ぶって、いったい何が生まれるというのか。それは、歴史への具体的分析を欠いていることによって超歴史的な、“万世一系”神話を支えることによって天皇制廃絶の闘いに悲観主義と敗北主義を持ち込むものでしかない。
 フィリピン共産党書記長アントニオ・E・パリスは明確な定義を示す。「天皇制は特権を有する資本家階級が社会のなかで他のすべての下層階級を搾取する社会秩序を正当化する文化的宗教的突っ支い棒である。」〔沖江和博訳、『思想運動』2019.7.1〕。
 上野英信は、『骨を嚙む』大和書房、1973(初出「潮」1972.4)で、自身を告発・糾弾する側に置いてしまうことで見失うものを指摘している。

 たしかにわたしたちは、たんに日本軍国主義の被害者であるばかりではない。しばしば糾弾されるとおり、みずから意識するといなとにかかわらず、みずから銃をとるといなとにかかわらず、アジア諸民族に対する、恐るべき加害者であり、戦争共犯者であった。それはどう否定しようもない歴史的事実だ。そして、その根底に天皇制がある。これもまたどう否定しようもない歴史的事実である。
 ただ、そんなふうに論理のすじみちをひろげてゆく場合に、なにか、音もなくわたしの内部に欠落してゆくものがある。〔略〕それは、天皇制の「ゴウカキ」意識そのものの欠落である。〔略〕わたしは、自分が天皇制の「罪と罰」のかたまりであり、それ以外のなにものでもないことを知っているつもりであった。と同時にまた、そうであるがゆえに、天皇制の「罪と罰」を、もっとも厳しく糾弾しなければならない存在であることをも、知っているつもりであった。そして、それこそが、わたしたちの世代が受けとめるべき戦争責任であることをも、自覚しているつもりであった。
 ――にもかかわらず、いつのまにか、わたしの内部に天皇制の「ゴウカキ」意識が欠落してゆくのはなぜであろう。
 それはほかでもない。いつのまにか、わたしが、戦争責任を追求される側にではなく、追求する側に身を寄せてしまったことにあるというほかはない。〔略〕もし無数の兵士たちの「名誉の戦死」が、「犬死に」以外のなにものでもなかったとすれば、死にそこなったわたしの生も、それこそ「犬生き」以外のなにものでもありはしないのだ。〔略〕まこと、おのれを生きながら「犬死に」をしいいられた存在として意識することのできる者だけが、天皇制の祭壇にささげられた累々たるしかばねを、「拝んでやらねば浮かばれん仏たち」として、みずからの内に抱きとることも可能なのである。
 これはまた、全共闘/文革の闘い半ばで死んでいった諸先輩への、生き残ってしまった私の弔いでもある。(M)

2019/07/11 PABF(プアマンズ・アートブックフェア)へのお誘い

14日と15日、東京・清澄白河の「MITSUME ミツメ」で開催されるPABF(プアマンズ・アートブックフェア)に、『人間ポンプ』のフラミンゴ社(筏丸けいこさん)の小間の一角をお借りして出店します。
 組継本舗・汀線社は、『組継ぎ本々義(組継ぎ本公式マニュアル)』『歴史をつくるのは誰か 下放、すなわちスタイルの根底的転換=文体革命を!』ほかを宣伝、販売します。ぜひお立ち寄りください。
 都営大江戸線「清澄白河」駅徒歩約7分、都営新宿線「森下」駅徒歩約6分です。入場無料。

 PABF(プアマンズ・アートブックフェア)

  • 主催:ROADSIDERS
  • 開催場所:MITSUME ミツメ
  • 住所:東京都江東区常盤1-15-1
  • 開催日程:7月14日(日)12:00~20:00、15日(月祝)13:00~19:00
  • 入場料:無料

2019/07/10 ノート 幻想を捨てよ!

◎「日帝自立論再考」に対して、「いや、われわれはそれでやってきた」という意見あり、何と情けないことよ。分析とは誤りがあれば改め、情勢に即応し続けねばならない。従属と帝国主義とは相容れない概念だというものがあるが、強大な帝国主義国に比較的弱い帝国主義が従属するということは過去にもあり、帝国主義の不均等発展の法則のあらわれである。第一次大戦後の世界分割の状況についてレーニンは「従属国の種々さまざまな形態」を例示、分析している(39巻ノート、22巻帝国主義論)。現在、日本の権力がアメリカに日米地位協定の抜本的改定を自ら要求しないという事実は、日本帝国主義のアメリカ帝国主義に対する従属的提携関係を裏づけている。「われわれは」という誇りがあるなら、掲げ続けるべきは〈プロレタリア国際主義と革命的暴力〉の旗幟以外にない。

◎帝国主義国家同士の対立と闘争が必ずしも戦争としてあらわれず「提携」が基軸になっていること、ヨーロッパ(英・仏と独と)では水平的提携、東アジア(米と日、米と韓)では垂直的提携となっていること――という菅孝行さんの分析には同意。しかし、その違いを「地政学」などというおよそ学問の体を成していない怪しげな談義で説明するのは誤りである。違いの背景にはアメリカによる「アジア人をしてアジア人と戦わせる」政略・戦略がある。原子爆弾を日本に落とし、モアブ(大規模爆風爆弾兵器)をアフガニスタンに落としたアングロサクソンは、けっしてヨーロッパにはそれらを使わなかった、それはなぜか、ということだ。原住民を皆殺しして建国したアメリカはまたブラックパンサーを皆殺し弾圧したことを忘れてはならない。

天皇明仁の退位メッセージ(2016)の本質はどこにあるのか。天皇裕仁の人間宣言(1946)の本質と同様、国体護持(天皇制の保身)にあるのだ。「安倍と明仁との矛盾は改憲と護憲の対立、退位メッセージの“非戦”に対して安倍のクーデターだ」などというものがあるが、権力と人民との主要な矛盾はそこにはない。「改憲 vs 護憲」という対立は、権力と労働貴族による下層人民に対する共同の管理・支配を覆い隠すニセの対立軸である。戦後民主主義という幻想を捨てよ!(M)

2019/07/05 天皇制における〈立身出世〉という差別構造

承前。『象徴天皇制とキリスト教』新教出版社、1990年8月、ISBN4-400-54232-7において、「日本の近代化は、封建的差別構造を天皇制絶対主義体制によって新たな差別構造に組み替えたにすぎない。明治以来の日本の近代化路線は、義務教育と徴兵制度によって、封建的差別構造を巧みに資本主義的差別構造に連結させることに成功したのであるが、天皇制はまさしくその統合的な政治支配機構として機能して来た」という政治支配機構の側面でのみ捉えては、天皇制の本質は解明できないとして、著者は「象徴天皇制社会における二重構造」を指摘している〔p.88-90〕。
 まず、「政治的・経済的社会構造」について次のようにいう。

 明治維新は、天皇の異種性を高揚し、それを政治的権力機構に結合させることによって、従来の封建的差別構造の内的流動性を大幅に許容し、これによって諸外国に対抗し得る国民的統合を強めることに成功した。〈立身出世〉はまさに天皇の異種性の高揚(神格化)の中で可能になった国民統合運動にほかならない。それは、天皇制差別構造の再編成であり、しかもすべての国民に、天皇にまで直結し得るかのような(国民は天皇の赤子と呼ばれた)上昇志向の幻想を与えるものであったと言えよう。この世で〈立身出世〉の幸運にめぐり会えなかった者も、天皇のため、国のために死ぬことによって祖宗の霊と結び合わされ、国の神として祀られることによって浮かばれる機会が与えられたのである。〔p.90〕
 この〈立身出世〉の欲求を年功序列制度や終身雇用制度が支え、「激しい立身出世の競争に破れた者にも、将来の生活の安定と上昇への多少の希望を与えるという、学歴と肩書を尊重する異常な社会を生み出した。それは、常に差別を克服しているかのような幻想を与える差別社会なのである。」〔p.91〕

 第二に「人倫的差別構造」として次のようにいう。

そこでは、人間としての生き方への問いかけ――人間生存の意味、価値、そして目的についての究極的な問いかけ――は予め収奪され、それに代えて民族の本源的欲求に対する回答としての「国体」が置かれ、万世一系の天皇をもってその永遠的価値の象徴とされているのである。そこでは、人間としての生き方は、問われることなくして、国民感情として感得されているのである。〔pp.92-93〕
 著者の指摘どおりである。ここに、前述のような、〈洋才〉のアクセサリーとしての日本マルクス主義の肉体がある。私はそう読みかえて受けとめた。この肉体を問わない(すなわち「「腑」に落ちない!」)マルクス主義は、しょせんは脱ぎ着可能なファッションに過ぎない。また、左翼運動における「弁が立つ、文章が書ける」才による組織内上昇志向もまた、この天皇制差別構造のミニチュアである。真の反体制組織ならばその組織内の関係は、現体制の価値観や関係を転覆した、新しい社会構造のミニチュアでなければならない。(M)

2019/07/04 「私人」の「洋才」としての似非マルクス主義を葬れ

塚田理『象徴天皇制とキリスト教』新教出版社、1990年8月、ISBN4-400-54232-7は、知的刺激に満ちており、わが身に引きつけて読まずにおれなかった。「〈象徴〉としての天皇制は、新憲法によって新しい政治形態として明記されたかも知れないけれども、その本質においては戦前戦後を通じて全く変わることがなかったという意味において、〈国体〉は護持された」との立場から著者は「〈象徴天皇〉あなどるべからず」と強調している〔p.6、原文で傍点部分は引用でゴシック体に、以下同〕

 さて、自己完結的国家の永遠的・究極的象徴としての天皇は、日本国民の存在を無限に肯定する根拠である。しかし、キリスト教信仰にとって、自己完結型の主張は原罪と呼ばれるべきものである。(略)/天皇制国家の原罪性は、その無責任体制によっても表わされている。この無責任体制は、この社会の成員がただ単に〈責任逃れ〉をよしとするということではなく、〈責任をとる資格を持たない〉ことから成立している所に根源的な特徴がある。(略)そもそも、責任を自ら決断することなしに、〈進退伺い〉を提出するような日本社会の慣習は、まさしく、〈責任をとる資格を持たない〉ので、上位に立つ者によって然るべく取り計って欲しいという無責任体制の典型と言うべきであろう。/このように〈責任をとる資格を持たない〉ことが、忠実な臣民であり、あるいは忠実な官僚あるいは社員の資格であるとされていることは、一方では、ひとりひとりの人間の〈責任応答性〉を奪い取っている何者かが存在しているということであり、他方では、この何者かによって〈責任応答性〉を押収されながら、そのことに気づかぬか、あるいは気づいていても敢えてその回復を試みる勇気を持たない〈非人間化された人間〉の社会の存在を意味していると言えよう。(略)/責任応答性の押収者は、その押収の権利の根拠として、かつては「皇祖皇宗の遺訓」、今日においては「国民感情」を挙げて、〈国民〉としての日本人の生存の意義と目的を指示して来た。こうして、人間の生存の意味と目的にかかわる事柄を、自己完結的な国家体制の中に組み込んでいるという意味で、天皇制国家は宗教的統一体として存続していると言わなければならない。〔pp.9-12〕

 さらに著者は「日本の近代化路線は、〈和魂洋才〉を基軸として推進され」、「日本における宗教論の本質は、〈和魂〉(=国家目的)に奉仕すべき私人の宗教ということにおいて変りはない。そして、〈和魂〉との関係で見るならば、私人の宗教は〈洋才〉と同質のカテゴリー」であり、「いわば〈洋才〉のアクセサリーとして、インテリや中産階級の教養、また精神修養の一方法としてであった。それは舶来の処世術(道徳)としての魅力を持っていたのである」として、「キリスト教はいつまでも〈日本教キリスト派〉の位置から脱することはできないであろう」と批判している。〔pp.13-18〕
 このキリスト教という箇所にマルクス主義という言葉を代入してみれば、そっくりそのまま日本マルクス主義の〈日本教マルクス派〉の性格が浮き彫りになる。マルクス主義の日本化、土着化のためには、何のため誰のために生きるかという「人間的な問いを自立的に受けとめることの許されていない〈宗教的国民〉=私人」〔p.13〕から脱し、「公人としての自己と対決しなければならな」〔p.13〕い。かつての連合赤軍の同志たちによるリンチ事件の苦闘の革命的意義は、ここにあったのである。(M)


繙蟠録 II  19年5-6月< >19年8月 
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