繙蟠録 II
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2011/04/18 とろけるジルコニウム,剥げ落ちる“似非左派思想”の鍍金

非日常のなかで顕わになるのは,日常では見ないことにしてきた,あるいは見ないことにしているうちに本当に見えなくなっていた関係である。東電福島原発事故は“旧思想”の本性を明らかにしつつある。露呈しつつある大切なことは,「いいことを言ったり書いたりしてるのにやっていることはデタラメ」などではなく,「やっていることがデタラメということは実は言ったり書いたりしていたこともデタラメ」ということに気づかされることである。

 矢部史郎さんは『無産大衆神髄』(2001),『愛と暴力の現代思想』(2006)などを著し,在野の批評精神ということを私が考えるときにもっとも注目していたひとりだった。原発事故後もブログ「海賊共産主義へ」で積極的に発言されている。が,「観光産業と原子力」(4/15付)に私は怒りを覚えた。外国人観光客激減の報をうけて,少なくとも基準値をWHO基準に揃えて放射線量の調査を全国で実施しないと観光業をはじめとする地方経済はダメージをこうむると矢部さんは主張する。そのなかで【原子力で脳が被曝した右翼は、「外国人が来なくたって平気」というかもしれないが…】と書く。これは看過できない。右翼の主張を批判するならその内容で批判すべきであり,「原子力で脳が被曝した」という形容詞は不要である。不要であるばかりか,新たな差別と分断をもたらす。仮に被曝したとして被曝させた真犯人はいったい誰なのか。片言隻句というかもしれない。しかし,そこにその人の思想が顔を出すのである。私はこういう物言いをする人のいう「私的なものの回復」には信頼をおけないだけでなく,空恐ろしさを感じる。

 池上善彦さんは『現代思想』編集長としてとりわけ90年代末の「~は誰か」シリーズを特集し,私がジャーナリズムと編集ということを私が考えるときにもっとも注目していたひとりだった。地震と原発事故後,翻訳を通じて現状に批判的な声を交換しようということで設けられたらしいブログ「Japan - Fissures in the Planetary Apparatusでも積極的に発言されている。「レベッカ・ソルニットへの返信」(4/3付),「東京の曖昧さ」(4/4付),「低線量被爆地帯から シビル・バイオ・ソサエティ?」(4/16付)。池上さんはソルニットのユートピア論に対置してディストピア云々と述べているが,30年以上前から〈日常的ディストピア〉を生きつづけざるを得なかった原発ジプシー(原発労務者)からすれば,クソくらえである。ディストピア論は(実はユートピア論も同根なのだが),すべてを「想定内」におさめよう,そうすることによっておのれの小市民的恐怖から逃れて安心したいという欲望が透けて見える。すべては説明しうる,Theory of Everythingという思い上がりではないか。日々下層で生きている者から見れば,たまたま陽が当てられて「英雄」だの「特攻隊」「献身」だのともてはやされる前はどうだったのかと言いたくなる。

 森崎東が26年前から現在を幻視した傑作映画『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』,あるいは「隠された被爆労働 日本の原発労働者1」「隠された被爆労働 日本の原発労働者2」「隠された被爆労働 日本の原発労働者3」――これらは何を告発し,誰を批判しているのか。

 野宿者を排除した被災者救済の欺瞞と同質であり,日雇労務者を排除した派遣労働者救済の偽善と同質である。池上氏の「東京の曖昧さ」は実は池上氏自身の曖昧さの反映であり,そこに抜け落ちているのは,原発ドレイ労働に就く下層労働者の視点であり,太平洋で生きる東アジアの漁民の視点である。つまり,徹頭徹尾,都市の消費者としての「曖昧さ」でしかない。

 災後,こうした似非左派言論の鍍金はもっともっと剥げていくことだろう。「友人たち」の言動はまことに残念だが,日本の変革思想の再生のためにはめでたいことである。(M)


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