繙蟠録 II
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繙蟠録
 2010-2009年

 索引は最新分参照

繙 蟠 録 II 2011年1月

2011/01/11 トークセッション「映像とタイポグラフィの周辺」記録のウェブ公開

昨年12月9日,東京・ジュンク堂書店池袋本店でおこなわれた『市川崑のタイポグラフィ』刊行記念トークセッション「映像とタイポグラフィ」(小谷充さんと鈴木一誌さんとの対談)のもようが,同書版元である水曜社さんのウェブサイトに掲載されました。早々の予約〆切でご参加いただけなかったみなさまもどうぞご覧になってください。(M)

2011/01/02 〈文体革命〉の呼びかけ 新年のあいさつにかえて

大晦日までにやっと投函した年賀状に書きましたが,21世紀の最初の10年をふりかえり昨年12月26日に〈文体革命〉の呼びかけを書きました(なお,この原稿は友人に声をかけていただいたおかげで,ある雑誌に近く掲載の予定です)。

……中国革命は文体革命だった。文体といい文風ともいうがスタイル,風である。五四白話文運動で句読点(中国語では標点符号という)を発明し,分かりやすい文体を広めた。わざと難しい言い回しをする知識人を鼻つまみにし,阿Qたち(流動的下層貧民)は武器になる活きた文字と言葉を取り戻していった。
 毛沢東は,国内「難民」としてもっとも卑しまれ蔑まれた遊民を「兵」として訓練し,社会でもっとも尊敬される人間類型として組織し,また人民公社をつくって食えるようにした。
それは,文字と言葉を奪われた阿Qたちが文字と言葉を取り戻す革命だった。三大規律八項注意を歌って言葉を覚え,生活スタイルを変えていった。識字運動であり,訴苦運動という翻身革命だった。……

全文は以下のURLに【1/20c追補 1/21ab訂正 2/5ab再訂】。
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お読みいただければ,また批判いただければさらに幸いです。(M)

2011/01/01 甦る毛沢東思想と文化大革命

「MSN産経ニュース」の【緯度経度】2011年1月1日付は北京・伊藤正「毛沢東は政治家の宝」として,階級闘争の激化を背景に高まる“毛沢東熱”を伝えている。

 中国では近年、毛沢東熱というべき現象が続いている。毛の命日である9月9日(1976年)や誕生日の12月26日(1893年)には、民間の記念行事が行われるが、生誕117年の2010年は、空前の盛り上がりを見せた。
 民族系のウェブサイト「烏有之郷」は、首都北京はじめ全国各地で行われた300件以上の各種記念行事をリストアップしている。毛沢東賛歌を歌ったり、毛の功績をたたえる集会や座談会を開いたりといった集団行動が大半だ。その主な背景は、現状への不満である。
 党、政府、軍の高官らと、彼らとつながる大企業が権力と富を独占し、国の目ざましい経済発展の陰で、国民の多くは発展の恩恵を十分に受けていない。毛沢東時代は、特権階層がこれほど跋扈(ばっこ)してはいなかったし、貧富の格差や腐敗もなかったと庶民たちは嘆き、毛を懐かしむのである。

記事は「毛時代の悲劇を忘れていないか」として「いま、毛沢東熱に駆られている多くの国民、特に青年層は、50年代に55万人が右派分子として迫害され、数千万の農民が餓死したことも、66年から10年間の文化大革命期の悲劇も知らない。それらは全体主義がもたらしたものだ」と指摘するが,これは立場のちがいというものである。劉衛東は「文革初期の一,二年間,人民は十分な自由を,ひいては絶対的な自由を享受した」として次のように述べている〔繙蟠録2009年6月21日付参照〕。

 わしのような庶民出身の者は,激動する状況の中で,このようにいばらせてくれて,もうたまらなく感激していた。〔……〕造反は時代の最強音だった。〔……〕
 わしの青春,夢,熱狂とロマンは,みな文革にかかわっている。おまえがどう思おうとも,少なくとも文革初期の一,二年間,人民は十分な自由を,ひいては絶対的な自由を享受したんだ。不自由なのは,走資派で,高級幹部の子弟で,特権階層だった。やつらはふだんは高いところにいて,民間の苦しみなんか知らんぷりをしていた。しかし,今やいかなる政治運動とも異なり,世界が逆転し,やつらにもプロレタリアの鉄拳の味を教えたのだ。〔……〕
 でも幸福だったなあ。みな早起きして,互いにうなずき,ほほえみあった。黙っていても心はつながっていて,連れだって大経験交流会に出かけた。〔…〕もしかしたら,わしらは一生,あの一日,あの一時のために活きてきたのかもしれない。
〔……〕わしのような者には何も残っていない。文革の他に,何か追憶する価値のあるものがあるというのか?〔……〕
 わしは信じとるぞ。その場にいた一人ひとりはみんな毛沢東の時代に生まれたことを非常に誇りに感じていたのだ。〔……〕人はある種の信条を持つべきだ。信条が人を純潔にして,献身の勇気を持たせるのだ。

楽しみである。毛沢東思想は甦り,第2,第3の文化大革命は必然だからである。いましばらく行く末を見まもっていきたい。(M)

【関連サイト】烏有之郷〔中文〕 / 前田年昭書評『中国低層訪談録』

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