繙蟠録 II
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繙 蟠 録 II 2011年6月

2011/06/26 啓蒙主義の陥穽

幾世代にもわたって内外に被害を及ぼす東京電力福島第一原子力発電所事故の悲惨な事実を前にしてなおも原発全廃が圧倒的民意となっていないかの信じられぬ現状は,いったいなぜなのか。電気が足りるかどうかとかコストとリスク論議に目を奪われている反原発運動自身の弱さ,不充分さをみるとき,私は「反原発の論理」自体を鍛える必要をひしひしと感じている。

 誰しもが昔々の地震や津波のことを知ってなきゃいけないのか,皆が毎時マイクロシーベルトを年間のミリシーベルトに換算できる知識を持たなきゃいけないのか,そんな社会は不幸だ。危険に気づいた真っ当な研究者の警告が無視される社会のありようは変えていかなければならない。しかし,原発反対運動のなかでそうした孤高の研究者ではない「活動家」たちがさも何もかも知ってたように引用して「想定外」を非難するのはナイーブというより,後知恵に過ぎて恥ずかしい。むしろ,事故の可能性を知識としてうすうす知っていたにもかかわらず,なぜ現実性として本気で信じていなかったかをふり返ることが必要なのではないか。

 世界は,検索しても見つからない事柄のほうが圧倒的に多く,「想定外」のものごとにみちている。間違いは起こるし,分からないことに満ちている。だから面白いのではないか。「反原発の論理」をコストやリスク,電気が足りるかどうかに求める小市民の論理は,結局,「安全な原発」の復興(!)へひた走る資本と国家を変えることも止めることもできない。科学が発展し,技術が向上しようとも,やはり「想定外」は起こりうる。不可知論ではなく,そうなのだ。

 私たち下層貧民が原発に反対する理由は,それが下請け日雇いの被曝労働を再生産するからなのだ。私たちは,原発内で被曝労働を強いられている下請け労働者の存在を忘れていなかったか。事故が起こらなくても原発は定期検査をはじめ被曝労働なしには動かない。この大量の不定期な仕事を支えてきたのが下請け日雇い労働者だ。いま問われているのは,エネルギーが人の命を踏み台にしてしか得られないものであっていいのか,ということである。原発問題の本質はけっして「エコでクリーンなエネルギー政策への転換」問題などではない。被曝労働の問題であり,下請け日雇い労働者問題である。

 原発問題は目に見えぬ敵との闘いとしてはじめてだという意見がある。あまりに想像力を欠いてはいないだろうか。アフガニスタン人民は,遠隔操作による無人機からの爆撃というアメリカの「目に見えぬ」卑劣に脅かされる日々を生き,闘っている。数値や知識に頼り切ってしまうことは,しばしば資本と国家の狗としての専門家への依存を強め,闘いを弱体化させる。戦時下を生きる母たちを取り巻くのは,そういう専門家とその支配下の「世間」や男たちによる「大丈夫」「神経質なんじゃないか」「ヒステリーだ」という心ない抑圧である。

 古来より民衆の力,社会運動の生命力は〈百家争鳴&一致した行動〉に宿ってきた。近年,“言論はシングルイシュー&行動はバラバラ”を以て新しい運動と称し,運動がすべてというベルンシュタイン主義者が出没している。言論のシングルイシューこそ小泉流のドレイ化政策であり,これに嵌まるようでは愚民化政策の狗以外の何ものでもない。今こそ百家争鳴が必要である。医学や原子力科学だけでなく人文・社会科学も含め,日本の学問が〈自由と批判〉をないがしろにしてきたツケが,原発事故をめぐる専門家たちのいまの姿に現れているのだから。(M)

2011/06/12 「活動家」たちの思い上がりと大衆蔑視を批判する

悲惨な福島第一原発の事故の処理と対策に「知識」はどの程度有効なのだろうか。ミリシーベルトがどうのセシウムがこうのという知識レベルが社会的に“向上”する社会ははたして幸せなのだろうか。

 「知識」を早く多く持っていると自認する知識人たちはしたり顔して「忘却はいけない。歴史は記憶されるべきだ」と言う。一面の正しさは認めよう。しかし,われら劣等生,貧民は“坊ちゃん嬢ちゃん知識人”とは違って忘却することによって何とか生きている。日々の辛さや怒りをすべて記憶していたら発狂必至ではないか。

 悲惨な事故や災害も直接経験として伝えられるのはせいぜい二,三十年だろう。何十世代もの間隔で起こる災害やめったに起こらない(はず)の事故に備えて,ヘルメットとマスク,携帯ラジオ,懐中電灯を携えて職場に通うということもせいぜい一,二週間しか続かない。それは知識として知ってはいても,実感としては本気に信じてはいないからではないか。これまた本気に信じていたら不安のあまりバランスを崩してしまい,生きてはいけないのだ。

 政府や東京電力に「だまされた」というのは,大衆の言いわけではないのか。大衆は知識人たちが思い込むほどバカではない。危ないことはうすうすは感じていた(知っていた!)が,本気にはしていなかった。それを「知らなかった」「だまされた」と言ったとたんに,関係者としての責任から逃れて自分自身を被害者として演じられ,だまされたふりをしていれば自分の過ちをやりすごせるぞというわけだ。無知を見下し続ける知識人や「活動家」への幻想を捨て,だまされたなどという偽りの被害者意識を捨てなければ,力ある反原発運動をつくっていくことはできない。

 先に知識を得たものが進歩的で,その先進者が知識を啓蒙して,そうして社会が変わっていくというのは本当だろうか。あやしい。〈造反に後先なし〉ではないか。ところが,「活動家一丁あがり」などという軽薄きわまりない立場から生まれた「活動家」にかぎって,この「先進風」を吹かせてえらそうにする。ウザイったらありゃしない。

 「反原発」運動の一時の昂揚のなかで彼らは奇妙な主張を持ち出す。自分たちの運動は「普通の日本人」による「日本(人)を守るための」運動なのだといい,しかもなぜこれを強調するかといえば,そこには深い訳があるという。ネット右翼や在特会などから「反日左翼」と言われる際に,そうじゃないという反論なのだという。

 結論を先取りして言えば,これは目先のやり取りに目を奪われた卑屈な言い訳であり,背景には根深い大衆蔑視がある。「反日」と言われれば「反日上等」とやり返すのが反権力運動の仁義というものだ。こういえば彼らはいうだろう。「別に反権力や階級闘争でやっているのではない」と。だがしかし,彼らには見えていなくとも,階級社会の現実は否応なく彼らにも襲いかかり続けるだろう。汚染されていない食べ物とやらを選べる階級とそうではない階級との間には深くて暗い溝があるのだ。

 「腰をかがめて間口を広くすることによって闘う人びとを増やそうという」という考え方は社会運動のなかで繰り返し現れては害毒を流してきた。イラク反戦運動の頃にはデモと呼ばずにパレードと呼べば敷居が低くなって,より多くの人が参加しやすくなるという意見が現れた。あるいは現場に来なくてもネットで「ポチッ」とサインすればよしという署名運動も同根だ。バカにするな!と言いたい。腰をかがめて間口を広くすることによって闘う人びとを増やそうという考え方は大衆蔑視に他ならない。人が自らの意思によって闘いに立ち上がるという崇高な決意は,誰かからの指図や強制によってなされるものではない。崇高であるが故に,敷居は高く,間口は狭いものなのである。

 「唯一の被曝国・日本」を強調する日本原理主義被害者運動は,在韓被爆者問題に取り組めなかったではないか。そして今,日本はアメリカとともに世界に放射能被害をまき散らし続ける核加害大国となった。「普通の日本人」を強調するというような,姑息で,下卑た,さもしい考え方を克服しないかぎり,日本の反権力運動は“無力な言葉”とともに消え去っていくのみであろう。(M)

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