繙蟠録 I & II
 

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繙 蟠 録 II 2013年1月

2013/01/29 生き続ける毛沢東と文革精神!

1月19日22時からNHK TVでドキュメンタリーWAVE「毛沢東の遺産~激論 二極化する中国」が放映された。
 まず,造反派として投獄された袁廋華さん(66歳)の声――

「そもそも1949年に共産党が政権を奪えたのは「造反」のおかげだった。それにも関わらずその後一切の「造反」行為を党は許さなかった。党に関する批判は全て反逆行為とされたのだ。権力は官僚に牛耳られ言論の自由は一切認められなかった。文革直前にはその抑圧が極限状態に達していたのだ。しかし毛主席が文革を発動し「造反」を奨励したおかげで,我々は味わった事のない喜びを爆発させた。自由に共産党の幹部を批判することも出来たし,初めて自由と民主の空気を実感したのだ」「文革の被害者と言えば,三角帽子をかぶせられ打倒された官僚のイメージが強い。また多くの知識人も侮辱を受け迫害された。しかし造反派が迫害された事実はほとんど知られていない。実は文革中,大多数の造反派が殺害されたのだ。その殺害を命令したのが造反派に批判されていた官僚たちだった。しかも文革が終わり政治の舞台に返り咲いたのは,まさに造反派を武力で鎮圧した官僚たちだった。彼らは文革の惨劇の責任を造反派たちに負わせたのだ。これこそ文革の隠されてきた真実だ」
「(10年の投獄の後,シャバへ戻り)周りが浮かれている中,私は毎日,死を考えていた。世の中は私の望まない方向にどんどん進んでいき,何もかもが金まみれで堕落しきった社会に私は絶望感に包まれた。」

 毛沢東支持派が集まる鄭州の五一公園での民衆の声――

「他の思想では人民を幸せに出来ない」「今の官僚は売国奴ばかりだ」「庶民の事なんか考えていないのよ。市内の家賃は高すぎて私たちは郊外に住むしかないのよ。月450元(約6300円)の年金で400元は家賃に消えたらどうやって過ごせというのよ。毎日ゴミを拾って生活するしかないのよ」「政府はいつもうそばかりで良い事を一つもしてくれない」「「調和のとれた社会」を声高に叫んでいるが,搾取されている労働者と資産階級が“調和”できるはずがない。50年以上働いたのに年金はわずか毎月1000元(約1万4000円)。病気になっても医者に診てもらうお金なんてない。何が「調和のとれた社会」だ,でたらめもいいとこだ」「労働者階級が新中国を作ったのに鄧小平は我々を地獄に落とした」「皆,毛沢東時代に戻りたくないか」「戻りたい!」「毛主席が本当に恋しい」「毛沢東時代の共産党に戻ってほしい」「これ以上うそばかりで政府が我々をバカにするなら,あんたらを打倒するぞ」

 毛沢東と文革精神はしっかりと下層民衆のなかに生き続けている。第二第三の文化大革命は必然である。(M)

2013/01/23 ヨイトマケの唄を生んだ闘争前史

昨年大晦日の紅白の「ヨイトマケの唄」(詞・曲:美輪明宏)は感動をよんだ。感動は,ブレイディみかこさんが端的に指摘したとおり「これは日本のワーキング・クラスの歌だ」からだ(「ヨイトマケとジェイク・バグ」2013年1月15日)。

 美輪がこの名曲をこしらえたのは1964年,東京オリンピックの年でもあるが,工事をやりとげた土建労働者の血と汗を忘れてはいけない。戦後当初,自由労働者の闘いは失業者と下層日雇労働者をつなぐ位置にあった。釜ヶ崎・山谷などの寄せ場の運動にかかわった人びとのあいだでは,白手帳(日雇労働被保険者手帳)に先んじて,全港湾(全日本港湾労働組合)による青手帳(登録日雇港湾労働者手帳)の闘いがあったことまでは知られている(1965年)。

 だが,労働運動が右傾化して久しいと,さらにその前史は埋もれていく。1952年9月,尼崎市は独自で「失業対策事業就労者等の労働保険に関する条例」を施行し,1963年に国の日雇健康保険制度が発足した際に吸収されるまで全国最初の労働保険制度として異彩を放っていた。この背景に,尼崎自由労働組合(1949年10月結成)の闘いがあったのである。組合結成のきっかけになった闘いは,職業安定所内部の失業対策費私消の摘発にあり,産別会議系の尼崎地区全労働組合協議会(全労協)は不正を追及して,所長を更迭させた。自労は機関紙『よりば』第1号で

ほかの自由労組は、労務用物資をもらうためとか、親方に利用されているか、選挙にひともうけするとかで、自由労働者の生活を守るために闘わず、戦時の産報(産業報国会)のようなもので大会も委員会も開きませんし、たまに開いても親方や幹部のつごうのよいことばかり話します。反対に尼崎自由労働組合は組合員の利益のためなら、全員が火の玉となって闘っています
と誇り高く宣言している。1953年、尼崎自由労組は全日本自由労働者組合(全日自労)兵庫県支部尼崎分会となって闘い継がれていく。

 “感動のワーキング・クラスの歌”の背景にはこうした日雇労働者,自由労働者,失対労働者の闘いがあったのだと改めて思い起こしたい。(M)

2013/01/17 志のジン/ジンの志

ジン(ZINE)がブームだという。ジンとは個人や小さなグループが作る雑誌のことというから,42年前に『朝日ジャーナル』が“ミニコミ'71 奔流する地下水”という特集を組む(1971年3月26日号)ほど一世を風靡したミニコミの時代の再来なのだろうか。

 おならジン『PU』を出している=3=3=3(プププ)の綿野かおりさんの紹介で,最近,『水のゆめ』を出している森脇ひとみさんと知りあえた。『水のゆめ』別冊(2012WINTER)がいい。通常号はA5判だがこの別冊はA6判16ページで,表紙に「フィーチャリング反骨精神(与太者、やくざ者、愚か者、ならず者たちの輝く時代がやってきたー! 政権交代どころじゃない! 明るく楽しくやさしい未来スペシャル☆)」とあるからこれが特集テーマだろう。特集の志と疾走感がハンパない。

 冒頭の宣言(?)では,「もっともっと最悪な事態になればいい 腐りかけてるところは腐りきってしまえばいい この最悪な情況,わくわくしちゃうな☆ もうあとちょっとでどん底よ。いよいよ、いよいよ終わりなのよ この世界 そうしてやっといよいよ私たちの世界に変わる 今 いちばんきっと面白いときよ!」とあり,1ページ1テーマでぐんぐんひきこまれる。なかでも「未解決もんだい 首謀者はいるのか」は,これまで日本の左翼が正面から答えていなかった「個人が悪い」のか「社会が悪い」のかという“もんだい”に取り組もうとしていて注目した。が,「つづく」となっており,いまだに「未解決もんだい」だ。(M)

2013/01/11 われわれは「やとわれ組」なのか?

絶対的貧困化がいっそうすすんでいる。これは,「豊かな社会のなかでの格差の拡大!」と言いつのる「相対的貧困化はあっても絶対的貧困化はない」論との貧困化をめぐる二つの見方の闘争であり,現実は正確にとらえなければならない。

 ついこのあいだまでは「マルクス主義なんてもう古い」「大きな物語は終わった」などとしたり顔で書き散らしていた連中はひっこみ,マルクス再評価の時代がやってきたかにみえる。しかし,気をつけなければならない。戦後民主主義をかかげた保革共同支配は滅亡前の悪あがきをしており,マルクスを持ち上げると見せかけ,実はマルクスの革命的学説の内容をゆがめ,卑俗化しようとしているのだということに。『共産党宣言』のさまざまな邦訳の企てもその一つである。

 北口裕康訳『高校生でも読める「共産党宣言」』2012年,PARCO出版(株式会社パルコ エンタテインメント事業部)――以下A。比較するのはマルクス・レーニン主義研究所訳『共産党宣言』1952年,国民文庫(大月書店)――以下B。今村仁司・鈴木直(他)訳「コミュニスト宣言」『マルクス・コレクションII』2008年,筑摩書房――以下C。第二章で比べてみよう。

 私たちが,まず達成しないといけない目標は,「やとわれ組」の他のグループとまったく同じものです。まず,今,あちこちに散らばっている「やとわれ組」を,一つのグループにまとめること,次に力をあわせて「金持ち組」の支配をうち破ること。そして,世の中を思いどおりに支配する力を手に入れることです。――A
 共産主義者の当面の目的は,他のあらゆるプロレタリア政党の目的と同一である。すなわち,プロレタリアートの階級への形成,ブルジョアジー支配の転覆,プロレタリアートによる政治権力の獲得である。――B
 コミュニストの当面の目標は,他のすべてのプロレタリア政党の目標と同じである。すなわち,プロレタリアートを階級へと成長させること,ブルジョアジー支配の打破,プロレタリアートによる政治権力の奪取。――C

あきらかに,AのみがBおよびCと対立している。階級解体された,あるがままの個々のプロレタリアをプロレタリアートへと階級形成するという立場,ブルジョアジーの支配が国家権力をもってなされているがゆえにその支配の打破は国家権力の転覆と奪取でなければならないという視点――これらはB,CにはあるがAにはまったく欠落している。卑俗化以外のなにものでもない。
 そもそもブルジョアを「金持ち組」,プロレタリアを「やとわれ組」と訳す動機,目的はいったいどこにあるのだろうか。そしてまた,それはいったいだれの利益を反映しているのだろうか。ニートやフリーターとよばれるわれわれ下層貧民の本質的な名乗りは「やとわれ組」なのだろうか。(M)

2013/01/07 シンポジウム「レンズが撮らえた文革 1966年から21世紀中国への視座」ご案内

【集会のお知らせ
ソランジュ・ブラン『北京1966 フランス女性が見た文化大革命』(勉誠出版)出版記念シンポジウム
レンズが撮らえた文革 1966年から21世紀中国への視座」

*「21世紀中国」をどのように認識し、把握して、この大国、あるいは隣人たちとどうつきあうのか。これを考える道筋を得たい。


発言:
下澤和義(専修大学教授、本書編訳者、フランス文学・表象文化論)
土屋昌明(専修大学教授、本書編訳者、中国文学・思想史)
矢吹 晋(横浜市立大学名誉教授、中国研究)
討議司会:
前田年昭(編集者、神戸芸術工科大学教員=組版)

日時:2013年1月27日(日)午後2時30分~6時
場所:専修大学・神田校舎 7号館731教室 地下鉄神保町駅・九段下駅下車3分
主催:専修大学下澤・土屋研究室
問い合わせ:土屋昌明 tuwuchangming@yahoo.co.jp
2013.01.06】

2013/01/04 初夢と消費者

「夢は昼みるものだ」とは,かつての「永山則夫の夜間中学」運動から学んだ言葉である。夜見る夢は覚めて消えてしまうから,革命という夢(可能性)を現実性に転化するための革命運動を志すなら夢は昼見るものだという。道理である。しかし生理現象ゆえ,年に何回かは私も夢を見てしまう。この正月2日の夢では四方八方から石を投げつけられた(ここ数年,この夢が繰り返される)。わが身はなぜかブルーシートの中だったから相手の姿は見えない。はるか高空の無人機からの卑劣な爆撃にさらされ続けているアフガニスタンの人々同様,非対称の戦争状態。わが初夢は,特大の石が後頭部にあたったところで目が覚め,事なきを得た。

 めったに行かない選挙だが,昨年暮れに行ったのである。最初に見当をつけて行った投票所はまちがっていたらしく,選挙管理委員会の腕章を巻いた人から「お客さんお客さん」と指摘され気がついた。行き直した本来の投票所でも「お客さん」と呼ばれたから,個人的にではなくしくみとして「有権者はお客さん」になったらしい。歴史をつくるものとしての主権者はいつから「お客さん」になったのか。
 痛いニュース(ノ∀`) 1月2日付に「日本人のモンスター消費者っぷりがやばいと話題に」という記事があった。「飲食店で店員の些細なミスも許さず罵倒をしたり、電車が数分遅れたことにクレームを入れたり、24時間時刻指定配達をしろと言ってみたりと、日本の消費者は、はっきり言ってモンスターである」

 帝国主義本国の都市の消費者に依拠して「消費者の党」とか「消費生活協同組合」などといって社会運動をやろうという人々は,この現実を見つめ直すべきではないか。「労働者は消費者」などと人民を「お客さん」扱いしようとする諸政党や柄谷行人やその他の人々のことである。
 夢野久作は関東大震災の翌々年(!)の1925年,予見的に指摘していた(「東京人の堕落時代」)。

江戸の昔、或る有名な侠客は、ボロボロの百姓おやじに訪問を受けた時、わざわざ土間に降りて、低頭平身して挨拶をした。
「私どもは娑婆のアブク銭を掴んで喰う罰当りで御座います。お百姓様のような、正真正銘の仕事をするお方の上手に座るような身分のものでは御座いません」
 というのがその趣旨であった。〔中略〕
 吾々日本人は、この博徒の一親分の言葉に依って自覚せねばならぬ。同時に、地方の自然を相手に稼ぐ労働者諸君は、この言葉に依って覚醒せねばならぬ。
 吾々地方人は東京に何物をも与えてならぬ。東京が如何に巧言令色を以て吾々を招くとも、これに眩惑されてはならぬ。東京の中で最も美しく、大きく、貴(たっと)く見えるものでも、地方人の額の汗の一粒に及ばぬ事を知らねばならぬ。
 現在擡頭(たいとう)しつつある無産階級の運動でもそうである。それが都会人、殊に東京人の指導下にある間は、将来、結局無価値なものとなりはしまいかと憂慮される余地が十分にある。
 同時に、それ等の無産階級の人々が目標とし、規準とする生活が、東京人の生活と同様の意味の文化生活を夢見るものであったならば、それ等の人々の覚醒と運動とは、将来に於て無価値のものとなり終るべき可能性を、充分に持っていはしまいかと疑い得られるのである。〔強調は引用者〕

帝国主義本国の都市生活スタイルの反省と変革を! (M)

2013/01/01 新年のごあいさつ

二〇一二年暮の選挙,左派の夥多(あまた)の論調は実に暗澹落胆(いきせうちん)してゐた。右手(めて)では旧保守本流が,左手(ゆんで)では社共が壊滅(くわいめつ)した。即ち選挙結果の本質は,戦後の保革共同支配(ほかくきようどうしはい)旗印(あいことば)たる戦後民主主義の破綻,死滅にある。実に目出度いことではないか。左右の戦後民主主義勢力は,かつての反米戦士たちを「軍国主義に騙された犬死に」と嘲り,反米戦争を「過ちは繰返しませぬから」と隠蔽した。歴史を隠蔽する者はその歴史を拵へた犯人である。昭和天皇(せんぱんヒロヒト)以下,戦後日本人は沖縄を売つて保身転向した,その無花果(いちじく)の葉が戦後民主主義だつたのである。破綻は何と目出度いこと(あゝ,えーぢやないかえーぢやないか)だらうか。東京電力の福島核電(げんぱつ)事故に際し露呈した「騙された」との自省無き奴隷根性(ひがいしやいしき)と同根である。選挙総括の悲観は,日本の反権力運動,左翼運動が未だ中産階級的(せんりやうしゆぎてき)な思想に囚われていることに起因する。敵の力を過大評価して,人民の闘いの力に信を置かぬこと,怯えや恐れを(あふ)つて人を組織しようとすること,独り善がりの言葉で人を煙に巻くこと,此れ全てその罪状であり此の(スタイル)徹底的に(とことん)変えねばならない。もうこれ以上無力な抵抗を繰り返すことは害悪である。大化改元の一年前の常世(とこよ)の神の群舞から維新前年のえーぢやないかに到る革命的楽観主義を,常闇(とこやみ)の今,復権しよう! →[JPEG](M)


繙蟠録 II  2012年< >2月
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