繙蟠録 I & II
 

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繙 蟠 録 II 2013年2月

2013/02/28 『アナキズム』第16号発売中!

アナキズム誌編集委員会『アナキズム』第16号が出ました。“都市―国家に対抗する生成の場”という特集です(A5判,184ページ,税込み定価1200円)。私は,「帝国主義本国の都市生活スタイルの反省と変革を!」と題して,日常生活のなかに表れる都市消費者のスタイルとその変革について,夢野久作の予見的指摘や毛沢東の整風運動から学びつつ,最近,考えていることを書きました。闘いの戦端を開いた北島由紀子さんの「「原発作業員さぶちゃんの話をきく会」(第二回) いい年して全然ダメな人たち!!」を資料として併載しています。ぜひ読んでください。

【取り扱い書店】模索舎(新宿)/Irregular Rhythm Asylum(新宿)/りぶる・りべろ(神保町)/birthdeath(渋谷)/タコシェ(中野)/Acclaim Collective(三軒茶屋)三月書房(京都市)/NOT PILLAR BOOKS(亀岡市)のほか,地方小出版流通センター経由各書店で。また,通販(送料無料)はこちらへ。

 集会告知などで「レイシストお断り」とすれば,主催者も参加者も排外主義的な考え方から無縁であるかと思い込む近年の傾向(!)はまことに哀しい。日本社会で支配的な考え方は支配階級であるブルジョアジーの考え方であり,生まれながらの反レイシストなどいません。一人ひとりが闘いを通じて排外主義思想を自らのなかから克服していく以外にないのです。正しさは誤りを排除したところから生まれるのではなく,誤りを直視するところから生まれると思います。失敗は成功の母というではありませんか。「両軍の力が対等ならば,哀しむ者が勝つ」と老子が言ったそうですが,「哀」つまり,自省し悲しむ気持ちを取り戻さなければ,革命はまだまだ遠いし,階級解体されてしまったプロレタリアートに未来はやってこないのではないでしょうか。(M)

2013/02/13 少年叛乱はどこから?

東京で出会ったその人はしきりに「○○(地方都市の名)はよどんでいて何も生まれない」と力説しつづけた。私は,そんな考えは古いんだしカッコ悪いよと思ったが,紹介してくれた知人の手前,上昇志向の強いその人の話を黙ってきいていたのだった。
 どんな地でもそこで楽しいことをつくり出そうと頑張ってる人びとがいる。そこから離れた場所から悪く言うのはとてもカッコ悪いと思う。まして,自分が「何か」をやれない理由や責任をその○○のせいにするなどという姿勢でいったい何ができるというのだろうか。いまという時!に,その場所!でできないことは,いつまでたってもできないのではないか。

 都築響一『ヒップホップの詩人たち ROADSIDE POETS』新潮社,2013年が面白い。田我流,B.I.G.JOE,RUMIら15人のラッパーたちの物語であり,「まえがき」は彼らの熱と光が都築の頭脳をとおして書かせた宣言でもあるように私には思える。

 いまいちばん意欲的な現代美術の展覧会は,東京ではなく地方の美術館で開かれている。
 いちばん新しいファッションは,田舎の不良が生み出している。
 いちばん刺激的な音楽もまた,東京ではなく地方からやってくる。〔中略〕なにが変わっただろうか。僕に見えるのは「東京の権威」が音を立てて崩れていくプロセスだ。〔中略〕
 なかでも音楽を取り巻く状況の変化は劇的だ。ほんのちょっと前までは,自分で録音したデモテープをレコード会社に送り,それが拾われたらデビューできて,運がよければCDが全国のレコード屋で売られ,テレビに出演できるようになる……という以外に,自分の音楽を全国に届ける手段はまずありえなかった。
 いまはどうだろう。自分で録音したデータを,自分でCDにプレスするか,ネットに乗せて,ダウンロード販売すればいい。webサイトやFacebookなど,さまざまなチャンネルでファンと直接コンタクトしあい,セールスを拡げていけばいい。テレビに出られなくてもYouTubeがあるし,自分でストリーミング放送してしまえばいいだけのこと。そこえでは既存のレコード会社も,芸能プロダクションも,CDの流通網すら不要になる。〔中略〕
 地方出身,ではなく地方に生まれ育ち,そこに住みつづけながら活動しているアーティストたち。〔中略〕
東京に相手にされないのではなく,東京を相手にしないこと。東京にしか目を向けない既存のメディアには,それが見えていない。見えていないから,遅れる。遅れるから,リアリティを失う。

 社会運動や政治運動でも同様だ。目を上に東京にしか向けないものには少年叛乱は見えない。黒船という外的条件がほぼ同じなのになぜ日本で明治維新が先行したのか。これは比較史的に興味深い課題だ。その明治維新も江戸から起こったのではなかった。日本の社会変革はまちがいなく「国会前」からではなく起こる。中国の社会変革はまちがいなく「党外」から起こる。この感覚の差は根底的な対立であり,労働貴族と下層フリーターとの階級意識,階級感情の違いである。(M)

【15人の楽曲紹介サイト】

2013/02/10 再論・少年叛乱

寺山修司は52年前,ラジオドラマ「大人狩り」を書いた(その後テレビ映画用に加筆されたものは『寺山修司著作集 第2巻』クインテッセンス出版,2009年収録)。

大変な事になったものです。本日午後七時を期して,東京全都の子供たちが〈大人狩り〉に立ちあがったのです。
彼等の言い分は「もう我慢がならない」ということでありまして,「子供解放」の名の下にありとあらゆる大人の討伐を始めたのです。彼等は新宿のコマ劇場を占領し,そこに臨時司令部を置くや,大人の行政や教育への不信を叫び,手はじめに都内学校のPTA役員や教師たちの一斉逮捕にふみ切り,抵抗する大人たちの射殺も辞さないという怖るべき統一行動を開始したのです。
ええ(とテロップ用の写真を示す――カメラズームイン)子供たちの残忍さは目を覆うばかりでありまして(しかしテロップは南ヴェトナムの内戦のものだった)――写真を間違えました。(汗を拭いて写真を取替えて)今のところ首謀者は不明でありますが,各地区の指導者は麦藁帽子を被っている模様であります。
全東京の皆さん。麦藁帽子を被った子供に御用心!

1960年2月にRKB毎日放送から放送されると福岡では騒動が起こった。日教組から分かれた県教職員連盟が抗議文を出し,市議会では教育委員長がつるし上げられ,問題は福岡県議会や文部省にまで波及した。当時の新聞に載った市PTAのお偉方の談話を,寺山が「ノート」として以下のとおり記している。

「革命ということばを児童が理解しなくとも,子供が銃で大人を殺したりする残虐性,非道徳性,大人を殺したら人間が繁殖しなくなるなど,性的びんらんを教えるだけだ」

 いや,面白い。騒動の顛末はともかく,60年代末の全共闘運動という少年叛乱が鎮圧されると――暴走族による“中興”はあったが――暴力はやがて低年齢化し内向化していった。いまでは小学生が自殺する時代である。少年たちは今こそ,生きるためにこそ権力と闘う少年叛乱の伝統を復興させ,大人たちをブルブルと戦慄せしめるときである。 (M)

2013/02/03 少年叛乱の歴史的伝統

全共闘運動も文化大革命も少年の叛乱だった。さらに明治維新もまた少年の叛乱だった。恐るべき子供たちの伝統はどこにいってしまったのか。氏家幹人は労作『江戸の少年』平凡社ライブラリー,1994年のなかで,遊びと叛乱(子供戦争,革命伝説)という章をもうけて江戸から明治にかけての「悪るい遊び」の伝統をたんねんに掘り起こしている。とりわけ天保騒動の翌年天保8年(1837年)の肥後国八代群鏡村(現・熊本県八代市)の少年たちは鮮やかである。13歳の吉蔵を大将に,12歳の算術名人・六左衛門,14歳の弁舌者・宗太郎ら8歳の子供まで含めた30人ほどの少年たちが徒党を組んだと『浮世の有様』は伝える〔国史叢書 [234]肥後小人徒黨〕。

 少年たちは,軍資金と兵糧を調達するためだといって米を運ぶ馬士を鉄砲で打ち殺したうえ,奪った馬や米俵,武器を明神社に運び,大篝(かがり)を焚いて気勢をあげた。事が露顕して藩の役人の尋問をうけた少年たちは,「近々戦さが始まるから,その用意をしていただけさ…」と何に気なく答えた,というのだ。〔前掲書124ページ〕

 資本主義による階級解体によって,徒党を組んで石や瓦を投げ合う少年たち,竹馬で遊ぶ15,6の逞しい娘たちは消えたのか。去勢されたばかりか野宿者襲撃など弱い者イジメに走る情けなさを恥じよ。「子供らしさ」の強制などは拒否すればよい。教育者や優等生が振り回す「協調性」という台詞は,この社会と学校による「調教」をおおいかくすイチジクの葉っぱだ。目先の打算などに惑わされぬ少年たちは今こそ,権力と闘う叛乱の伝統を甦らせ,訳知り顔で“空気を読め”などと言ってあきらめを強いる大人たちをブルブルと戦慄せしめよ! (M)


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