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繙 蟠 録 2009年11月後半

2009/11/29 コトバの歯、何処?(未生響)

「アトリエ空中線10周年記念展 インディペンデント・プレスの展開」が渋谷・ポスターハリスギャラリーで開催中である(12月6日まで)。昨28日に開催された第2回ギャラリートーク「瀧口修造の本と書肆山田の最初の10年」に行った。とても贅沢な会だった。ゲストとして招かれた創業者・山田耕一さんの静かなしかし熱い語りに魅了された。会場には書肆山田を引き継いだ現代表の鈴木一民さんが来られ発言もされた。おふたりの再会は何と30年ぶりという。再会にはそれだけの時間が必要だったということだろうか。いろんなことがあったに違いないと,会社を二つも潰してきた私は想像した。

 同展の記念冊子『インディペンデント・プレスの展開』(空中線書局,2009年11月13日発行,限定1000部)は必読,必見である。

 「1995 右手を抑えつけて広告の仕事をつづけていた天罰が下り,神経を壊す。仕事を辞め,1年余り静養。太秦の学生下宿の一室に移り,京料理屋でお運びをしながら立命館大学に通う」(年譜,記念冊子所収)という歴史を持つ間奈美子さん主宰のアトリエ空中線は,郡淳一郎さんの指摘のとおり「金本位制ならぬ本本位制の実現を目し」「資本主義経済の攪乱を軽率に企てる秘密結社」(「美しい書物の時の娘」,記念冊子所収)なのかもしれない。ひと連なりの言葉と文字の本質は,その存在,すなわち組版と造本であり,フォーマット・デザインだからである。言葉を粗雑に使うことは私たち自身の生き方を粗雑に扱うことであり,自己変革と社会変革に真摯に向き合おうとするなら,出版=左翼を再生復興する必要がある。(M)

2009/11/26 “曖昧な空疎”に幻惑されるな

私の愛読ブログのうち二つが,旗幟を鮮明にしないヌエ的なものを批判している。対立を隠蔽したり,自らの立場を鮮明にしないものには気をつけよう。

 目取真俊さんの「海鳴りの島から」は,11月22日付「佐藤優「ウチナー評論」97回を読む」で,佐藤優氏の「米国の予算編成に悪影響を与えないというメッセージを日本政府が米議会に対してきちんと出せば道は開ける。鳩山,オバマ間の信頼関係を,われわれも信頼しようではないか。そして,外務官僚,防衛官僚の包囲網から,鳩山総理を救い出し,真に沖縄のため,日本全体のためになる決断を求めようではないか」などという評論を批判している。

 目取真さんは次のように指摘している。

 佐藤氏はこの間,同連載評論で繰り返し普天間基地の移設問題について書いている。しかし,佐藤氏自身は普天間基地を辺野古沿岸部に「移設」するという現行案に対して,どのように考えているのか。賛成なのか,反対なのか。「県内移設」「県外移設」についての判断はどうか。日本政府に〈グアム移転に関連する予算を組〉むことを主張するということは,辺野古新基地建設を推進する立場にしか見えないが,そうであるのか否か,まずは自らの立場をはっきりさせるべきだろう。
 佐藤氏は〈真に沖縄のため,日本全体のためになる決断を求めようではないか〉とも書いている。ここでも決断の内容については具体的に示さず,曖昧にされている。いったい佐藤氏が考える〈真に沖縄のため,日本全体のためになる決断〉とはどのようなものなのか。辺野古新基地建設を選択する決断か。あるいはその「微修正」案か。「嘉手納統合」案か。「県外移設」案か。それとも「移設なき撤去」案か。鳩山氏にどのような決断をしてほしいのか,佐藤氏は自らの考えは示さず,抽象的な文句を並べているだけだ。
 そこには,自らを縛るような言質は取らせず,状況の変化に応じて柔軟に対応できるようしたいという,いかにも元外務官僚らしい佐藤氏の計算が働いているのかもしれない。しかし,東京の論壇でならそれで通用しても,沖縄では通用しない。米軍基地問題は沖縄では切迫した現実として目の前にある。〈真に沖縄のため,日本全体のためになる決断を求めよう〉などという歯の浮くような美辞麗句は,机上の議論にしか見えない。自民党沖縄県連でさえ「県外移設」に転換するか否かで揉めているのが,今の沖縄の状況なのだ。

 私は【一見〈官僚包囲〉を批判しているように見えるが実際には,佐藤氏は日米同盟の不安定化によって日本の国家体制が弱まるのを回避したいという国家主義者としての思惑から,官僚たちの後押しをしているように私には見える】という目取真さんの批判に心から同意し,強く支持する。

 kscykscyさんの「日朝国交「正常化」と植民地支配責任」は,11月24日付「『朝日』社説「外国人選挙権―まちづくりを共に担う」の問題」で,『朝日新聞』社説を批判している。社説は,一方で永住外国人に対する地方参政権付与を擁護するといういっけん「リベラル・左派」的なポーズをとる。他方で「朝鮮籍の人が必ずしも北朝鮮を支持しているわけではない。良き隣人として共に地域社会に参画する制度を作るときに,別の政治的理由で一部の人を除外していいか。議論が必要だろう」などと“北朝鮮バッシング”におもねりながら,それを「議論が必要だろう」などとごまかしているのである。

 kscykscyさんは次のように指摘している。

社説は,民主党の「反北朝鮮感情に配慮し」た「外国人登録上の「朝鮮」籍者排除」に対し,「朝鮮籍の人が必ずしも北朝鮮を支持しているわけではない」というかたちで留保しているのだが,そもそもこうした留保自体に問題がありはしまいか。単純な話ではあるが,それでは朝鮮籍者が「北朝鮮を支持している」場合,参政権から排除することは肯定されるのか。参政権の有無は,当該外国人の思想・心情によって左右されるものなのか。それは果して参政「権」といえるのか。
 こうした問題を踏まえれば,この社説は結局のところ,民主党が「反北朝鮮感情に配慮し」て外国人の参政権をいじくることを批判しているのではなく,「朝鮮籍者=北朝鮮支持者」ではないから,それを排除することは「反北朝鮮感情に配慮し」たことにはなりませんよ,と言っているに過ぎないことがわかる。もちろん,前述のようにこの社説はそもそも朝鮮籍排除に反対なのかどうかについてさえ態度を留保しているので,そこにすら踏み込んでいるか怪しい。

 私はkscykscyさんの批判に同感である。【あらかじめ「北朝鮮」への「支持」云々を表明しなければ表明しなければ与えられない地方参政権など,権利の名に値するのだろうか】。そのとおり,『朝日』に気をつけろ!(M)

2009/11/21 日常的現実の肯定と否定の二重構造を追及すること

田川建三『批判的主体の形成 増補改訂版』(2009,洋泉社MC新書)は,旧版(1971,三一書房)の増補改訂版。とくに「授業拒否の前後」は「大学闘争と私」という副題のとおり69年授業拒否闘争の当時の総括であるがとても新鮮であり,註釈として今回加筆された箇所も知的刺激に満ちている。

 田川さんは「勝利した闘争が正しく,挫折した闘争が間違っているのではない。数多くの後者が唯一の前者を準備する。そして,「挫折した」と言っても,その中で実は飛躍的に何ごとかがなされているのである。飛躍が顕在化しないだけだ」として,次のように書いている。

 闘争がある極限まで来た時に,少数者が全的拒否をつきつけながら,つっ走る,ということはむしろ必要である。闘争が,本質において現体制に対する否定である限りは。つっ走ってはつぶされる,という行為が,あたかも無限の徒労のように反復されることによって,極限の位置が少しずつ前に動いていく,ということなのだ。ただ,つっ走った時に,瞬間的に切り落としておいたものを,また包摂しなおしていく必要がある。日常的現実を否定的かつ肯定的に,もしくは,肯定的かつ否定的に,かかえ続ける,という課題である。
 以上のような意味で,全共闘運動は簡単に克服できるものではない。むしろそれは永続する課題となって我々の元に残っている。日常的現実を肯定的かつ否定的にとらえる,というのは,肯定的部分と否定的部分をうまく区別する,ということではなく,すべての部分が同時に肯定的かつ否定的なものとして,二重性において存在している,ということなのだ。だから,否定は根源的否定たらざるをえないし,しかも,日常的現実は常に肯定的に自己の存在をかかえこみ,自己の存在はそこからしか生命を獲得しえないのである。全共闘運動が労働運動にはねかえって影響を与えうるとすれば,日常的現実のこの肯定,否定の二重構造を持続的に追及する,ということを,再度,労働運動の場に意識的に持ちこみ返す,ということであろう。

 逮捕や起訴を「ひきだした」から勝利,だとか,集会やデモをやったから勝利,だとか,形式的で表層的な勝敗観を脱皮できないままの幼稚な旧新左翼の人たちに決定的に欠けていたのは,この観点ではなかったか。“最後の勝利”に至るまでは「勝利」などなく,また本質的には敗北もないのである。抵抗の継続あるのみ。(M)


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