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繙 蟠 録 2009年10月後半

2009/10/26 今週末から野戦之月海筆子『棄民サルプリ』公演
〔以下,転載紹介〕
「野戦之月海筆子(ヤセンノツキハイビィーツ)」2009年東京公演
〈タイトル〉
『--ヤポニア歌仔戯(オペレッタ)--棄民サルプリ』
   キタへかえる船,ヒガシにむかう船
   ---刻は90度,処は坩堝。
   「剥き出しの生」の鋳物が多数,鋳型に棲む「悶え」と交渉す---

 作/演出 桜井大造
〈日時〉
2009年10月31日(土),11月1日(日)~3日(火・祝),6日(金)~8日(日)毎晩 18:00受付開始 19:00開演

〈場所〉
井の頭公園西園 特設テント ――井の頭公園野外劇フェスタ2009
■吉祥寺駅南口→徒歩約20分
▼三鷹駅南口→玉川上水沿いを徒歩約20分
■三鷹駅南口→コミュニティバスで約5分「三鷹の森ジブリ美術館」バス停下車 10分間隔で運行
●吉祥寺駅公園口→小田急バス約10分 2~8番のりば「明星学園入口」バス停下車

〈入場料金〉
料金:前売り・予約/3000円 当日/3200円 中高生/1500円 小学生以下/無料 桟敷自由席(受付順入場)

〈チケット取り扱い〉
新宿模索舎 新宿区新宿2-4-9 電話 03-3352-3557

〈予約・問い合わせ〉
携帯 080-3736-9966  FAX 042-575-6643
E-mail yasennotsuki@softbank.ne.jp
URL http://www.yasennotsuki.com/

〈演員〉
渡辺薫,リュウセイオー龍,森美音子,ばらちづこ,つくしのりこ,崔真碩,武内理恵,志衣めぐみ,桜井大造,阿花女,太田なおり,瓜啓史,伊井嗣晴,阿久津陽子

〈スタッフ〉
■照明 2PAC,松尾容子 ■音効 新井輝久 ■舞台美術 長友裕子,中山幸雄,山本泰子,小林純子 ■舞台監督 村重勇史 ■舞台 永田修平,田口清隆 ■設計 宮本泰成 ■衣裳 裸の鋳型 ■通信 濱村篤,水野慶子 ■翻訳 胡冬竹 ■制作 野戦之月制作部,押切珠喜 ■協働単位 台湾海筆子,北京テント小組 ■印刷 制作室クラーロ ■協力 独火星,「山谷」制作上映委員会,竹内好研究会,国立木乃久兵衛,趙寿玉チュムパンの会,台湾辛苦之王出版社 ■音楽 野戦の月楽団,原田依幸,張理香


 〈野戦の月〉が台北淡水河川原でテント公演「エクソダス」を行ってからちょうど10年が経つ。毎日昼下がりに決まって襲来する暴風とスコールで泥濘と化した土地に足をとられての舞台であった。
 公演終了直後,一人の台湾人老夫による「大日本帝国万歳!」という怒号とも賛辞ともつかぬ表現は,テントにいた全員に一瞬の判断停止状態を強いたが,すぐに腹を抱える笑いの受粉に変わった。終幕直後の台湾人老夫の一発によって,「エクソダス」という芝居はテントの場を構成する全員の腑に落ちたのだった。日本の貧しいテント芝居と台湾とを媒介したのである。
 かの老夫の乱調は,実はこの地域(東アジアの沿岸地域)の階調を示していたのではないか。近代史の波濤と波食,その乱調を表現し返すことで感受しあえるユーモアがあるとすれば,この海域はある種の階調のうちにあるのである。もしそうなら,表現における協働,共同は可能である。
 その後〈野戦の月〉は,台湾人の仲間の参加を得て〈野戦之月海筆子〉となった。
 今年の4月と8月,台湾の海筆子は集団内集団〈流民寨〉を結成してテント公演「無路可退」を行った。日帝敗北=復興から白色恐怖時代の乱調期に,階調をもって行動した両岸人民をめぐる芝居である。北の台北から南の高雄への移動テントで,日本の野戦メンバーが裏方で参加している。
 また,今年の8月,日本の野戦メンバーもまた〈蒼天空〉という集団内集団を作り「八月――蒼穹のウルリム」を公演した。沖縄と朝鮮と日本の女たちの言霊を谺(こだま)が媒介していく詩劇である。

「棄民サルプリ」はこれらの行動・表現と連動して構想された。付け加えれば,来年に中国でのテント公演を準備している〈北京テント小組〉の動きとも深く関わっている。
 棄民――原義はともかくも,現在的には「50年前以上にもっと,立体的に不必要とされている者」――つまり私,という一人称単数は,海の壁をよじのぼって,わたしたちという三人称多数に変じることができるか。あるいは,サルプリ(厄解き)を舞いながら,日本という川の水系に黄海,琉球弧の海を招きいれ,この土地と自身に取り憑いた「乱調」を哄笑高く洗い流せるか。
 転生した阿Q,ヘタな魚たちが寄り合って,棄民の物語が始まる。
2009/10/24 「民族」や「暴力」を,抑圧民族か被抑圧民族かの区別なしに論じることはできない

『ハンギョレ新聞』10/22付が,この25,26日に中国の大連で開かれる‘安重根義挙100周年’共同学術大会(韓国学中央研究院現代韓国研究所,朝鮮社会科学者協会,大連大韓国学研究院など共催)について報じている(邦訳は「南・北・中 共に‘平和主義者 安重根’を呼び出す」ハンギョレ・サランバン10/23付)。

 記事によると,「韓国では国権侵奪の元凶を刺殺した民族の英雄だったが,日本で彼は‘現代政治の父’を殺害した朝鮮の偏狭な政治刺客」という評価は「一国的観点に捉われた民族主義歴史認識の当然の帰結」だとして,‘平和主義者 安重根’として再評価する動きが出ているという。

 暴力やテロ,さらにその背景にある民族,民族主義について,帝国主義(抑圧民族)の側からと植民地(被抑圧民族)の側からとで評価が異なるのは必然である。それを「一国的観点に捉われた民族主義歴史認識」と断ずるのは歴史の隠蔽ではないか。

 安重根は,日本帝国主義の侵略に対して単身武装決起した被抑圧民族の烈士である。反日日本人としての私の見方はここにある。記事においてはキム・サムウン前独立記念館長の「日本の一角で(安重根について)暗殺者・テロリスト云々するのは暴力に対する認識不足に起因する。伊藤が韓国と大陸を侵略し‘東洋平和のために’という名分を挙げたが,これは‘束縛する暴力’であり,安重根が伊藤を処断したのは‘自由のための暴力’だった」との発言を支持する。

 NHK『篤姫』は,坂本龍馬らによる平和移行路線(大政奉還)を前面に出し,明治維新革命の本質としての西郷隆盛らによる武力革命路線を隠蔽する,歴史改竄の試みであったが,今回の安重根に対する平和主義者としての再評価も歴史改竄の企てにほかならない。

 真の〈和解〉は,侵略者,抑圧者の側による認罪と翻身が前提にならなければ虚偽である。在特会運動を糾弾する闘いは,フリーターとして水商売や風俗産業で生きる在日外国人,場合によっては在日外国人に同情的な「良識ある日本人」からさえも切り捨てられかねず,「反日的」と名指されてしまうような「外国人」たちに対して,日本人として「私たちはあなたたちを決して排斥しません」と意思表明する意味をもつのである。(M)


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