繙蟠録 I & II
 

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繙 蟠 録 II 2020年1-2月

2020/02/17 続・全国学力調査を抽出式に!

久冨善之さんも書いておられますが、私も、土佐町の「町議会決議」と、鈴木大裕さんたちの「署名運動」の方針が、現段階では最良と考える。

機械の時代が、それまでの時代に必要でなかった公教育を必要とした。
それまでは、人間の生産的生活と人生は重なりあっていた。農村での農事のあれこれと共同体的生活は一体であり、都市での親方のもとでの徒弟仕事もまた人生と一体であった。工場の労働には、人生との一致はない。そこから、失われた人生の指南を与える役割、および工場の機械のリズムのなかで働くための事前の訓練の必要から公教育という制度が必要になった。学校は、社会が必要とする児童の訓育のための、専門家(教師)の組織として生まれた。
だがしかし、現状はどうか。教師は、単位認定権、成績評価権を独占し、児童・生徒を選別、格差付けする権力機構の一員となっている。人びとは、専門家に依存し、競争のなかに投げ込まれていく。能力主義は学歴主義の反対物ではなく、学歴主義もまた能力主義のひとつの表れなのである。これとの闘いは、久冨善之さんが言われるとおり、学力テストの全国・全数実施をストップさせること、違法な「国家の過剰介入」「考えないくらいに、悪い・身勝手な・子どもためにならないような<関与>」を、押しとどめて、そうならないようにすることからである。

「廃止!」ではなくあえて「抽出式に!」、つまり《全国学力調査を抽出式に!》という要求は、有理有利有節(道理があって利益になって節度もある)に適っており、心ある人びとを一つに束ね得る要求だと私が思う所以である。 (M)

facebook公開グループ「全国学力調査を抽出式に!」

2020/02/15 全国学力調査を抽出式に!

2月15日付『東京新聞』21面に「市場原理導入は公教育崩壊招く(インタビュー)あの人に迫る 鈴木大裕 教育研究者、高知県土佐町議」という注目すべき記事が載った。

土佐町議会は昨年十二月議会で全員参加式の学テを抽出式に変更するよう求める意見書を可決した。目的は、公教育の市場化を止めること。公教育にビジネス理論を導入し、教育を数値化し、テストで子どもや教員を競わせれば教育はよくなるという考えは間違っている。米国では点数で学校が序列化され学校の「塾化」が進み、義務教育における格差が拡大した。民主主義の根幹となる「公」そして「教育」という概念そのものが崩壊を起こしている。日本でも同じことが起こりつつあるように思う。

そのとおり。戦後、かちえた民主主義の最良の部分たる「公」の領域(具体的には、学校、図書館、郵便など)に対して、資本と権力は市場原理を導入し、崩壊させてきた。とりわけ中曽根、小泉政権以降。誰でもがいつでも利用できる自由な空間はいまや息も絶え絶え、指定管理になった図書館では保存すべき図書資料は散逸し荒れ放題、駅はいまやシャッターがおりて追いだされ朝まで過ごせぬ始末である。これに対する闘いはいま、切実で焦眉である。

友達にも実情を話せないような極貧家庭の子どもたちがいる。だが、政府は自己責任論に甘んじるばかりで、大事な教育予算はどんどん民間企業へと流れている。大学入試の英語民間試験問題が浮上した際、国会答弁で実施団体の一つのベネッセ関連法人に文科省から天下りしていたことも明らかになった。しかし、萩生田光一文科相の「身の丈発言」が象徴するように政府は格差拡大を是正するどころか是認しているようにすら見える。教育が格差を再生産する社会的装置になって良いはずがない。

そのとおり、現在の教育は差別選別のためだけの、格差を再生産するためだけの、社会的装置である。改めなければならない。50年前の、私たち灘高校全学闘争委員会の問題提起が的を射たものだったことが確認できるだろう。遠山啓と勝山正躬との論争(『朝日新聞』1979年1-2月)も併せて参照されたい。

 全国学力調査を抽出式に! 全国学力テストを廃止せよ!
 いまこそ停課革命を!
 差別選別の全教育秩序に総叛乱を! (M)

[関連リンク・資料]
・鈴木大裕「アメリカ公教育の崩壊 : 日本への警告」全8回、人間と教育 (80-88), 2013-2015
・facebook公開グループ「全国学力調査を抽出式に!」
全国学力テストに反対する取り組み愛教労(愛知県教職員労働組合協議会)
・中嶋哲彦全国学力テストによる義務教育の国家統制 : 教育法的観点からの批判的検討教育学研究 75(2), 157-168, 2008
公教育を破壊する資本のための競争・選別・排除社会を拒否するかけはし 2007.5.21号

2020/02/12 高校全共闘半世紀を記念する

2月11日、東京・連合会館で「高校闘争半世紀シンポジウム 私たちは何を残したのか、未来への継承 高校生が世界を変える!」が開催された(主催・高校闘争から半世紀集会実行委員会)。私は実行委員のひとりとして参加した。

 →私が当日配布したビラ[pdf]

 第1部で、山本義隆さんは「福島(原発事故)のとき、東大に何ひとつ看板もなかった。悔しい、何を伝えてきたのか、自分が情けなかった」と語ったが、ここに全共闘精神の現在をみることができる。全共闘運動は「勝利した」のでもなく「失敗した」のでもなく、敗北したのである。この現状認識と悔しさを共有できないなら、そこにはすでに風化と変質しかない。ここに全共闘の総括の出発、土台がある。
 全共闘運動は、担い手の社会階層に規定されて、学生運動だった。とりわけ科学者、研究者の運動だった。自らの学問研究が何のため誰のためのものか、自らの位置、存在を問い詰め、生き方を変えようとした社会運動であった。したがって、日本共産党系やそれを批判した第一次反日共系のいう「大学の自治」なるスローガンは、教授の特権擁護だとして、批判対象になった。“当局vs自治会”はじめ戦後民主主義にいたるまで、保守と革新という二項対立は、その枠組み自体が、体制維持のための保革による共同支配の隠れ蓑だとして、批判対象になったのである。
 シンポジウムでは、自らの存在への/自らの存在からの問いかけが、いま成立するかどうか、という問いもあった。発問者には見えないのだろうか。現在の高校生たちの闘い(第3部)が事実として明らかにしているとおり、日常のさまざまな矛盾は、悔しいという感情を呼び起こす。感性的認識は階級的な理性的認識に到達し、階級的な感情に高められ、階級的理論を鍛えていく。半世紀前の全共闘の要求とは、科学者研究者としての要求であり、高校全共闘にとっては、自らの進路をめぐる闘いだった。したがって、総括とは、何より現在の生き方として示される。それ以外ではない(それが、すべての階級に通ずる普遍性をもつためには、普遍的な階級からの要求でなければならない)。
 抑圧のあるところに反抗があり、国家は独立を求め、民族は解放を求め、人民は革命を求める。モノを取る、奪う闘いは容易には勝利しない。しかし、被抑圧無産者は、逆に拒むことはできる。理不尽な、仲間をいがみあわせるような、そのようなおこぼれの受け取りを拒否することができる。第三世界からの収奪による超過利潤で生きるアメリカや中国、日本など帝国主義国の人びとは、そのおこぼれを拒否することによって、人民になれるのである。
 たとえば、科学者、研究者は現在、科研費の獲得に躍起になっている/躍起にならされている。しかし、科研費とは何か。歴史的な視座が必要である。科研費とは、歴史的に破綻し敗北した大日本帝国が皇道教育強化を背景に1939年に創設したものなのである。山本義隆さんが『近代日本一五〇年 科学技術総力戦体制の破綻』(岩波新書、2018年)で明らかにしているとおり、戦前と戦後には断絶はなく、総力戦体制は連続しているのである。 (M)

2020/02/08 作間信彦『仙台一高で闘った僕たちの軌跡 大衆運動の研究』は素晴らしい

過去を振り返る目的は現在を闘う糧を得るためである

本書は仙台一高闘争の総括の書である。発刊の動機は何か。著者は次のように記す。

 2011年、「3・11」に直面し、福島の核惨禍の張本人でありながら、被害者に対して加害責任を居直り続ける東電をはじめとする資本家階級とその利害を体現する帝国主義的政権を追及する大衆運動の甦りが必要と私は考えました。〔中略〕この「大衆運動研究」の目標は、加害者の責任を追及する大衆運動を粘り強く作り上げてゆく手がかりを「成功した高校生の大衆運動」から発見し、役立つような教訓を、明らかにすることです。〔1ページ、はじめに〕

 では、その「成功した高校生の大衆運動」としての仙台一高闘争とは何だったのか。
 仙台一高闘争とは、一九六九年の制服廃止闘争を突破口にし、五年にわたってのべ二、三千の生徒が参加した、選別教育批判とベトナム侵略戦争反対の闘いという。詳しい経緯は本書にまとめられているが、闘いの果実を著者は次のように記す。

「校則だから従え」という体制側の強制への疑問と抵抗感から出発し、自由の抑圧者の資本主義社会と学校当局に対して一人の人間として向き合い、当たり前の権利を守り実行するために、教育現場において「真剣勝負」を何度も挑んでいった〔中略〕校内に築かれた「監獄並みの束縛の鉄鎖」を自主的に集団で活動した大衆運動によって破壊し、自己解放したという醍醐味を味わった〔中略〕この様な体験を通して多くの生徒が主体性と度胸を兼ね備えた人間に生まれ変わり、社会に出ていった〔96―97頁、あとがき〕

 著者は、この闘いから得たものを総括しているが、私が、もっとも強く共感し、同意したのは次の三点である。
 第一に、真剣で徹底的な討議の持つ力である。著者は話し合い路線に対する闘いを振り返って「根源悪を曖昧にして馴れ合うのなら対話は存在しませんし、進歩のためには根本にある間違いや矛盾が何かを見定め、それを徹底的に明らかにすることが必要なのです」〔52ページ〕と記す。以降、連合赤軍のリンチ事件を引き合いにして、「違いについてこだわりすぎるから分裂や対立が起きる、論議はほどほどに」という主張が少なくない。しかし、闘う高校生たちは当時、徹底的に論議した。著者は、相互批判という弁証法の生命力について、次のように記す。

 若かった私たちの「輝かしい時」は、寄せ集めの偶然の出会いの中にではなく、信頼し合った友人達との創造の内にあったのです。〔中略〕新しいものを生み出す努力の過程のなかで、本音を聴いてくれて、深刻な心のうちまで話せ、支えてくれるような友と出会い、団結することによって、過去の自分や、自身の限界をも乗り越えていくことができた〔96ページ〕

 第二に、学友を信頼し、大衆を信頼するという立場に立つことである。著者は当時の自分たちの考えを振り返って次のように記す。

 私たちの考えは単純なものでした。要約すると『みんなは自分たちと同じ社会的存在だ。彼らも私たちを自分らと同じとみるだろう。だから私たちの主張を彼らは必ず分かってくれる。正しいことをわかりやすく伝えることで小さい変化が起こればいい』。そして『この小さな変化を大きな変化にしていく努力をするのだ』ということでした。〔61ページ〕
 人間には、一人ではできないことがあるからこそ、助け合うことが人を結びつけます。助け合いの協力を実現していくためには、「相手の意見をきちんと受けとめ、それを踏まえた上で自分の意見を言う」話合いが不可欠なのです。〔93ページ〕

 第三に、変革を成就させるためには組織が必要であり、それは少数の個々人から始められるということである。著者は「第三章 結論」で「一人でも少数でも行動し始める意義」を強調するとともに、学友大衆との関係を次のように記している。

 社会的活動の土台には、一高闘争の最前線に存在し続けた私たち積極的集団の「先走ることなく、立ち後れることなく」「流されることなく、流れを作り出す」「案内人」的役割を意識的に保持した姿勢があった〔82ページ〕
 それまでの自然成長的な環境に規定された独断的、「一匹オオカミ」的考えと行動という安易なありかたを意識的に克服し、仲間同士で相互に協力し合い作り合うという方法を体得していく道を選択した〔89ページ〕

 全共闘運動の敗退以降、組織ぎらいの気分が蔓延しているが、仙台一高闘争の歴史的な実践と経験は、闘いのためには組織が必要だというこを事実で裏づけている。
 いずれも闘ったからこそ得られた教訓である。 (M)

* 『仙台一高で闘った僕たちの軌跡』書籍代金500円送料180円合計680円、公式Webサイトはhttps://sakuma-ichikou.com/ ※連絡は左記サイトの問合せフォームから

【関連リンク】書庫:全共闘運動を再々総括する

2020/01/31 方法としての『帝国海軍反省会』

畏友・川嶋康裕さんは、「(全共闘運動の)総括は『帝国海軍反省会』のようにやればいい」という。私は賛成である。闘いが敗北し、失敗したなら、なぜ敗北し失敗したのか、振り返る必要がある。闘いが勝利だったというなら、果たして、得られた現実はほんとうに自らが望んだものだったのか、やはり繰り返し問い直す必要がある。それが戦争責任ならぬ戦後責任というものである。
 帝国海軍反省会とは何か。大日本帝国海軍軍令部、第二復員省OBが一般には公にせず内密に組織した旧海軍学習グループであり、1980年から91年まで11年間に131回開催され、400時間に及ぶ録音は、2009年8月に『NHKスペシャル 日本海軍400時間の証言』として放映され、『証言録 海軍反省会』全11巻(PHP研究所、2009年7月~2018年7月)として出版された。また、ネットでは、ダイジェストが「WEB歴史街道」に掲載されている。

 立場が違っても、人はパンのみにて生くるものに非ずであり、大切なものは社会的生命である。真剣に闘って、その闘いは果たして勝利したのか、敗北したのか。敗北ならば、反省すべきは何なのか。これを生涯かけて総括し、記録し、後に続く闘う人びとに伝えること。ここに、過去の運動を記念する唯一の意義があり、戦後責任がある。
 闘いの仲間を人間として、仲間として捉えることができず、ただ選挙の時の一票としか捉えられない共産党を、全共闘は批判したはずではなかったのか。集会やデモの動員の一人としか捉え得ず、目先の人数集めに追われるなら、同罪である。「運動がすべて」というベルンシュタイン主義の誤りは、いまだに日本の社会運動に存在し続けている。
 私たちは、自らの闘いの教訓を、真摯に総括し、後世に伝えるという社会的責務を負っている。 (M)

2020/01/29 石川九楊さんによる河東碧梧桐再発見に学ぶ

石川九楊『表現の永続革命 河東碧梧桐』文藝春秋、2019年9月は刺激に満ちて面白い。張競 19/11/16付 ALL REVIEWS関悦史 19/10/27付 東京新聞平山周吉 19/11/8・15 週刊ポストをはじめとする書評、レビューを読んだが、河東碧梧桐もすごいが碧梧桐を再発見した石川九楊さんをすごいと私が思った点についてどなたも触れられておらず、不満に思ったので、ここに記しておきたい。
 日本語は声でなく文字であり、その文字は漢字と平仮名と片仮名という複数の文字系からなるというのは、著者のかねてからの立場。これを「漢字語とひらがな語とカタカナ語」として語という用語で説明されると、術語として「言語」と「文字」が混線してないかとは思うが、基本的に私も同じとらえ方に立つ(今世紀に入っての「国字・国語問題」の消失?という事実を前に、何ひとつ反省もしない国語学に対する批判(53ページ)が痛快なので、用語問題はこの際、よしとする)。
 図版として紹介された碧梧桐の俳句/書(たとえば81ページ)は、俳句も書もまったくの素人である私だが、その新しさ、鮮烈さにはふるえた。これも著者のかねてからの主張としての、文学の基底としての書という表現に肉迫した碧梧桐の絶えざる組み替えの歩みを、著者は、「花鳥諷詠」の高浜虚子と対比して追っていく。読み応えがある。関東大震災、さらにその時の朝鮮人虐殺を記述した同時代の人びとのなかで、碧梧桐の冷静な写生が群を抜いていることは、著者の本書における碧梧桐再発見の功績のひとつではないか(279-291ページ)。
 俳句を五七五や季語だと居直った高浜虚子に対して、俳句にとっての第一義は切れ字だと、碧梧桐の実践を追うなかで、著者は再発見する(300-321ページ)。切れ字なくして俳句はない。私は膝を打った。そう、漢文文化圏の一員である和文組版では、切断、切れ目の発見が第一義なのである。美しい組版とは読みやすい組版であり、読みやすい組版とは論理的な組版であり、論理とは文の階層を切れ目で明確に示すことなのである。
 さらに碧梧桐の実践がルビ付俳句に到達したとき、同時代でもそして今でも(各書評が示しているとおり)、日本語の文字と言葉を突き詰めない人びとは付いて来ることができないのだ(先の書評で俳人・関悦史さんは「ルビ俳句個々の評価まで全て肯定するかはともかく」と書いておられるのが典型)。ルビはただ単にヨミを示すだけではなく、複数の用字系をあわせ用いる日本語の文字表現のつなぎ目でもあるのだ。ここに至って、私は碧梧桐のすごさとともに、これを再発見した石川さんに対して、敬意をもってエールを送る次第である。 (M)


繙蟠録 II  19年11-12月< >20年3月 
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