繙蟠録 I & II
 

 索引は最新分参照

繙 蟠 録 II 2019年11-12月

2019/12/12 12/21、映画『秋の嵐 Harajuku im herbst』初上映!

◆12月21日(土)18時開場、18時半スタート
◆会場 日本キリスト教会館4階AB会議室(地下鉄東西線「早稲田」駅下車2番出口または3b出口から徒歩約7分)
◆入場料 1,000円
◆問合せ 〈秋の嵐〉映像制作委員会 akiara.movie@gmail.com

昭和天皇死去前後の数年間、東京・原宿ホコ天を中心に、「天皇制解体」を掲げて行動した若者の集団「反天皇制全国個人共闘〈秋の嵐〉」。彼らが展開した路上の闘いを記録した映像を、新発掘の素材も含めて編集した「秋の嵐 Harajuku im herbst」を初公開。戦前前後の連続を暴くヒロヒト・キョンシー作戦、機動隊によって封じられた「さよならヒロヒト」路上ライブ、通行人にマイクを開放したスピーカーズコーナーなどなど、反天皇制の路上表現を縦横に展開した〈秋の嵐〉の全軌跡を映像で振り返る。

2019/12/06 【ご案内】やってみよう!読みやすい「組版」実習

やってみよう!読みやすい「組版」実習 at アトリエ・ハコ(西荻窪)

  • 日時 12月22日(日)14:30~17:30(受付、14:15より)
  • 参加費 2500円
  • 場所 アトリエ・ハコ(→
       杉並区西荻南3-8-19 ヤマイチビル3F tel 03-5941-6474
  • 持ち物 カッター、筆記用具、電卓
  • 公式URL 古本と手製本ヨンネ
  • 申し込み先 ヨンネさん info@yon-ne.com まで

人びとは、ことばを文字にして紙に刷って束ねて綴じ、本にすることによって、ことばを伝え続けてきました。
本は人間が創り出したいちばんの発明です。文字のない本はありません。美しい本とは読みやすい本であること、すなわち、広く伝え、表現するという目的が貫かれていることが、何より大切な条件です。
では、文字はどのような決まりごとで組まれているのでしょうか。私たちは学校で、ひとますにひとつずつ文字を並べると、原稿用紙の使い方として習っています。けれど、印刷物としての文字の並べ方、つまり組版については学校で教わることはありません。ワープロ、パソコンやスマートフォンで文字を入力することはできますが、ほんとうに読みやすい本づくりを実現するためには「組版」という技術が必要です。
今回は、読みやすく文字を組む「組版」の基本を、実際に文字を並べる実習をとおして考えてみたいと思います。 (M)

2019/11/19 運―鈍―根はウソっぱち!

松沢裕作『生きづらい明治社会 不安と競争の時代』岩波ジュニア新書、2018年9月。「この本で、私は大きな変化のなかを不安とともに生きたであろう、明治時代の人びとの経験に目を向けてみたい」(はじめに)という著者は、「その日暮らしの人びと 都市下層社会」に目を向け(第2章)、「貧困者への冷たい視線 恤救規則」(第3章)、「小さな政府と努力する人びと」(第4章)を通じて、当時の人びとが、勤勉に働くこと、倹約をすることといった通俗道徳(安丸良夫)の「わな」にはまってしまったのではないか、そのことによってすべてが当人の努力の問題とされ、敗者はダメ人間として道徳的敗者の烙印をおされてしまうと指摘し、「競争する人びと 立身出世」(第6章)ではこの通俗道徳のわなにはまってしまうと抜け出すのは難しく、成功するための努力は他人を蹴落としてでも成功をという競争社会を生むと断じている。
 注目すべきは第7章の「暴れる若い男性たち 日露戦争後の都市民衆騒擾」。ここで著者は、「一五歳から二五歳までの参加者が全体の六割から七割前後を占め」「一九〇五年の日比谷焼き打ち事件から、一九一八年の米騒動まで、この世代の参加者が多いという傾向が変わらない」という事実に着目する(新左翼運動の参加者のように、平均年齢が上がっていくわけではないのだ!)。職業は「職人、工場労働者、人力車夫や日雇い労働者などの比率がどの暴動でも高い値を示し…都市下層社会の人びとが中心であった」。「明治社会の生きづらさ、息苦しさ」のなかでは彼らは通俗道徳どおり頑張れば成功するという可能性は奪われ、「当然やりきれない思いをかかえます。そこで、彼らは「あえて」通俗道徳にさからってみせます。いくら節約しても貯蓄できる可能性がないのなら、「あえて」その日に稼いだお金は、ぱっと潔くその日のうちにつかってしまう。……そういうのが、「かっこいい」、あるいは「男らしい」。そういうカルチャーが、都市の若い男性労働者たちの間に広まっていった」という。著者は、この「カルチャーは、確かに「通俗道徳のわな」に対する一つの抵抗のしかた」だが、それではわなから逃れられない、なぜか、として「第一に、それは、単純に通俗道徳をひっくり返して反対のことをやっているだけ」「第二に、彼らが通俗道徳にしたがおうとしたがうまいと、社会全体が「通俗道徳のわな」に人びとをはめ込むような仕組みになっている以上、事態はなにもかわらない」の二点を根拠に挙げる。
 ここまではそうだそうだと頷きながら読んだのだが、では何をもって通俗道徳批判を行うのかというところで、ハタと疑問を感じさせる記述に出会う。

 明治維新という大きな変革は、江戸時代の社会の仕組みを壊しました。江戸時代の村請制による連帯責任のように、相互に助けあうことを強いられていた人びとの結びつきはなくなります。できたばかりの小さくて弱い政府は頼りになりません。頼りになるのは自分の努力だけです。こうした状況のもとでは、ともかくも人はがんばってみるしかありません。がんばって成功した人は、自分の成功は自分のがんばりのおかげだと主張します。成功しなかった人は、成功した人は運が良かっただけかもしれず、失敗した人は運が悪かっただけかもしれないとしても、です。私は、この本のなかで、こうした思考のパターンに人びとがはまりこんでゆくことを「通俗道徳のわな」と呼びました。〔p.144〕

 せっかく、現在の日本社会の生きづらさを視るという問題意識をもって、ここまで分析しておきながら、運不運で明日は我が身と警鐘を乱打したとしても、「運を引き寄せるのも努力」といって、すべてを自己責任にもっていく通俗道徳の根強さを批判することはできない。運不運ではない、社会の仕組みが問題なのだ。「通俗道徳のわな(立身出世競争)」批判は、その土台にある天皇制に通ずる同調圧力批判としてなさねばならず、まず運鈍根(または運根鈍)批判でなければならない。運鈍根とは、「成功するためには、幸運と根気と、ねばり強さの三つが必要であるというたとえ」(大辞林 第三版)である。これこそ、目を社会体制から逸らせ、本質を覆い隠す煙幕である。「〈立身出世〉はまさに天皇の異種性の高揚(神格化)の中で可能になった国民統合運動にほかならない。それは、天皇制差別構造の再編成であり、しかもすべての国民に、天皇にまで直結し得るかのような(国民は天皇の赤子と呼ばれた)上昇志向の幻想を与えるものであったと言えよう。」(塚田理『象徴天皇制とキリスト教』新教出版社、1990年)
 田原総一朗から成毛眞にいたる運鈍根信者の垂れ流す人生訓などに騙されてはいけない(関連本を多数出している青春出版社はその走狗!)。「“連続射殺魔”永山則夫の「私設」夜間中学いろはがるた」(1973)は、「ん」の「運―鈍―根はウソっぱち!」で締めくくられている。 (M)

2019/11/09 文字サイズの単位はポイントか級か

同名の文書「文字サイズの単位はポイントか級か」(2011.10.10)がJAGAT(日本印刷技術協会)のアーカイブで読める。筆者の小林敏さんは、JIS X 4051(日本語文書の行組版方法)の策定に際して、芝野耕司主査のもとで、小野沢賢三、枝本順三郎、野村保惠らの各氏とともに多大な貢献をされた方である。
 「使用できる文字サイズの単位は、実務的にはどんな単位が望ましいのか」との問いに対して、小林さんはここで、「“使い慣れた単位が最もよい”というのが答えとして考えられる」として、「私は、ポイント単位であれば、ある範囲の大きさがイメージできるが、級の場合はせいぜい10級から13級くらいの範囲しかイメージできない」といい、「文字サイズは、表示体裁にアクセントを付けるもので…どのくらいの大きさの違いがあれば見た目の差が付くのか、という問題」だとして「差が付くという場合、1級(0.25mm)ではやや小さく、1ポイントの0.3514mm(又は0.3528mm)という大きさの差が人間の視覚能力にあっているといえるのかもしれない。整数の数値で指示したい場合、ポイントの利用が便利ということかもしれない」ともいって、ポイントに軍配を上げている。
 何と出鱈目な、と私はあいた口がふさがらない。ここで、はっきりと、莫迦なことを書き散らす者には組版を語る資格はない、と断言しておきたい。
 その他、この問題についてネット上で読める主な記事には次のようなものがある(用語解説や換算表のみのものは除く)。

 結論を先取りして言えば、本や雑誌など印刷物は工業製品としての紙で拵えられているという視点が欠落してしまっている。紙のサイズは、ISO 216: 2017で定められたA列などの紙仕上がり寸法が国際標準である。ドイツの工業規格DIN 476がもとになっており、世界各国で使われている。日本の国内規格は、1951年に定められたJIS P 0138「紙加工仕上寸法」である。B列はJIS-BシリーズとしてISOと寸法が異なるローカル規格であるが、ISO-Aシリーズとして規定されているA列はISOと全く同じ国際規格である。
 先に挙げたもろもろの記事は、そのほとんどが、級は日本独自(ガラパゴス!)で、ポイントが一般的であるかのように書かれている。国際単位系(SI)における7つのSI単位のひとつとして、長さは18世紀末以来200年以上の歴史を持つメートル法である。級は1Q(H)=0.25mmと整数で互換を持つ。この世界の流れに反してアメリカなどごく少数の国だけではメートル法は普及せず(こっちがガラパゴスだ!)、ヤード・ポンド法が使われている。ポイントは、1pt.=0.3528mm(あるいは0.3514mm)であるから、mmとは常に端数がでてしまう。
 文字のサイズは、紙のサイズにならってmmおよびこれと互換のある級、歯でのみ正確に測られる。まともな組版設計は級、歯でのみなすことができる。にもかかわらず、DTPではポイントが主流だとか、果ては言うに事欠いたか「使い慣れた単位が最もよい」などと言って、 À tous les temps, à tous les peuples.(全ての時代に、全ての人々に)というメートル法制定精神に反することを書き散らすことは決して許されない。 (M)


繙蟠録 II  19年10月< >20年1月 
web悍 Topへ