繙蟠録 I & II
 

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繙 蟠 録 II 2019年9月

2019/09/27 近代天皇制の普遍性と特殊性

▼植木枝盛「民権田舎歌」NDLデジタルコレクション。YouTube「植木枝盛(詞)民権田舎歌/土取利行(唄・演奏・付曲)」、礫川全次「視たり聞たり皆自由(植木枝盛)」(礫川全次のコラムと名言2016.4.2)。▼安田浩『近代天皇制国家の歴史的位置 普遍性と特殊性を読みとく視座』大月書店、2011年10月。著者は「はしがき」で問題意識の背景となる事実を「三月一一日があらわにした日本社会の岩盤」として3点挙げる。1)震災後の天皇皇后による被災地お見舞いが「新聞報道でみるかぎり被災民に大きな感動を与え…天皇や皇室が国民統合の制度としてなお機能していること、天皇という制度が首相などの政治指導者とは異なる役割と存在感のあることを示した。」2)避難や復旧をつうじて「市町村、さらにその下の区、部落単位の共同体的きずなの大きさが確認されたこと」で、これは「近代天皇制国家の社会的な基礎としてつくられた市町村制や行政村に対する国家介入に原型をもつ。」3)「震災と復旧の過程をつうじて、ナショナリズムが喚起され強まったこと」。〔pp.iii-iv〕
 そして「本書の視角と構成」で、近年の天皇制研究の検討のうえで、副題にもある普遍性と特殊性への問題意識を次のように書いている。

…本書は、近代天皇制を広く世界史的近代のなかで位置づけながら、なおそれがもった特殊性、すなわち、社会の自立的行動を抑圧し社会に対し国家が干渉をくりかえす抑圧的性格、国家意思の最終決定権が天皇に集中される専制性、天皇制ナショナリズムによる国民の動員などにこだわり、それらがどうして生い立ったのかを明らかにしようとした。その際、筆者は、それらの特殊性が、日本が世界史的には帝国主義の段階に入り込みつつある時代に後発で近代化を余儀なくされ、したがって上から急速に近代化を推進しようとしたところにつくられたものではないかという仮説に立っている。そして、その推進の動力としてつくられた構築物こそ「近代天皇制国家」であると考えている。〔pp.vi-vii〕

 (M)

2019/09/26 続・天皇の「象徴権威」による政治的支配を拒む力は

承前。『検証「戦後民主主義」 わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか』で、田中利幸は、原爆を利用したアメリカの無差別大量殺戮「正当化」と日本の原爆被害の「終戦利用」について、米大統領トルーマンの「最初の原爆が軍事基地である広島に投下された…民間人の殺戮をできるだけ避けたかった」という1945.8.6の声明を批判して、「その本質は、原爆攻撃の真の目的がソ連の対日戦争参加を止めるためという極めて政治的なものであり、しかも「招爆画策」の結果として行われたという事実を隠蔽するために、このような「正当化論」を作り上げ、それを自国民はもちろん、世界中の人々に信じこませたという「神話化」にこそある。すなわち、この米国の「原爆使用正当化論」は非論理的だけではなく、実は虚妄以外のなにものでもない…米国政府はアジア太平洋戦争終結以来ずっとこの虚妄の正当化を主張し続けているのであり、その米国の虚妄を、日本政府もまた、後述するように、戦後間もなく、自己目的のために暗黙のうちに持論として政治的に利用するようになった」〔p.147〕と指摘している。
 日本政府は1945.8.9、米国に対して、国際法違法な無差別大量殺傷糾弾の抗議文を送った。しかし、天皇裕仁の1945.8.15のいわゆる終戦の詔勅の案文の修正過程を検討した著者は、「裕仁の思考の中では「降伏決定要因」に全く入っていなかった「原爆」」が、川田瑞穂と安岡正篤によって「新ニ殘虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ」と加筆された事実を明らかにし、次のように詔勅に表れた天皇制の思想を糾している。

 全てを「新たな残虐な爆弾」のせいにしてしまうことで、自分が大元帥という最高指導者を務める日本帝国陸海軍が、アジア太平洋各地で、無謀で非人道的な戦闘行為を行うことを自軍の将兵に強制し、犬死にさせ、その結果、それらの日本軍将兵が多くの民間人の命を奪った事実を隠蔽してしまった。…アメリカは「原爆を使わなかったならば戦争は長引き、そのため、さらに数百万人という犠牲者が出たはずである」という原爆無差別大量殺戮の虚妄の正当化のための神話を作り上げ、現在も、その神話が大多数のアメリカ人四民の間に深く広く且つ強く浸透している。しかし、実は、裕仁も、「終戦」を正当化するために、「原爆」を政治的に利用する上記のような「被害国神話」を作り上げ、これを国民に信じ込ませたのである。残念ながら、アメリカ市民同様、我々日本人の多くが、この「原爆被害神話」に今も浸されきっているのである。
 さらにここで我々が注目しなければならない点は、自国の戦死者やその遺族、戦災被害者に一応同情は示しながらも、裕仁の「謝罪」が、原爆殺戮の被害者を含む「愛すべき国民」にではなく、「代々の天皇の御霊」に向けられていたということである。「愛すべき国民」に対して自分が責任があるなどとは彼が少しも考えていなかったことは、この文章から明らかである。「責任」とは、「赤子」である国民全員が天皇である裕仁に一方的に負う問題であって、天皇が「赤子」に負うものでは決してない、というのが裕仁自身の考えでもあり、同時にそれは、天皇制独自の思想である。キリスト教、回教や仏教など、世界の他の主要な宗教思想では、神や仏が、信仰者である人間に恩寵を与え、恩寵を与えられた人間がその返礼として神や仏を崇め賛美するという互恵関係から成り立っている。ところが、神道に基づく天皇制では、「現人神」は信仰者に恩寵を与えることなく、一方的に「現人神」を崇め賛美することを要求する。〔pp.156-157〕
 何ッ! 天皇即位を祝う国民祭典で嵐が「奉祝曲」を披露だと。ドレイもきわまれり、莫迦にも程がある。忌野清志郎がいま、生きていたら「空々しいのはあなたの青空、薄ら寒いので薄笑い」と歌っただろうか。永井荷風がいま、生きていたら「人民の従順驚くべく悲しむべし」と嘆いただろうか。中江兆民がいま、生きていたら「通読一遍ただ苦笑あるのみ」と書いただろうか。 (M)

2019/09/24 天皇の「象徴権威」による政治的支配を拒む力は

「微罪で長期勾留、なぜ 香港運動家ら拘束10カ月」(『東京新聞』9.24付朝刊「特報」、委細詳報買ってでも読もう)。靖国神社の誰でも立ち入り可能参道での正当な抗議言論活動に対する長期勾留を許してはならない。▼田中利幸『検証「戦後民主主義」 わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか』三一書房、2019.5をここに紹介し、推す。著者の問題意識は副題、および以下の序文に明示されている。

…なぜ日本は「戦争責任問題」を解決できないのであろうか。…日本の「戦争責任問題」は、最初から、米国の自国ならびに日本の「戦争責任」に対する姿勢と複雑に絡み合っている…その絡み合いが日本の「戦後民主主義」を深く歪め、強く性格づけてきたのであり、そうした歴史的経緯の結果として、多くの日本人の「戦争責任意識の欠落」と現在の日本政府の「戦争責任否定」があることを明確にする必要がある。
 本書の目的は、そのような日米の「戦争責任問題」の取り扱い方の絡み合いを、空爆、原爆、平和憲法の3点に絞って分析し、どのようにそれが絡み合っているのかを分析することにある〔p.7〕

 数々の重要な指摘がされているが、「象徴権威」の活用による戦後の「慈愛表現」活動について、【「慈愛」に裏付けられた「象徴権威」は、しかしながら、「巡幸」でその「象徴権威」が高まれば高まるほど、戦災を引き起こしたことに最も責任のある人物の一人であり、まさに「象徴権威」の保持者本人である天皇裕仁の「罪と責任」を見えなくしてしまうという、隠蔽作用が働いた。しかも「象徴権威」は、そのような隠蔽作用だけではなく、皮肉なことには、その「戦争加害者・責任者」を逆に「被害者」の「象徴」としてまつりあげてしまうという劇的な「逆転幻想効果」をも働かせたのである。】〔p.254〕として、天皇裕仁を継いだ天皇明仁とその妻による戦没者慰霊、自然災害被災者への励ましに対して【その国民支配は、天皇の「象徴権威」が、あらゆる政治社会問題に関して、その原因や責任所在を国民の目には見えなくしてしまうことで、実際には隠蔽してしまうという形をとる。隠蔽することによって、国民が正確に現状を分析し、批判し、社会改革への展望を持つ可能性を削いでしまい、結局は現状をそのまま受け入れさせるという状態をもたらす。…「象徴権威」を活用して現状隠蔽という役割を果たす――そのような役割を天皇自身が自己認識しているか否かは問題ではない――「おやさしい」天皇を批判することは、常に「社会的同調圧力」によって排除されてしまうのである。】〔pp.261-262〕と指摘している。
 2012年10月の天皇明仁・美智子夫妻の福島県川内村訪問では、「感激して涙を流す人もいた。両陛下の来訪後、村民の間で『自分たちのことは自分たちでやろう』という雰囲気が生まれた」という原発事故による放射能被災者の声(!)を『東京新聞』2017.12.5付を引いて紹介している〔p.262〕。実際、評者のまわりでも、飯田橋の銭湯や江戸川橋の商店街、東大宮のスーパーマーケットでも、天皇明仁の「人徳」「やさしさ」「人柄」称える人びとは少なくない。ドレイである自覚すら奪われたドレイ――嗚呼、何ということか、左翼までが天皇を「リベラル」「非戦」「護憲」と持ち上げる、これは悲劇なのか喜劇なのか! 現実を変革しようとする唯物論者はまずこの事実をしっかりと直視するところまで、おりてくるところから始めなければならない。

 したがって、明仁夫妻の旅は、裕仁の「巡幸」と同じく、結局、日本人の「戦争被害者意識」を常に強化する働きをしたが、日本軍戦犯行為の犠牲者である外国人とその遺族の「痛み」に思いを走らせるという作用には全く繋がらなかった。すなわち、日本人の「加害者意識」の欠落を正し、戦争被害を加害と被害の複合的観点から見ることによって、戦争の実相と国家責任の重大さを深く認識できるような思考を日本人が養うことができるような方向には、「慰霊の旅」は全く繋がらなかった。こうして、「日本国、日本人は戦争被害者でこそあれ加害者などではない」という国家価値観が作り上げられ、それが今も国民の間で広く強固に共有されている。そればかりではなく、非日本人の戦争被害者、とりわけ日本軍の残虐行為の被害者には目を向けないという排他性が、日本人の他民族差別と狭隘な愛国心という価値観を引き続き産み出す、隠された原因ともなっているのである。そのような価値観を共有することが国民の知らないうちに強制されていくという、「国家価値規範強制機能」が天皇の「象徴権威」にはあるのである。明仁・美智子夫妻のこうした「慰霊の旅」のパターンと「象徴権威」の機能は、そのまま新天皇夫婦にも受け継がれていくことは間違いないであろう。〔p.269〕

 被差別部落民、下層労働者、障害者、野宿者、在日朝鮮人はじめ排除され踏みつけられ続けてきたものは、今度こそ武器となる生きた理論を手にしなければ、「人間を勦(いたわ)るかの如き運動は、かえって多くの兄弟を堕落させ」という歴史に終止符を打つことはできない。 (M)

2019/09/23 和文縦組みの組み方(3)

承前。

  • ルビの文字サイズ、拗促音小字          
    本文のルビ文字サイズは被ルビ文字(ルビ対象文字、親文字)の二分の一の大きさとする。ただしこれは16級以下の本文を前提にした場合であり、それを超える大きさの被ルビ文字に付すルビは二分の一未満とする。三字ルビや長体平体などの変形は用いない。またルビに拗促音小字は基本的に用いない。
    ルビ文字同士の字間は最少ベタ組とする。
  • モノルビ                    
    ルビは中付きを基本とする(場合によっては、肩付きとする)。被ルビ文字とルビ文字との間隔はベタとする。
  • グループルビ                  
    モノルビを基本とし、モノ化しえぬ場合のみグループルビとする。被ルビ文字列の字間については、被ルビ文字列の直前直後の文字が仮名の場合には、ルビかけはルビ全角分までとする。直前直後の文字が漢字の場合には、隣接する漢字には一切ルビかけしない。
    被ルビ文字列が欧字やアラビア数字の場合は、欧字、アラビア数字の字間は、空けずに使用している1バイトフォントのプロポーショナル・ピッチに従ってベタ組とする。ルビ文字が欧字やアラビア数字の場合は、ルビの欧字、アラビア数字の字間は、空けずに使用している1バイトフォントのプロポーショナル・ピッチに従ってベタ組とする。
  • ルビ文字列長と被ルビ文字列長          
    被ルビ文字列とルビ文字列の長さを比べ、短い文字列の字間を1:2:2:~2:1の比率であける。被ルビ文字のベタ組維持を第一とし、ルビ文字同士のベタ組を第二として処理する。
    一字ルビと三字以上のルビの組み合わせは、以下のように処理する。一字ルビと三字ルビ/四字ルビ/五字ルビの連続……三字ルビ被ルビ文字/四字ルビ被ルビ文字/五字ルビ被ルビ文字に隣接する一字ルビ被ルビ文字に三字ルビ/四字ルビ/五字ルビの半角分ルビかけし、被ルビ文字同士は三字ルビ隣接の場合はベタ組となり、ルビ文字同士はいずれの場合もベタ組となる。
    二字ルビと三字以上のルビの組み合わせは、以下のように処理する。一字ルビと三字ルビ/四字ルビ/五字ルビの連続……三字ルビ被ルビ文字/四字ルビ被ルビ文字/五字ルビ被ルビ文字に隣接する二字ルビ被ルビ文字にルビかけはなし、ルビ文字同士はいずれの場合もベタ組となる。
  • 行頭/行中/行末の三字ルビ           
    行頭の三字ルビは上付きとする。後の被ルビ文字が仮名の場合にはルビ全角分がかかり、被ルビ文字同士はベタ組となる。後が一字ルビ付漢字の場合は、ルビ半角分がかかり、ルビ文字同士はベタ組となる。後が二字または三字ルビ付漢字の場合は、ルビかけはなし、ルビ文字同士はベタ組となる。
    行中の三字ルビは中付きとする。隣接する被ルビ文字が仮名の場合および漢字(ルビなし)の場合はルビ半角分がかかり、被ルビ文字同士はベタ組となる。隣接する被ルビ文字が漢字(ルビ一字)の場合はルビ半角分がかかり、ルビ文字同士・被ルビ文字ともベタ組となる。三字ルビが連続する場合は、被ルビ文字同士の間を半角空け、ルビ文字同士はベタ組となる。
    行末の三字ルビは下付きとする。前の被ルビ文字が仮名の場合および漢字(ルビなし)の場合はルビ全角分がかかり、被ルビ文字同士はベタ組となる。前が一字ルビ付漢字の場合は、ルビ半角分がかかり、ルビ文字同士はベタ組となる。前が二字または三字ルビ付漢字の場合は、ルビかけはなし、ルビ文字同士はベタ組となる。

〔つづく〕 (M)

2019/09/21 和文縦組みの組み方(2)

承前。

  • 傍点、圏点、傍線                
    傍点はゴマ点を基本とし、中付きとする。圏点は中付きとする。傍点・圏点・傍線は、句読点・中点・括弧類には付さない。
  • 半角約物(句点類、読点、括弧類)の前後アキ量  
    句点類の直前はベタ組、直後は二分アキとし、基本的に追い出しや追い込みの調整には使わない。〔※句点類を句読点から分離して区分したことは、JIS X 4051の和文組版理論史における功績のひとつである。〕
    読点の直前はベタ組、直後は二分アキ原則だが、四分詰め迄を許容する。中点は全角取りを原則とするが、前後それぞれ八分詰め迄を許容する。同一行中で約物を詰める場合、詰め量は四分迄とし、基本的な調整は追い出しとする。
    句読点の後に起こしの括弧類が続く場合は二分アキを原則とし、句読点の後に受けの括弧類が続く場合はベタ組とし受けの括弧類の後は二分アキを原則とする。受けの括弧類の後に句読点が来る場合はベタ組とし句読点の後は二分アキを原則とする。
    受けの括弧類の後に起こしの括弧類が来る場合は二分アキを原則とする。起こしの括弧類が続く場合、受けの括弧類が続く場合はともにベタ組とし、括弧類の前と後は二分アキを原則とする。
    疑問符・感嘆符が句読点の役割を兼ねる場合は、直後を全角アキとする。受けの括弧類の後に疑問符・感嘆符が続く場合、受けの括弧類の後にダッシュやリーダーが続く場合はともに二分アキを原則とする。疑問符・感嘆符の後にダッシュやリーダーが来る場合はベタ組とする。
    カギ括弧類の中にカギ括弧類が入れ子で入る場合は、内側のカギ括弧類を小カギとする。
    括弧類の前と後のアキ量およびその調整量は等分でなければならないが、行頭・行末にかかる箇所はアキはクワタとして吸収される。疑問符・感嘆符の後のアキが行末にかかる場合は、アキはクワタとして吸収される(段落末の場合は、アキママとする)。
  • 二倍ダッシュ、三点リーダー二倍の留意点     
    三点リーダーは(字送りがベタ組以外の場合)六つの点が等間隔になるようにする。二倍ダッシュは「―」と「―」が離れないようにする。〔※インデザインの場合、「―」二文字でなく、「―」の字幅を180(~200)%にし、前後に各10(~0)%のアキを入れる。〕
  • 和欧文間の間隔                 
    縦組み中の欧文混植では和欧文間のアキは四分を原則とする(欧字のサイズやベースライン下げの有無や量にかかわらず、四分は本文和字サイズの四分である)。和欧文混植ではアラビア数字と欧字の単位記号との間隔は、当該欧文フォントのスペースを入れる。ただし、%とその前のアラビア数字との間隔は、当該欧文フォントのベタ組とし、アキを入れない。

〔つづく〕 (M)

2019/09/20 和文縦組みの組み方(1)

以下の仕様は、人文書や小説など縦組みの書籍(1行の行長が三十数倍以上の場合を想定)本文組版で、和文等幅全角ベタ組みの場合を対象としたものである。

  • 数詞の表記と組み方               
    三桁ごとの位取りの点、概数を表す点は、読点と区別して二分取りとする。小数点を示す中点は、一般の中点と区別して二分取りとする(中点の直前の文字と中点の双方にトラッキングを-250かける)。数の幅を示す繋ぎ記号「―」は一倍とする。
  • 段落行頭の字下げ                
    字下げの有無ならびに方式については、著者や編輯者の意向がが優先するが、一冊を通じて一貫させねばならない。万一ロジックが立っていない場合は疑問出しをして正す。字下げ無し方式の場合は、当該行の前の行末に余白がなければならず、句点のぶら下げは勿論のこと強制二分取りも避け、調整無しで句点が行末最終に位置することも避ける。段落行頭全角下げ方式の場合、段落の最初に起こしの括弧類が来る場合は、見た目全角下げを基本とするが、見た目半角下げ方式もある。
  • 行頭禁則文字                  
    以下の記号、約物、文字を行頭禁則とし、調整はベタ組み維持をめざしつつ追い出し処理を基本とする。句点類、読点、疑問符、感嘆符、受けの括弧類、中点類、レ点以外の漢文の返り点、拗促音小字、音引き。
    両仮名繰り返し記号、同の字点(ノマ)、ノの字点、くの字は、もとの字を復活させて重ねる。
  • 分離禁止文字                  
    二倍ダッシュ、二倍リーダーなど二倍でひと組の記号は改行によって分離してはならない。ひとまとまりの連数字は二行に分離してはならない。
  • 行末禁則文字                  
    以下の記号、約物、文字を行末禁則とする。起こしの括弧類、漢文のレ点。

〔暫くつづく〕 (M)

2019/09/18 現在の日本国憲法は「押しつけ憲法」である

現在の日本国憲法は「押しつけ憲法」である。誰が誰に押しつけたのか。天皇裕仁が日本人民に押しつけたのである。その目的はただただ、戦争犯罪人として裁かれることから逃れ、天皇制(国体)護持、すなわち自らの保身をはかることにあった。繙蟠録9月10日付で紹介したが、ここに編集した動画を引用再掲載するので、天皇裕仁による「公布」の事実をしっかりと確認していただきたく思う。
https://1drv.ms/v/s!AlgjI-3vH4KiqC3vGW4RfwGLrMa2?e=MMVacl"
 「護憲」を掲げる人びとに改めて訴えたい。天皇制護持を第1条に掲げ、在日朝鮮人はじめ在日被抑圧民族や被差別部落民に対する差別を容認する現在の日本国憲法を「守る」などという消極的、受け身的運動でよいのか、と。
【史料】電子展示会「日本国憲法の誕生」国立国会図書館、2003-2004
   *→論点→3 基本的人権の保障→3 外国人の人権 を参照のこと。 (M)

2019/09/17 理解されていない《和文組版の基本》

和文組版の基準となるべき点と線はどこにあるか。点は文字の天地左右中心、線は行幅の中心線――ここに基準がある。縦組みであれ横組みであれ、同様である。これを欧文組版から借用してきたベースラインbaselineという用語をもって無理矢理説明しようとしている和文組版解説本は、その事実だけで当該解説本が役立たずのお莫迦だと明らかになる。
 baselineとは何か。シカゴルールでは、In type, an imaginary common line that all capital letters, x-heights, and lineing arabic numberals rest on.と説明している。つまり、アルファベットの大文字、x-heights、およびアラビア数字が共にもつ並び線のことである。和文組版では、行幅の中心線であり、baselineとは何の関係もない(欧字では書体によってボディに対するベースラインの位置が異なるので換算されもしない)。和文組版をbaselineで説明するとは笑止千万、あたかも帯を結ぶことによって着つける和服に対して、革ベルトを巻いて身体に固定させようとするようなものである。
 欧文組版が線に集約される行で成り立っているのに対して、和文組版は矩形が等幅に並んで構成される行によって成り立っている。欧文組版は電線にとまっている大小のスズメの群れに喩えられ、和文組版は敷き並べられた同寸の座布団に大人も子供も座るありさまに喩えられるであろう。美学も組版演算もそもそもが違っており、和文組版中に混植する欧字にベースライン下げが必要な所以である。
 InDesinでもWordでもよい、アメリカ由来の組版アプリケーションソフトでは、この基準線がしっかりと土台に据えられていないため、和文の行組版の動作が不適正である。一例を挙げると、縦組みでも横組みでもよいから、本文中のひとつまたは複数の文字を選択し、文字サイズを大きくしてみよう。途端に複数行取りになって、以下の行が後ろへズレていくだろう。組版の土台に据えるべき行送りよりも行間を勝手に優先してしまうためである。デフォルト設計がそうなっている(InDesignだと回避策としては、書式→段落→行取りを「自動」から「1」にしてやるとよいが、デフォルトに当該ソフトの質が露呈するのだから失格である)。版面の冒頭に位置する行中の文字にルビや傍点を付せば、当該行がズレるようなアプリケーションソフトもあるが、これも版面とは何かが分かっていないからである。「字送り幅と字詰による字送り方向の寸法」と「行送り幅と行数による行送り方向の寸法」によって形作られる矩形が版面なのであり、柱やノンブルはもちろんルビや傍点も版面には入らない。すべてのページにわたって、先頭行と最終行は表裏透かしてみた場合、合わねばならない。ここに、行送りが基本という意味がある。
 アメリカ由来のDTPソフトは紙も文字も、基本単位が、日本も含む国際単位系(SI)に違反している。和文組版で文字と組版の基本単位がH(Q)でなければならないのは、紙の単位がcm、mmだからである。pt.では組版演算で必ず端数が出てしまう。和文組版は、単位から行組版まで、体系として成立しているのである。工業製品としての紙の単位を無視して、pt.を文字サイズとする和文組版解説本もまたお莫迦だから、即刻、ゴミ箱に捨てるべきである。 (M)

2019/09/16 「文字と組版、印刷」展へのお誘い

10月14日から22日まで大阪・メビック扇町で「「文字と組版、印刷」展 〜アナログからデジタルへの変遷〜」が開催されます。主催は、大阪DTPの勉強部屋(問合せ先は info@osakadtp.com 、Webサイトは http://www.osakadtp.com)。展示会・勉強会・参加申込詳細は http://wsm.jp/2019tenji/ を参照ください。

気落ちの込められた開催趣旨を以下に転載、紹介します。

 今や、印刷物を作成するのはDTPが当たり前になっていますが、1970年代まではアナログ(手作業)でデザイナー、写植オペレーター、版下、製版とそれぞれのプロフェッショナルによる分業が行われていました。
 1980年代にマイコン、パソコンが導入された際は、写植・版下・製版などアナログ時代に培われた技術の上に開発された日本語専用システムでした。
 しかし、海の向こうからやって来たDTP(英語のローカライズ)は日本語専用システムとの交点は少なく、別物でした。
 この度は、過去のアナログ、日本語専用システムを知ることは、これからのデジタル、DTPのあり方を考えるヒントになると考え、この展示会を企画しました。
 この展示会は日本語専用システムとDTPを隔てる暗い川を提示し、アナログからデジタルへの変遷が一目で見て取れる内容になっています。
 ガチャンカチャカチャと音を立てて歯車が回り稼働する手動写植機、モリサワMC-6型、モリサワ電算入力校正機、MK-110の展示もあります。どうぞ実際に触ってみて当時の作業内容を体感してみてください。

 開催趣意に心から賛同して元・電算写植コーダーのひとりとして私も参加します。またお声がけいただいたので、10月19日(土)の展示会記念セッション2:海輝氏、枝本順三郎氏との鼎談に出ます。ぜひ、ご参加ください(参加費無料)。 (M)

2019/09/10 ドレイの護憲運動から《天皇制廃止の、左からの改憲運動》への転換を!

 この動画を見ていただきたい。これは、プロジェクトJAPAN シリーズ 日本と朝鮮半島 第4回 解放と分断 在日コリアンの戦後(初回放送2010.7.25(日)21:00~21:54)である。19分55秒あたりから、天皇裕仁が「本日、日本国憲法を公布せしめた」と述べた姿を確認できるだろう。いわゆる押しつけ憲法論なるものがあるようだが、誰が誰に押しつけたというのか、歴史的事実を確認しなければならない。新憲法の歴史的事実とは何か。それは、反米戦争を統率した天皇裕仁自身が、敗戦に際して――ふつうなら喉掻き切って自決すべきところ――“鬼畜”親米に完全転向し、アメリカ占領軍に頭を垂れて媚びを売って、沖縄の人民と国土を売り渡して、自己保身=国体(天皇制)護持をはかった。かくして欽定憲法としての新憲法公布にいたった。――ここに新憲法と戦後民主主義体制の歴史的本質がある(抑圧民族側の民族主義は唾棄すべき克服対象でしかないが、もし仮に“真の民族派”なるものが存在するとすれば、天皇裕仁の転向をこそ糾弾、断罪すべきであろう)。そして、天皇の転向を黙過した戦後庶民もまた、反米戦争を忘却してエコノミックアニマルへの転向を遂げ、マイホーム主義へ没頭していったのである。
 近年、九条の会はじめ護憲運動なるものがあるが、彼らは権力と資本による統治の本質、天皇制護持を覆い隠す翼賛勢力である。戦後民主主義を高く評価してやまない戦後革新勢力とは、つまるところ1条と9条をセットに国体(天皇制)護持をめざす翼賛体制の一翼を担いながら、あたかも資本と権力に対する対抗勢力のポーズをとる、敵のまわし者にほかならない。戦後民主主義とは、保革共同支配を覆い隠すイチジクの葉っぱである。
 繙蟠録では、「「一切ノ自然人」を「国民」にすりかえた奴は誰か」2009/06/15付、「再論・all natural personsとpeople,人民と国民」2009/06/29付で警鐘を乱打し、先のNHKテレビの放送後も繰り返し、「国民」運動批判を重ねてきた。「「ザンゲは食料に現れてくる時代が必ず来るんでねえかと」」2011/11/07付、「「国語科」の解体再編を!」2013/05/07付、「「国民運動」という迷夢をうち破れ」2018/06/10付、「「いかなる特殊な権利も請求できない階層」とは誰のことか」2018/07/17付。
 九条護憲などというドレイの運動をきっぱり清算し、今こそ《天皇制廃止の、左からの改憲運動》に転換すべき時である。 (M)

2019/09/09 続・刮目すべき批評

承前(9/2付のつづき)。中野重治『その身につきまとう』が描き出したのは、天皇制の陰惨さ、残酷さ、頽廃である。鎌田さんは、この作品のどこに「重要な内容を暗示」をみたのか。「それは、新憲法下の象徴天皇制がそれまでと別個の「頽廃」や「腐敗」を生みだしており、そこにこそより根本的で反復的な病理が貫いている、という認識である。」。
 近代天皇制の暴力的な差別抑圧を、中野重治は小説『むらぎも』や詩『雨の降る品川駅』などで描き出した。戦後の象徴天皇制は、近代天皇制と違った、完成された統治形態である。「それが強権的弾圧の露骨な原因にならないせいで、天皇制それ自体の暴力性が――この身分制度がいかに人間の自由と権利を損うのかが、かえって普遍的に問われてゆく。」として、鎌田さんは「天皇制の「残忍」の本質は、直接的な実力行使のうちにでなく、自らに不都合ないかなる事実も平然と忘却できる、この「素直」のうちにある。〔中略〕その上層では状況への元気で自己欺瞞的な健忘が全てを覆い、その末端では絶えず公開性の自主規制を強いてくる習俗、この二つを存続の死活的な条件とする身分制度の「残酷さ」〔中略〕以上二つの条件を満たさない場合、この身分制度はその空間を徹底的に分断し排除するほかない。」と的確に重要な点を指摘している。そのとおり! 天皇は「花岡鉱山や釜ヶ崎や六ヶ所には死んでも行けない。天皇はパラオやサイパンで祈りをささげても、朝鮮半島では絶対に祈らず頭も下げられない。」のである。
 「徹底的に公開性を推進することで天皇の自己欺瞞を根こそぎ批判する人民の精神、天皇制を焼きつくすことで、我々ばかりか天皇をもその桎梏から救済する大衆運動の精神――それを推進する運動の根本原則が何か。それを我々がいかなる場所ではぐくむことができるか」とさらに問題を深める鎌田さんは、その答えを第4回 『梨の花』の天皇制批判第5回 「異安心」=批評精神で、『梨の花』における「異安心」という真宗教義内の言葉の「改変」に踏み込んでおり、そう読めなかった私は眼を見張らせられた。

何が正統で何が異端か、という教義論争に意味はない。その論争の必然の延長上に、俗権が強いる抑圧的な習俗に我々は反逆し、これを公然と変革できているか。それとも、そのおしゃべりは回避と屈従の自己欺瞞的表現にすぎないのか。決定的な争点はここにあり、別言すれば作者=良平は、「異安心」の指標自体を政治化している――というより、政治化することで真に芸術化している。〔中略〕「異安心」とは、我々が既成の習俗に埋没し惑溺しかけるその度に思考の自動化をくつがえし、「法」の下での対等で公平なつながりを回復させる批評精神である。人々を桎梏から解放し我々が互いに「ともがら」でいるために、俗権の制度的核心と激突しこれを除去する批評精神である。それは固定化した諸宗教でなく、それらを可能にしながらそれ自身は決して特定の宗教形式に解消できない、みずみずしい宗教改革=鎌倉新仏教の精神の再生なのである。

 第6回 インターナショナリズムをはぐくむものにおける鎌田さんの次の指摘は、日本の地べたの革命的な伝統にしっかりと立脚したインターナショナリズムへの道を示している。

 天皇制下の「たましい」にしみつく、無数の不潔で卑しい腐敗を除去する「水のようなもの」は結局そこにしかなく、この「四海同胞」の感覚こそ、我々の社会的生を太陽の下で恥しくないものにする根本条件である。その逆に、あらゆる部分的な「国民」=「民族」的同質化の強調が、こうした真正の連帯への一段階であるどころか、その途上でそれを妨げ、それを破壊する決定的な障害になっている。「国民に寄り添う」なるお上品な上からの宣言、「国民なめんな」なるみかけ上勇ましい声高な抗議、その両方の癒着のうちに、元々「国民」たりえずまた「国民」になるのを意志的に拒絶する人々への、残酷で敵意にみちた排外主義の馬脚があらわになっている。〔中略〕インターナショナルな連帯を創造することは、この問題をシングル・イシューに矮小化することや、美辞麗句で影響力を行使しようとすることと違う。「四海同胞」の実現は、〔中略〕「国民」の強力な同質性を絶えず要求する身分制度の実体に踏みこんで、この制度を切断的に破壊する容赦ない実践によるほかない。それはたとえば、「平和」を実現し戦争を克服する本当の動力が、既得権に安住した山の手「市民」の現状維持への愛好にあるのでなく、諸国家・諸ブロック間の暴力を必然化する資本主義的諸矛盾を深く分析し、このシステムを根源的に改変する大衆運動にだけあるのと、完全に並行的な事態なのである。

 「天皇制を廃止し、人民共和制を創設する左からの改憲運動を通じて、日本人が真に「法の下の平等」を実現できるか否か」という批評精神にもとづく根元的な問いかけに与して、天皇制と闘うとはどういうことか、私も考え続けていきたいと思う。改めて「長編批評――革命運動の精神2 新元号下の「異安心」の課題」への強い共感と感謝を表したい。
 まことに「百川海に入らば同一鹹味、四姓佛門に入らば同一釈氏」だ。見かけ上勇ましい国士然とした日本の社会運動が皆、民権の初心を投げ捨てて国権に堕していったこれまでの歴史に終止符を打たねばならない。国民的同質化の圧迫を拒みつつ「非国民」であり続ける孤高を保って、生き抜こう! (M)

2019/09/06 関東大震災時の朝鮮人虐殺に対する否定論を批判する

知人の加藤直樹さんが、9月4日夜、TBSラジオSession 22(荻上チキ/南部広美)に出演、「関東大震災時の朝鮮人虐殺の実像に迫る」として虐殺否定論に対する批判を話した。近年の権力による嫌韓キャンペーンのなかでとても意義ある放送であった。
 登録(無料)すれば、ラジコのタイムフリー聴取で2019年09月07日 07:47まで聴取可能(47分50秒あたりから)。また、録音データをご希望の方はメールで送りますので、ご連絡ください。
以下に録音データを置いておきます。 https://1drv.ms/u/s!AlgjI-3vH4Kipy1fm6-Efr4KkIJ6?e=js6eaT
【必読文献】加藤直樹「歴史的デマゴギーへの対処法 : 関東大震災「朝鮮人虐殺否定論」から考える」『世界』916:2019.1(特集 世論のつくりかた) p.161-170
加藤直樹『トリック = Trick : 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』ころから, 2019.6
加藤直樹『九月、東京の路上で : 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』ころから, 2014.3
 (M)

2019/09/04 関西生コン労組への弾圧から目をはなしてはならない

速報によると、資本と権力による関西生コン労組への弾圧がさらに酷いことになっているようだ。
 →「解決金名目で1億5千万円恐喝容疑 関生トップら2人再逮捕」産経WEST 19.09.04付。
繙蟠録8/22付で採りあげたが、これは断じて黙過できない。魯迅が書いたとおり「最初から正視することを尻込みしていては、やがて正視する力がなくなり、さらにそのうちに、自然と視る意志がなくなり、見えなくなってしまう。……しかしながら、自身の矛盾や社会の欠陥から生ずるところの苦痛は、たとい正視しなくても、身にふりかかって来るものなのだ。」(「眼を見張って見ることを論ず」1925.07.22)。
 こうしたときに、『沖縄タイムス』19.08.26付[大弦小弦]弾圧の順番(阿部岳)が、次のように書いていることはまことに道理にかなっている。

ドイツの牧師マルティン・ニーメラーは「ナチスが最初共産主義者を攻撃した時」で始まる警句を残した。「私は声を上げなかった。私は共産主義者ではなかったから」。次に社会主義者、労組と弾圧が広がる▼日本も労組が標的になる段階まできた。生コン車の運転手らでつくる連帯ユニオン関西地区生コン支部、通称「関生(かんなま)」。組合員らの逮捕は延べ85人、委員長と副委員長の勾留は28日で1年になる▼警察と検察は労使交渉を「強要」とみなすなど、憲法が保障する組合活動自体を罪に問う。取調室では「関生を削っていく」と宣言したという。ナチスを礼賛する差別主義者が、ネットと街頭で唱和する▼弁護団は、今や少なくなった「闘う組合」が狙われたとみる。関生は生コン価格を上げさせ、大企業の権益を脅かしてきた。だから弾圧される。国策に抗する辺野古や高江とも共通点がある▼沖縄で抗議に加わったことがある組合員も今回起訴された。「社会の片隅に置かれた感じ。沖縄と同じで誰も関心を持ってくれない」。メディアも問題視しない▼強制収容所から生還したニーメラーの警句は「彼らが私を攻撃した時、私のために声を上げる者は誰一人残っていなかった」と結ばれる。「私は関生とは違う」と理由を探し、口をつぐむ人にもいつか権利を奪われる番が来る。

 そして、きのう9月3日は亀戸事件96周年記念日。1923.09.03、川合義虎・平沢計七ら労働運動者10人、この夜から翌朝にかけ亀戸署で軍隊に殺害される(亀戸事件)。高津渡らの群馬青年社会科学研究会の検挙開始(群馬青年共産党事件)。関東戒厳司令部条例公布、施行。福田雅太郎、関東戒厳司令官に就任。 (M)

2019/09/02 刮目すべき批評

鎌田哲哉さんが「長編批評――革命運動の精神2 新元号下の「異安心」の課題」を『週刊読書人』2019.8.30付、第3304号に発表した。刮目すべきであり、日本の労働者人民にとって意義ある批評だと思う。私が学んだことを以下にノートしておく。
 鎌田さんはまず、「いかに「元号中心の物の見方」が我々の思考に浸透しており、いかに「天皇制中心の物の見方」が我々の生活的現実を損ってしまうのか。〔中略〕この主題に触れてなお「書くこと」を浄める方法、生気を与えて普遍化する方法は一つしかない。それは、この種の「物の見方」がもたらした浸透および損傷の程度を正確に測定し、それらをねじ伏せ克服する基本的打開策を提示することである。」と問題意識を明示する。明快であり明解である。批評の批評たるゆえんは、目前の事実に対する自分自身の立場を明らかにすることだからである。
 第1回 「国民」への収縮と腐敗では、「前天皇=現上皇は、「平成」の時代にそれ以前と異なる、いかなる固有のイメージを獲得したか」との問いに対して「最も愛される天皇、最も親しみやすい天皇になったこと」としたうえで、「本当の問題はこの先にある。なぜなら「平成」の時代は、みかけ上「個人崇拝」と一定の距離を置き、天皇の存在を手堅く「国民統合の象徴」に限定しようとした「リベラル」派のもう一方の連中――彼らの思考をも着実に腐食させ、その実践に鎖国化と排外主義化を歯止めなくもたらしていたからだ。それは端的に、彼らが少しも悪びれず「国民」概念にもたれて、その範囲内でしか思考も行動もできない事実にあらわれている。」と指摘している。そのとおり! 鎌田さんはここで数年前の「国民なめんな」運動の流行の事実を挙げているが、私は、2004年以来の大江健三郎、加藤周一らによる九条の会の運動、2008年末の年越し派遣村と湯浅誠らによる格差批判、2011年福島第一原子力発電所事故以降の首都圏反原発連合の運動などを挙げることができる。九条の会は憲法の天皇条項を不問にし、格差批判は下層人民に対して階級対立ではなく融和を説き、反原連は「非国民」被曝労働者の問題を問わない。こうした運動の決定的弱点を鎌田さんは「「国民」の外部で「非国民」扱いされる民衆の人権こそが、今まさに損なわれている状況への痛みがそこになかった」「ただ「量」(動員人数や組織数)を増やして目先の利益を確保する行為の絶対化があるだけで、それらを思想の「質」に転化する肝心の実践が欠けていた」と端的に指摘している。そう、「目標は無、運動がすべて」というベルンシュタイン主義がここにある!
 【参考】繙蟠録「「国民運動」という迷夢をうち破れ」2018/06/10付、「「一切ノ自然人」を「国民」にすりかえた奴は誰か」2009/06/15付、「再論・all natural personsとpeople,人民と国民」2009/06/29付
 こうした本質と教訓から導き出される闘いの方向として、鎌田さんは、60年前!の大西巨人「戯曲『運命』の不愉快」を引きつつ、憲法問題では「対立の機軸を「改正」対「現状維持」でなく、「反動的な改正」対「憲法の精神に基く革命的な改正」に改変することが我々の運動に不可欠」と明確に提起している。異議無し!
 第2回 『その身につきまとう』からの中野重治『その身につきまとう』1953の紹介は、この批評の白眉である。「「国民なめんな」運動は〔中略〕致命的なのは、意図がどうあれ前天皇の感性=「国民に寄り添う」とSEALDsその他の感性=「国民なめんな」とが深く調和し、共鳴していた事実だ」と指摘、「安保法制反対のみかけ上の高揚は、実際には目前の利益=「多数派」形成に目がくらんだ所の天皇との同一化でしかなく、それは「象徴天皇制ナショナリズム」の完成、と呼ぶべき性質のものだった」との記述は、日本社会運動の無惨な現実を描写している。

安保法制反対のみかけ上の高揚は、実際には目前の利益=「多数派」形成に目がくらんだ所の天皇との同一化でしかなく、それは「象徴天皇制ナショナリズム」の完成、と呼ぶべき性質のものだった。逆にこの時、最終的に麻痺したのは天賦人権への普遍性ある感覚であり、そこらの「市民」がどいつもこいつも、「国民」概念への依存を破壊する必要を感じなくなっていた。天皇が「国民統合の象徴」であることで、客観的には「非国民」呼ばわりされる人々を排除し、社会的分断を強化する装置として機能する、その事実を少しも直視しなくなっていた。反戦運動のヴィジョンもまた一国主義的に同質化して、前天皇=現上皇の「平成は戦争のない時代だった」というたわごとまでが、「しもがしもまで」平然と共有されている。〔中略〕要するに、「平成」とは「個人崇拝」/「国民なめんな」の如何を問わず「リベラル」派の大多数が「依法不依人」=「法の下の平等」の原則を実質的に放棄した時代だ〔中略〕主観的には右傾化を批判し人権を尊重したつもりで、実際には「国民」外部の民衆の行動を冷淡に排除する、「国民なめんな」派の自己欺瞞こそが状況を悪化させている。

 見事な現実描写である。「批判の本質的な情念は憤激であり、その本質的な仕事は弾劾である」「国民に勇気をおこさせるために、自分自身〔のみじめさ〕に驚愕することを教えねばならない」というマルクスの言葉を思い起こさせる。下層人民の現実を知らないか、控えめに言って、主要な矛盾、基本的な事実をしっかりと捉えることができていない「安倍と明仁の対立は…改憲と護憲の対立、国政の権能は安倍にあり、改憲の主犯は安倍、生前退位法は内閣府の意向に即して制定された、「お言葉」は極めて不十分ながら天皇の立場でなしうる非戦の宣言」などというピンぼけ論評などと比較すれば、どちらが本当の唯物論であるか、明確である。
 鎌田さんはここで「だが我々は、前天皇=現上皇をこれらと全く別個のイメージでとらえた芸術をすでに持っている。」として、中野重治『その身につきまとう』1953を紹介している。この作品は「新憲法下の象徴天皇制がそれまでと別個の「頽廃」や「腐敗」を生みだしており、そこにこそより根本的で反復的な病理が貫いている、という認識」との重要な内容を暗示しているというのだ。私は、この作品を読んでいなかったので、急いで『中野重治全集(定本版)』第三巻、を読んだのである。本題に入る前に一言。現状に悲観するあまり、冷笑主義や折衷主義に陥ってしまっては、「敵」の思うツボである。かと言って、唯物論を放棄するわけにはいかない。すでにある歴史のなかから、文芸作品や歴史的事件を掘り起こし、人びとを勇気づけるのが、学者研究者や作家知識人の役割ではなかったか。その意味で、鎌田さんが「だが我々は、前天皇=現上皇をこれらと全く別個のイメージでとらえた芸術をすでに持っている。」と紹介に先立って書いていることは、批評は誰のために何のためにあるのか、という最重要事の端的な表明であり、批評精神の拠って立つ原点でもあると思い、背筋が伸びる思いがした。〔つづく〕
 (M)


繙蟠録 II  19年8月< >19年10月 
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